2017年テレビアニメ話数単位で選ぶマイベストテン ―第10位~第6位―

 

年末年始はゆっくりできる状態ではなかったのでこのタイミングになってしまったが、2016年と同様に2017年の話数単位10本を選出していこうと思う。

今年も10本選ぶだけでなく、ベストテンという形で順位をつけていこうと思う。前回行った2016年のベストテンについてはこちらの記事を参照していただけると幸いである。

 

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上記記事に書いてあるが、ただ10本を選んで終わりではなく、20本をノミネートした上で連続で視聴、そのうえで1位から10位までを選定する。レギュレーションは以下とおりである。

 

「今年の10本」に選びたい話数を20本選び、これをノミネート作品とする。

同タイトルからは2本までとする。ただしできるだけバラけるのが望ましい。

20本の試聴順をなんらかのランダム方式で決定する。(私はあみだくじを利用した)

試聴順に沿って20本をできるだけ一気に視聴。

改めて見直した感想、そして初見時の記憶などをもとにノミネート20作品の中から上位10本を選ぶ。上位10本については順位をつける(なお、ノミネート作品の中に同タイトルから2本選んでいた場合、その2タイトルを両方とも選出することは構わないが、できるだけバラけるのが望ましい)

 

前回時は同タイトルから2本を可としたが、今回からは同タイトル1本までということにレギュレーションを変更した。

 

ではさっそく10位から発表していきたい。

 

第10位:『アニメガタリズ』第11話「共ニ語リシ光輝(めいゆう)ノ裏切リ」(秋)

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10位には意欲的な「アニメ表現」のストーリー展開への組み込みが見事だったこの回を選んだ。

朝起きたみのあであったが、朝っぱらからイチャイチャする両親に違和感を覚える。両親にではない。そのまわりにハートが「浮いている」のだ。さらに違和感は続く。謎の丸い玉を発生させる姉の麻耶。さらにトースターから勢いよく飛び出たパンをくわえて玄関に走る。そして違和感は恐怖に変わる。麻耶の顔が「変わって」しまった。そう、それはまさに一昔前のアニメで見たような、そんな顔に……

アニメの中でアニメ表現が「異質なもの」として組み込まれたとき、アニメの中のアニメキャラクターはいかなる反応を示すのか。メタ表現がアニメの中で取り入れられることはさしてめずらしいことではない。そしてそれはたいていの場合、ギャグとして取り入れられる。だがこの回におけるメタ表現は、視聴者としてはギャグとして受け取ることも可能であるが、本編の表現としてはみのあに「恐怖」を感じさせるものとして働いている。中でも秀逸なのは午前中の授業が「一瞬」で終わるシーンだろう。アニメの表現としては時間を切り取ることは日常茶飯事である。視聴者にとっては30分のアニメでも、アニメ存在はアニメ時間を過ごす。現実に流れる時間を無視して極小時間から極大時間までを自由に表現できることは、アニメという二次元表現の醍醐味でもある。だが当然、視聴者にとって「一瞬」の授業風景がツッコミなく存在しうるのは、アニメの中では相応の時間が経っているという暗黙の共通理解があるからこそなのである。アニメに浸食された世界で唯一不変であると考えられていた「時間」の概念にヒビを入れられたときのみのあの底知れぬ「恐怖」は、単なるギャグを超えた恐ろしさを視聴者に提示する。

また、作画の唐突な変更によって顔が「変わる」シーンも印象的である。自分自身「アニメ顔」である「アニメ存在」のみのあが「90年代作画顔」に恐怖するということは、作画の統一性がアニメ内における認識の担保に大きくかかわっていることを示す。

そしておそらくもっとも異質な画面は、みのあの家族がモノクロの1960年代作画になり漫符的表現としての「走り」を見せるシーンではないだろうか。世界がアニメにのみ込まれたとき、どこまでを自分と同じ「人」として認識できるのか。アニメにおける作画の向上がキャラクターの実在性の向上への取り組みであるとするならば(もちろん、そのように一口で言えるような話ではないが)、果たしてみのあは「50年前」の家族を自分と同じ「人」として認識することができたのであろうか。

