2018年テレビアニメ話数単位マイベストテン -第10位~第6位-

毎年恒例のやつ、自分としては3回目。

 

レギュレーションは以下の通り。

 

①「今年の10本」に選びたい話数を20本選び、これをノミネート作品とする。

②20本の試聴順をなんらかのランダム方式で決定する。(私はあみだくじを利用した)

③試聴順に沿って20本をできるだけ一気に視聴。

④改めて見直した感想、そして初見時の記憶などをもとにノミネート20作品の中から上位10本を選ぶ。そして上位10本については順位をつける。

 

↓2017年10選記事

 

nun-tya-ku.hatenablog.com

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今年は長くなりすぎないようにしたい。

 

 

 

 

第10位:『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』第6話「君が選んだこの世界」(秋)

 

思春期の若者誰もが感じている、何よりも繊細でどこまでも凡庸な悩みやモヤモヤ。それらに「思春期症候群」という不思議現象をかませることで、このアニメはその解決に伴うキャラクターの小さくて大きな「成長」をはっきりと見せることができていた。そこに生まれるカタルシスは視聴体験としてわかりやすく、また歩くライトノベルの文体のような主人公梓川咲太への抗えない「憧れ」のようなものが全編に漂っており、わたしはそれを評価せざるを得ない。

第6話は古賀朋絵解決回。古賀が友人関係に亀裂が入ることを恐れて先輩からの告白を避けるためループに入ったことが思春期症候群の発症だったわけだが、今回そのループは咲太との「嘘の」恋人関係の終わりを認めることができないことから起こっていた。嘘から始まった関係は古賀の中で次第に「本物」になり、嘘の関係を終わらせることが「嘘」になってしまう。前半、咲太の桜島麻衣への想いを応援するシーンや、咲太との「友達」としての関係を楽しみにする古賀の空々しさは見ていて痛々しいものがある。ああ罪深き男梓川咲太。物語は二度目のループに突入する。

ループの海デート中、咲太はつくる砂の城の形が大きく変わっていたり、かき氷を食べたときのリアクションが少し違っていたりする。もちろんそれは、咲太にとって「同じ日」ではないからである。一方古賀はまったく同じようにその日を繰り返す。自分がループに気づいていることを悟られないように。しかしループ4回目、古賀は終業式でこれまでと違う行動に出た。咲太の方を振り返り、手を振った。古賀が「嘘をついている」ことを確信した咲太は4回目のデートで江ノ島に古賀を連れて行く。

クライマックスとしての古賀の咲太への告白シーンは雨→晴れの演出と相まって印象的だ。好きだという気待ちを「声に出して伝える」ことをゴールに持ってきたことはやはり良く、声に出すことがそのまま行き場のない気持ちの解放とつながっている。自分の気持ちに気づくこと、その一歩先として、誰でもない自分の気持ちを嘘で閉じ込めないことが重要なのだ。

そうして「嘘からの解放」を成し遂げた古賀は、全校生徒への嘘であった咲太との嘘の恋人関係すらも「やり直す」。最初のループ地点まで戻り、バスケ部先輩からの告白に本当の気持ちで対応する。このときに気になる人として咲太のことを挙げるが、これは嘘ではないということが決まっており気持ちいい。「上手く生きる」ために塗りたくられた嘘とそれによる自縄自縛からの解放への手続きを踏んだ上で、高校デビューを果たした古賀のイメチェンや咲太への恋慕の感情など、そうした嘘の中からだったとしても生まれた「本物」については優しく肯定する、その両方があるからこそ古賀朋絵は「自分」を手に入れて先に進むことができたのである。

 

 

 

第9位:『プラネット・ウィズ』第12話「見ろ、世界は祝福に満ちている」(夏)

 

壮大な「赦し」の物語。ED曲『Rainbow Planet』の歌詞が素晴らしく、回を重ねるごとに染みていった。最終回であるこの12話では、アズラバラクラを時空の果てに追放するというクライマックスの作戦を描きながら、宗矢、そして銀子とアズラバラクラとの最後のコミュニケーションが静かで大きなエモーショナルになっている。

