2017年テレビアニメ話数単位で選ぶマイベストテン―第5位~第1位―

 

筆が遅い。なんとか1月中には書き上げることができたのでセーフということで。

 

nun-tya-ku.hatenablog.com

 

というわけで↑の続き、5位~1位についての記事。 

 

 

第5位:『フレームアームズ・ガール』第8話「決起集会/秋に呼ばれて…」(春)

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第5位には非常に魅力的な女子高生キャラクター源内あおとフレームアームズ・ガールたちの交流を描いた反則級の(販促だけに……)傑作アニメ、『フレームアームズ・ガール』から印象深いこの回を選んだ。

まずAパートは轟雷(改)とアーキテクトのデータに基づく仮想フレズヴェルクとの模擬戦から始まる。模擬戦を勝利で終えた轟雷に対し、FAガールたちは決起集会を開く。この決起集会、なぜかそれぞれが出し物をするという形で進んでいくのだが、それぞれの個性が光る出し物は、それぞれのキャラの深みにもつながっている。手作りのステージ、その中の「雷」と「改」の字が間違っているのがかわいい。この決起集会にはさまざまに見どころがあるが、個人的には迅雷の手裏剣投げで目を覆うスティレットとマテリア姉妹の漫才が好きだ。そして何より注目しなければならないことは、みんながそれぞれ思い思いに出し物をしており、とっちらかっている印象もあるが、全員に「轟雷を応援する」という思いが共通しているということだ。例えばマテリア姉妹は、サムい(私は大好きだが)漫才を通して、「どんな不利な状況でも、強い心があれば大丈夫」「そしてやりきったもん勝ちよ」というメッセージを伝えようとしている。みんな好きなことをやりながら、実はちゃんとした轟雷へのエールを彼女たちなりに表現しているというところが、7話分の彼女たちの関係の積み重ねを感じることができて大変すばらしいのである。また、轟雷自身もそれぞれの出し物とメッセージに対して、そのエールをなんとなくでも受け取っているのがとても良い。そして最後にはあおによる手紙。これもあおのお金に素直な性格やヘタなトランペットというギャグ要素をまといながらも、轟雷へのエールと轟雷へ思いを伝えるという根本の部分では非常に良いシーンとなっている。また何よりも、この手紙の中で轟雷との思い出が乏しいということに気付いたあおがBパートで轟雷と一緒に公園へ出かけるという構成、そのためのフックとしての役割もこの手紙にはあり、そうしたところがこの作品の巧みなところでもある。

さて、上述の通り、続いてBパートではあおが轟雷を連れて公園へ散歩へ行く。この作品の素晴らしい点の一つとして、FAガールたちとあおを中心とした「普通に見える世界」とのスケール感の対比ということが挙げられるわけだが、この第8話でもそれはバッチリとハマっている。Aパートは室内、それも手作りステージを中心に画面がつくられ、目線もFAガールたちの目線が主だった。それに対しBパートでは抜けるような秋の空や紅葉した木など、打って変わって「広い」画面づくりが印象的に用いられる。FAガールたちの世界、そして人間の世界、それらは明確に見えているものが違うけれども、それでも同じ世界にいて同じ時間を共有し、互いの「物語」を紡ぎ合っているのだというところが果てしなく美しい。

さて、Bパートでの主題は「思い出」である。より抽象的に言うならば「時間」と言ってもいい。あおは子供のころこの公園によく来たことを思い出し、「懐かしい」と言う。ここで子供たちやカップルが映るのもいい。あおだけではなく、いろんな人にとってこの場所が「懐かしい」を呼ぶ場所であることが示唆される。それからあおは轟雷の家族の感じを知ってみたいという声に応え、一緒におままごとをする。そこであおが思い出すのは、昔自分が一人でおままごとをしていたことだ。時間的な場面転換が多いのもこのBパートの特徴である。またここであおの両親の話になるのだが、ラブラブな両親を見て一人遊びを中心に育ったあおがこんな風にいい子に育っているということは、うまく言えないが良いなあと感じる。

そこにぐりこと名乗る女の子が現れ、一緒におままごとをする。このぐりこはあおが子どものころ一緒におままごとをしていた人形であり、ぐりこの導きによってあおは昔埋めたタイムカプセルのことを思い出し、掘り起こす。