このようなメタ的表現が成立するのは、アニメの長い歴史があり、かつその表現について作り手と視聴者のあいだに知識としての共有がなされているからこそなのである。そういった意味で、アニメガタリズ11話は『アニメガタリズ』という作品自体のテーマとも沿っていると思っている。

この回は、これまで積み重なったキャラクター同士の関係性についても見どころがある。特にBパートでみのあに「ごきげんよう」と言うアリスのセリフは、第1話で誰に対しても「ごきげんよう」としか言わなかったアリスを思い出させ、単にアニメの「現実世界」への浸食という恐怖にとどまらず、これまで10話分で培った友情をも失ってしまったみのあの絶望を表現するに十分すぎる一言であった。そうであるからこそみのあはオーロラ、もとい中野先輩の口車に乗り、ドアを開けてしまうのだ。

多少粗も目立ったことは否定しないが、「アニメ」をテーマにした作品でメタ表現を組み込んでストーリーを展開したという点において、このアニメガタリズ11話は一つの大いなる試みであり、評価したいと思わせてくれる一話であった。

 

 

第9位:『けものフレンズ』第1話「さばんなちほー」(冬)

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2017年、最も話題になったアニメといえばこのアニメを挙げるほかはないであろうが、その中でも導入のこの一話は秀逸であった。

アニメの第1話というものはむずかしい。まずその1話を視聴者に見てもらわなければならないし、その上で2話以降も見ようと思わせなければならない。往々にして第1話には一度にたくさんのキャラクターが登場して「顔見せ」をしたり、ド派手なアクションや美麗な作画にリソースを投入して視聴者を惹きつけようとしたりする。それはいわば「足し算」の考え方で作られているといえる。

それに対してけものフレンズの第1話は「引き算」の考え方で作られているというように感じた。考えてみれば「けものフレンズ」には非常にたくさんのフレンズがキャラクターとして存在しているわけで、1話からたくさんのキャラを投入してもよかったようにも思える。そうすれば、視聴者を内容でつかめなかったとしても、少なくともどのフレンズが好きかということが話のタネになりうる。しかし、実際には出番があるのはかばんを除けばほとんどサーバルとカバのみである。2話のじゃんぐるちほーでセリフが一言だけのフレンズが大量に出てきたことを考えれば、1話のどこか寂寞とした画面は1話にふさわしくないようにも思える。

ではなぜ大量のフレンズを投入しなかったのか。そしてそのこととも関わってくるが、なぜ1話の舞台をさばんなちほーにしたのか。それは一言でいえば「サーバルをパートナーにするため」である。

このアニメでは、かばんとサーバルという「二人で」旅をすることに大きな意味がある。かばん一人で旅をしているわけではないのだ。そうすると、サーバルは自分のナワバリを飛び出してずっと(図書館を目指す)かばんについていかなければならない。もし第1話でたくさんのフレンズが出てきたならば、サーバルはついていっただろうか。たくさんいることは誰もいないことと等しく、ただ一人であることは一人がいるということなのだ。サーバルという「パートナー」を得るために、1話ではかばんとサーバルの二人が延々と誰もいない(画面に映らない)さばんなちほーを旅する。

ではなぜサーバルなのか?1話を見ればわかるように、このアニメのテーマの一つは「動物としての人間」である。人間と動物は対置されることなく、人間のもつ「動物としての」長所や短所に目が向けられる。そしてそれは同時に、それぞれの動物の「いいところ」に目を向ける行為でもある。1話ではかばんは足も早くなければジャンプ力もない、飛べないし泳げない、と「なんにもできない」動物として描かれる。だが同時に小回りがきいたり、持久力があったりという長所も持ち合わせている。さらにセルリアン戦では手先の器用さと頭の回転を見せた。これらの短所と長所を際立たせるためには、それと反対の特徴を持つフレンズと組ませる必要があるわけだが、運動能力が高く短距離型でおっちょこちょいなサーバルはそれにピッタリだったというわけだ。さばんなちほーは、そのサーバルのナワバリであり、ジャングルのようにたくさんのフレンズがひしめき合うわけでもなく、そして広大で見渡しのよい土地は舞台設定を提示するのにも都合がよい。そういった点で、さばんなちほーとサーバルという選択は第1話の導入としてピッタリだったのだ。