アズラバラクラは時空の穴に押し込まれながら宗矢にシリウス星が滅びた日の幻影を見せ、憎しみの気持ちを宗矢に抱かせることで宗矢を「正義の執行者」の後継にしようとする。しかし宗矢はそれには乗らず、そればかりかアズラバラクラとの最後の対話の中でそのことを感謝する。自分の中に故郷は生きている、そのことに気づかせてくれてありがとうと。そして銀子もまた、アズラバラクラにかつて自分が「助けられた」ことを感謝する。このときの「やっと言えた」という銀子のセリフから伝わる長い長い胸のつまり、だからこそこの「赦し」にこめられた意味の大きさは計り知れない。

楽園の民は言う、奇跡ではなく縁だと。そして好きな角度でこの物語を見ればいいと。地球人の立場から、あるいは穏健派、あるいは封印派、アズラバラクラ、銀子…… それぞれにそれぞれの正義があり、しかしそれらをつつみこむ大いなる赦しが、そして「祝福」が宇宙には満ちている。サブタイトルにもなっている「宇宙は祝福で満ちている」というセリフがすべてだろう。宗矢がシリウス星に一輪の花を見つけるというラストも含め、物語の結びとして本当に見事な最終話だった。

 

 

第8位:『邪神ちゃんドロップキック』第8話(夏)

 

1から10までギャグアニメなので無理にここで語ることがあるわけではなくて、ただただ面白かったということで選んだのだが……

あえて邪神ちゃんについて語るとするならば、なぜこのアニメが面白いのかということについてであるが、一つ自分の中で考えているのは「道徳の錯綜」である。人間、悪魔、天使。クズの極みである悪魔邪神ちゃん、底辺労働に身をやつす(元)天使ぺこら、基本的には心優しい人間でありながら邪神ちゃんを容赦なく痛めつける花園ゆりね…… 基本的にむちゃくちゃでありながら現実の神保町(神保町というバランス感覚!)を舞台にして、日常というにはあまりに日常的なシーンで突拍子もない非日常が繰り広げられていく。常識を破壊された脳にそれでもなお道徳を叩き込まれることの他では得がたい感覚。そんなところだろうか。

というわけで8話はなんの話だったかといえば、邪神ちゃんのギャンブラー的思考が光る人生シアター回である。邪神ちゃんはクズであり、そんな邪神ちゃんにお金を渡し続けるメデューサも大概なのだが、やってることは別にその辺の人間と変わらないのである。ふと我に帰れば自分も邪神ちゃんになってはいまいか、そんなことを考えさせられているのかもしれない、そんなアニメでもあるのだ。……そうだろうか。書いていたらそもそもこれがギャグとして成立して1クール30分のアニメをやっているのが異常な気すらしてくる。いや、でも面白いんだよな……

もう一つは執拗なまでに地に足のついた食べ物描写である。この8話で光ったのは節分に落花生を撒くシーン。落花生なので外で撒いても殻を割れば問題なく食べられるというアンサーには唸ってしまった。人の命は粗末にしても、人の金を粗末にしても、食べ物だけは粗末にしてはいけないという邪神ちゃんのひん曲がった道徳もこの作品の魅力だ。クズだが食べ物を粗末にすることを許さず料理も上手い邪神ちゃんと、食うに困るが天使としての矜持から悪魔や魔女(ゆりね)からの施しは断りたい(かと言って空腹に勝てるわけでもない)ぺこらのバランス感覚は全編に渡って効いている。

話数単位なのに8話の話をほとんどしていないのはもはや執筆者のレギュレーション違反なのであるが、この8話を選んだのは結局のところ自分がこういうループもののオチが好きだということに尽きるのである。でもまあループに気付いたら間違いなく同じようにパチンコ打っちゃうよな、だって次は勝てるかもしれないんだから…… Cパートのめちゃくちゃしょーもない白背景の尺余りメタネタとかも大好き。ちなみに邪神ちゃんはサブタイトルが存在しない珍しいタイプのアニメでもある。

 

 

第7位:『ハイスコアガール』 第10話「ROUND10」(夏)

 

高校受験を経てゲーセンから足が遠のき、家庭用ゲーム機に興じることが増えたハルオ。そして女子高に進み、通学のホームで告白されるほどに垢抜けた日高小春。 10話で光ったのはハルオの真摯なゲームへの態度と、日高の自覚的に屈折したハルオとゲームへの向き合い方である。