終了したあまり知名度が高いとはいえないアプリゲームを原作としている(正確にはメディアミックス作品なので原作とアニメ化という関係ではないが)ことから、アニメの自由度は高いが、一方で1話でこのアニメが何をしたいのかを提示することが重要でもあった。そうした中でこの1話をもってきたことは、けものフレンズというアニメにおいても非常に重要な点だったと私は思う。

最後にこの1話の見どころを3つ挙げておきたい。まず一つは動物への深い観察と細かい描写である。冒頭、狩りごっこをするかばんとサーバルに注目すると、ジグザグに切り返すかばんに対し、サーバルはスピードはあるが方向転換のたびにズザザザとブレーキをかけている。ここですでに二者の運動能力の指向性の違いが如実に表れている。続いてサーバルはかばんにシマウマのフレンズがいることを教えるがかばんは「えっ、どこですか」と気づけないシーン。シマウマのシマは当然ながら人に見せて動物園に人を呼ぶためではなく、敵から見つかりにくいようにとついてあるものである(ちなみにこれには異説もある)。そうであるならば、さばんなちほー初心者のかばんが一見しただけでシマウマを見つけられないことは当然のことであるわけだ。そして木陰で休む場面で指摘されるような、人間とサーバルの持久力、回復力の違いの描写もよい。サーバルが最初に気付いた人間の動物としての優れた点は、頭の良さでも手先の器用さでもなく、陸上動物としての持久力であったのだ。

二つ目にはやはりセルリアン戦だろうか。一転してRPGのボス戦のような劇伴が流れ、戦闘モードに突入する場面転換はキャッチーながらも緊張感があってよい。そしてこれまで頼りになったサーバルがうろたえるのに対し、かばんは冷静に石の場所を指摘し、紙飛行機によってセルリアンの注意をそらす。このシーンは、いわば「弱いとされてきた主人公が実は思いがけない特技を持っていて大活躍」という、主人公を際立たせるための王道展開そのものである。そしてそれを人間の動物としての長所とリンクさせたことは単純だが上手いシーンだった。

三つ目は何といってもかばんとサーバルの別れのシーンである。かばんの別れの口ぶりからは、いかに自分が不安でサーバルに頼れてよかったかが伝わってくる。その上でかばんとしては別れを強く意識しており、二度振り返った後まっすぐ前を向いて歩くカットは印象的だ。しかしすぐにサーバルと再会。このシーンが「一度別れて再開した」ということになっているのは、別れを告げまっすぐ前を向いたかばんの決意をないがしろにしなかったという点で非常に好きだ。また、一度別れたものの実は後ろについていってすぐに再開するという流れは、言わずもがな、最終話のラストと同じ構造である。1話ではかばんを追うのはサーバル一人であったが、最終話ではたくさんのフレンズがかばんを追っている。1話ではかばん視点であったが、最終話ではフレンズたちの視点になっている。こうした対比は12話の積み重ねが感じられる点であり、構成としても非常に見事であった。

最後に一つ付け加えるなら、1話ラストに流れるOPは、1話の展開を踏まえてこれからたくさんのフレンズが出てきていろんなところへ冒険へ行くぞ!ということを見せてくれ、次回以降の「冒険」を非常に楽しみにさせてくれるという点で、この上なく完璧なタイミングでのOP挿入であった。長々と書いたが、以上が、私がけものフレンズにおいて1話を高く評価し、また2017年の9位に選出した理由である。

 

 

第8位:『時間の支配者』第12話「過程と実在」(夏)

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スタートで加速、中盤減速、そして終盤に一気に加速していった、クロノスルーラーこと時間の支配者。列車に乗り、後ろを向きながら前に進んでいく最終話も素晴らしかったが、その一話手前、ヴィクトが過去と決別し、最終決戦へと進んでいくこの12話を選んだ。

もう会えないはずの両親に会えたことで動揺し、アイクスを倒せば二度と会えなくなるという思いから心を縛られるヴィクト。しかしヴィクトは鎖を断ち切り、母を殴ることでアイクスに一撃を加える。それによりアイクスは吸収していた時間を放出、街は本来の「死んだ」姿へと戻っていく。ヴィクトは霧の「終わるんじゃない、お前が終わらせるんだ」の言葉を受け、診療所へともどり、母と「最後」の親子の会話をする。

Aパートはこのヴィクトと母イフとのやり取りが見せ場となる。そこではなんといっても大原さやかさんの慈愛に満ちた母親の演技が本当に素晴らしい。ヴィクトが息子であることに気付いていたイフは、「誰にも頼らず」勝利者たることを思い続けてきたヴィクトに対し、その名前に込めた本当の意味を語る。「人に頼り頼られて、笑顔と涙を分かち合う。それが私の思う、勝利者という意味だから」

仲間たちと共に戦ってきたヴィクトだったが、それまでは他人の助けを必要としなかった。そのヴィクトがイフに勝利者ということの「本当の意味」を伝えられ、Bパートで全員一致協力してアイクスと戦うという流れはベタではあるが感動と熱量のある展開だ。

ヴィクトとイフの会話シーンでは、背景で少しずつ時間が「今」に戻っていく演出も見事である。なんでもない会話に、目に見える形で「終わり」を意識させる手法は、朽ちた「今」の家ときれいな「元」の家の対比も美しく、より一層その会話シーンを魅力的にしている。しかしその美しく丁寧な会話シーン、そして別れの後、アイクスは「仮説の証明」の名のもとにイフを無遠慮に「生き返らせ」、そして「殺す」。余韻ぶち壊しのこの所業にヴィクトはもちろん視聴者の怒りのボルテージも上昇する。そしてアイクスは決定的な一言を口にする。「何も感じなかった」。

このシーンは、人間が感じる想いにおいて、時間の持つ不可逆性がいかに重要な一つの要素をなしているかを問いかけている。時間を自由に操る行為は、人の尊厳を踏みにじる行為でもあるのだ。

Bパートの戦闘シーンでは、おなじみのカッコいい劇伴をバックに全員で協力しての戦闘がアツい。その戦闘のなかでは「恐怖」がアイクスの唯一理解できる感情として出て来るが、「恐怖」、特に死に直面することから生まれる「恐怖」は、これもまた時間の不可逆性によって生まれる感情と言えるだろう。初めはまっすぐ向かっていくヴィクトたちが、次第に恐怖を感じ始めて顔つきも少し変わっていくあたりも見応えがある。ラストに近づくとピアノ劇伴が流れ(これが良い)、ヴィクトたちの「恐怖」が大きくなるさまが伝わってくる。

時間と家族、そして感動と恐怖。ここまで見てきてよかったと思わせる、美しくも恐ろしい見事な回だった。 

 

 

第7位:『つうかあ』第8話「Engage」(秋)

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田村正文×高山カツヒコの『アンジュ・ヴィエルジュ』コンビということで、一部に熱狂的な期待をかけられていた『つうかあ』であるが、期待に違わぬ走りを見せてくれたと言っていいだろう。各コンビ(カップル)それぞれ良く、最終話の雨の中女二人が髪を掴み合って殴り合うシーンなども最高だったが、ここで選出したのは蒔田あい×板垣ねねの実況解説コンビの8話だ。

「グ~~~~~ッドモーニング三宅島~↓」

いつもと違いどこか締まらない挨拶で開幕。まさかの宝塚コンビ出張版だ。まさにコメディリリーフと言える二人、今回は実況席をジャックしたばかりか、ファンの方からのお手紙まで読み、果ては破り捨てて「フォーエバー♪」する始末。絶妙(笑)に息がピッタリ合っている……