日高はハルオに振り向いてもらうため、いや、ハルオに少しでも自分のことを気にかけてもらうため、ゲームの腕を磨き、久しぶりにゲーセンに来たハルオを撃破する。ここでハルオと勝ち負けするのではなく完膚なきまでに倒してしまうところが日高の不器用で愛すべきところだろう。自信を打ち砕かれたハルオの頭に浮かんだのはやはり大野であった。このもどかしさたるや。日高が上手く立ち回ることができていれば、大野のことを記憶に追いやってハルオと平常のゴールを目指すことだって比較的簡単にできたであろう。しかし日高が好きなのは、自分の好きなことに夢中になっているハルオなのである。そしてそんなハルオを追いかけるためには、大野という壁は必ず立ちはだかってくる。ただ日高がそんなハルオを好きでいるからこそ、ハルオは魅力的なキャラクターとして我々の目に映り続けてくれるのだ。

日高に負けたハルオは自信を喪失するが、折れることなく再起を誓う。ここで誰かに当たったりせず、過去の栄光にすがるでもなく、今の自分の弱さを認めたうえで強さを求めるハルオの真摯さが非常に好ましい。宮尾が言うようにハルオはとても魅力的な人間なのだ。日高がハルオのことを好きだということに単なる主人公とヒロインというだけでない説得力が生まれており、ラブコメとして一段高いところにある。広瀬ゆうきさんによる日高の演技も好感触。派手すぎないながらも90年代という舞台にマッチしたかわいらしさとコミカルさ、そして"負けヒロイン"としての儚さも含んでおり、2018年助演女性声優賞の有力候補だ。

 

 

第6位:『あかねさす少女』第5話「ヒーローの条件」(秋)

 

2018年を代表するタイトルの最後に「少女」がつくアニメ二大巨頭、そのうちの一つあかねさす少女より、西部劇風のフラグメントを舞台としたトンチキと少女の可能性というテーマを見事に描いた5話を第6位に選出。

一番好きなシーンについて先に書いておくと、やはり「わんこそばか!」というツッコミが光るなんちゃって裁判シーンは外せない。あまりにむちゃくちゃな判決に対して漫才師ばりの鋭いツッコミを浴びせる明日架はただものではない。あかねさす少女について語る際に「トンチキ」という言葉は外せないワードだと思うが、その整理されていないトンチキさは、まだ何者になる可能性も残っている少女たちという作品テーマと不思議にマッチしている。

5話の主人公はみあ・シルバーストーンだ。彼女はかわいらしい顔、かわいらしい声でお人形さんみたいと言われ、かわいらしいものが好きであるように振る舞うことを期待される。しかし彼女はヒーローにあこがれる少女でもあった。そんなみあの内に秘めた思いを、このフラグメントのみあは実際に保安官に志願するという行動に移すことで示していた。フラグメントの移動を通して自分の可能性を認識し、さらに体験もできてしまうというところが面白い。そうして彼女らは元の世界に戻っても、自分の選択で自分の可能性を切り開いていく力を自覚し、そしてその選択に自ら責任を負うこともまた知る。それこそがイコライザーとなる条件でもあった。

みあは不正に手を染める保安官を許さず、自分の正義に基づいてヒーローとなることを選ぶ。CGをふんだんに使ったバトルシーンはなかなかの見応えで、西部劇の格好に変身したジャスティスことみあのインパクトも大きい。「あなたの強さが、ニセモノだったんです」と言い放つみあの強さが光る。この話を通じて、みあは自分の隠していた気持ちと、そしてその可能性に気付くことができた。その「成長」を、「背、少し伸びたんじゃない?」というセリフに落とし込むのが美しい。

小ネタ的なところで言えば保安官と判事の悪事を暴く際にシリアスカがキーアイテムのカセットテープを使っていたのは良かった。カセットテープが普通に使われているフラグメントもそりゃああるよな。あとはノリノリで銀行強盗をしてしまう明日架。いやそれはダメでしょ……と言いたくなるが、まあ事情もあるしな、いやさすがにそれは犯罪だろ、みたいなモヤモヤが頭の中で回っていたらまさかの銀行側が事情を汲んで不起訴という軽さ。一応別世界なのでこういうところのフォローに柔軟性があるのは見てて安心できる点でもある。

あかねさす少女は間違いなく今年最も見て良かったアニメのうちの一つである。見ていて明確にこのアニメは本物だと感じたのはこの5話がきっかけであった。

 

 

 

とりあえず6位まででいったん区切ることにする。 

 一つの記事に10位から1位までまとめた方がいいとは思いつつも、今年も分割してしまった。すでに2019年になってから3日目になっているが、後編もできるだけ早く書き上げたい……