とはいえ今回の主役は蒔田あいと板垣ねねである。体が弱く、「すごい人が乗る物」であるニーラーに乗ることが無理であることを子どもながらに悟るあい。そしてそのあいの「諦め」を否定しないねね。ねねは言う。「だって、私も無理だもん」

「子ども」であることは、未来の可能性の象徴としてよく言及されることである。未来ある子どもは「なんにでもなれる」と大人は言う。しかし果たして本当にそうなのか。子どもだって、追いかけられないことはある。手の届かないこともある。そして、絶対に届かないところに頼りなく伸ばした手をとったのは、等身大の「友達」だった。

あいにとってねねは「届くところにいてくれた」大切な存在であり、友達だった。その「届くところにいてくれた」ねねを自分から「引きはがされた」ことで、あいは自分の感情を爆発させる。そのときにスイッチとして機能したのがマイクだった。マイクは「声が小さい」というあいのコンプレックスの一つを解消してくれるアイテムだ。そしてマイクを持つことで、コミュニケーションの双方向性はぼやけ、うまく人と話せないあいは自分の気持ちを「一方的に」ぶつけることができた。それは「すごい人」たちに対してあいが「一矢報いた」瞬間でもあったのだ。そして回想は終わり、あいたちはニーラーに乗せてもらう。もう乗らないと言うあいにねねが問いかける。「どうして?」「乗りたくなるから」あいはニーラーに憧れ続けた上で、自分の手の届く場所でニーラーを見続けるのだ。

つうかあ』は、様々なコンビにフォーカスを当てることで、「関係性」を描くことに特化した作品であると思う。それは、レーシングニーラーという「二人じゃないと走れない」特殊なマシンというフレームがあるからこそ浮き彫りになり、描きうるものでもあった。しかしこの回は、そのフレームの外に視点を置くことで、レーサーたち以外の、もっと言えばすべての「コンビ」に「関係性」の存在を認めることができるようにした点が素晴らしい。回想シーンでは昔の三宅島TTの選手たちが登場するが、その中には現在の側車部顧問和田はつね、婦警の日暮洋子の姿もあった。昔を描くことは時間の流れを意識させることである。昔があるから今があるのであり、それはすべてのコンビに固有のもので、その時間の流れこそがそれぞれのコンビをコンビたらしめるのだ。回想を話し終えた後、ねねが話を盛っていたことをあいに指摘され、話を聞いていた報道部の二人はどこまで信じていいのやらと困惑するシーンがある。二人の過ごした時間は、究極的には当人たちにしかわからないものであり、その密室性自体がその二人の関係を特別なものにするのである。

最後に一つ個人的なこの回の魅力を付け加えるならば、 小学生ねねちゃんのかわいさである。はっきり言ってとてもかわいい。パッセンジャーの真似をして失敗し、地面に転げたときの、「いけませんでしたー」というセリフが大好き。大人たちにあいと引き離されたときの困り顔(これは自分が困っているというよりもあいのことを思ってそうなった顔である)も良い。

 

 

第6位:『ゲーマーズ!』第8話「エロゲーマーと観戦モード/ゲーマーズと半生ゲーム」(夏)

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 2017年は個人的にラブコメの年であった。というのも、この『ゲーマーズ!』が自分の中にあるラブコメ好きの波動を呼び覚ましてくれたからである。

Aパートは、真面目な生徒会長とは世を忍ぶ仮の姿、真の姿は美少女エロゲーマーという千秋の妹星ノ守心春が登場。千秋が碧陽学園生徒会長というところで、そういえば原作は葵せきなさんだったなと再確認させられる。さて、Aパートではこの心春が美少女ゲームを選ぶ景太と三角くんの会話を盗み聞きするのだが、美少女ゲームに自らを重ねる心春の描写がとても良い。そもそも、美少女ゲーム(登場キャラクターではなくゲーム自体)に自らを重ねる美少女という存在自体が稀有であり、『ゲーマーズ!』ならではのシーンと言えよう。三隅くんに知名度イマイチのワゴンセールで売られていたゲームを薦め、理由を聞かれると「僕が好きだから、かな」と答える景太はオタクとしてポイント高い。私も私の好きな回をこうして10個選び、ベストテンとして記事まで書いているのだ。

さて、そうは言ってもこの第8話の本番はBパートの「半生ゲーム」にある。ところで、ラブコメにおいて一番おもしろくなるところはどこだろうか。恋愛が成就するとき?いやいや、関係の糸が絡まっていくときだ。Bパートでは、絡まりに絡まった糸がほんの少しほどけてきたと思わせておいて、次の瞬間一番絡まってほしくなかった(絡まってほしかった)糸が絡まるという落差で、このアニメの中盤最大級の見せ場を作った。例えば第6話ラストで花憐に告白してしまう景太のシーンもまた、一番やってほしくない(やってほしい)絡まり方を見せていて、このアニメ最大級のシーンである。

祐は千秋が半生ゲームをやりたがっていることにつけこみ、ついにこじれきった恋愛当事者5人を一堂に会させることに成功する。あとは話し合って誤解を解くだけと思われ、思わずほくそ笑む祐であったが、当然そんな簡単に上手くいくはずはなく、むしろゲーム上で花憐は独身貴族、千秋はフリーター、景太と亜玖璃が結婚して子づくりに励むというなんとも美しすぎる展開を見せる。ラブラブ最高潮新婚生活マスを引いた景太に対し照れながら怒る亜玖璃がとてもかわいい。亜玖璃ちゃんとゲーム上でラブラブ新婚生活して「もうちょっといろいろ控えてよ~」と言われたい。そのままゲームは進んでいくが、休憩中に祐が亜玖璃との誤解を解き、ヨリを戻す(そもそも別れていないが)など、張りつめていたラブコメの空気は弛緩、祐の作戦成功かと思われた次の瞬間、ついにあの糸が絡まる。千秋は景太と花憐の会話から、ネット上での長いつきあいであり、ずっとお世話になっていた存在が誰あろう今目の前にいる雨野景太であることに気付いてしまう。祐は顔を覆い、視聴者の気持ちを代弁する。「見てらんねえ……」

言うまでもなく、「半生」ゲームは「反省」ゲームである。……と勢いよく言ってみたものの、どのあたりが「反省」なのかはいま一つつかめていない。むしろ千秋は、これから自分のこれまでを「反省」することになるのであろう。

この回の面白さは、やはり現実における人間関係をゲーム上とリンクさせるという、古典的かつ王道の手法がハマったことにあるだろう。そして唯一事情をおおむね理解している、いわば視聴者に最も近いところにいる祐がいちいち反応してくれるのが、非常にこのこじれた関係性を見やすくしてくれ、なおかつ面白く見せてくれている。ラブコメにおけるツッコミ役は重要だ。ツッコミのいないラブコメは視聴者がそのツッコミ役を担わされなければならないわけであるが、それはかなり体力のいることである。コメディはツッコミがあって初めてコメディとして成立すると私は考えているが、ラブコメもまたそうなのである。祐が自身錯綜した関係の当事者でありながら比較的状況を把握していることで、優秀かつ貴重なツッコミキャラ(かつ狂言回し)として機能したことが、アニメ『ゲーマーズ!』の成功の一因であることは間違いない。

「運命すぎんだろうがよおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

以上、長くなったが第10位から第6位である。第5位から第1位についてもなるべくはやく記事を書き上げたいと思っているが、ノミネートした20本を見終わってからこの記事を書くのに5日ほどかかっていたりするわけで、また少し時間が空くと思われる。そろそろ冬アニメも見ていきたいので、記事の方はのんびり書いていきたいと思う。もしベストファイブの記事を早く読みたいと思っていただけているならば申し訳ないが、気長に待っていただけると幸いである。 ちなみに順位だけはもちろん確定済みである。