「タイムカプセルって言ってね、思い出の宝物を入れて、何年も経ってから掘り起こすんだよ」

 「どうしてそんなことをするのですか?」

 「どうしてって……懐かしいって思うために、かな」

懐かしいと思うため、ということは懐かしいという感情を手間をかけてでも感じたいものだと肯定しているのであり、それはすなわち、思い出を、そして時間を積み重ねることを肯定しているということなのだ。思い出の品は、手に入れた時点から思い出の品になるのではなく、時間を経ることで思い出の品へと変わっていく。 どんぐりや父親からもらった気持ち悪いおみやげ、そしてぐりこの人形。あおの思い出として画面に映っていたものを、色あせた「思い出の宝物」としてあおが手に取ってながめている画は静かに、しかし非常に強いエモーションを引き起こす。そしてあおはそのタイムカプセルを再び同じ場所に埋めることを提案する。今日の「未来の思い出の品」も入れて。「そしたらいつか掘り出したときに、轟雷も懐かしいって思えるじゃん?」

フレームアームズ・ガール』は、轟雷をはじめとしたFAガール、いやはっきり言えば轟雷と「感情」の物語なのである。この8話では、Aパートの決起集会でFAガールたちが轟雷を思う気持ちを描き、あおは轟雷への手紙を通して思い出が足りないことに気付く。そしてBパートではその思い出作りということを通して「懐かしい」という感情を轟雷が理解していった。「懐かしい」という感情のためには時間が必要である。あおと轟雷はまだ出会って時間が経っていないということがここでポイントになる。まだ二人の間で(特に轟雷はまだ生まれてからも)時間が経っていないからこそ、「懐かしい」という感情を轟雷が理解することに大きな意味がある。そしてその「懐かしい」のために時間の経過を感じさせる装置やキャラクター、つまり公園やどんぐり、そしてあおの両親やぐりこといった存在がこの回においてとても良い働きをしていた。私は個人的に「懐かしい」という感情がとても好きで、気持ちいいとさえ感じる。私も何年後、何十年後にこのアニメを見て、「懐かしい」と思うときが来るだろうか。そのときを、私も楽しみにしているのだ。

 

 

第4位:『アクションヒロインチアフルーツ』第12話「情熱☆フルーツ」(夏)

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アニメと特撮とヒーローショー。若い女性声優たち演じる女子高生のキャラクターが一部のオッサンしかわからないようなネタを連発するという、一見すれば悪ノリでしかないようなアニメでありながら、全体として見ると驚くほどバランス感覚に優れており、一つの「オリジナル」アニメとして抜群に高い完成度を誇っていたと胸を張って言える。『アクションヒロインチアフルーツ』はそんなアニメだったが、その最終話は出色の出来だった。

自らの不幸体質がチアフルーツの公演に影を落とすことを恐れ、姿を消した御前。御前を除いた8人は、御前なしでリハーサルに臨む。御前は会場が超満員であることを放送で確認し、みんなに謝りながらこれでいいんだと納得しようとする。公演開始前の元気なメディカレッドの影ナレの裏で真剣な表情で本番を待つみんなの表情が良い。そして御前なしで公演が始まる。しかし始まった公演は御前がいるパターンのものであった。それを見て御前は困惑する。「何考えてるの?私はそこにいないのよ!」御前を信じるみんなと、それを受け入れられない御前の対比が効いている。そしてさらに美甘によるアドリブにより、御前を必要とする公演が加速する。美甘のアドリブはプラチナムと御前を重ね合わせたセリフを呼び、ここで他のメンバーと「御前が必要だ」という思いを一致させる。「いつまでも、待ってるから!」そしてこれらのセリフに背中を押された御前は部屋を抜け、みんなの待つ市民ホールへと向かう。個人的には青山勇気の「厳しい戦いの荒野で敵に敗れて途方に暮れていた私を、陽菜野に導いてくれたのはあの人だった!」のセリフが、勇気個人とセインブルーの両方にうまく重なっていて好きだ。そして御前が出て行って、キャリーバッグだけが残された無音の部屋のカットがすごく良い。

ところで、美甘の突然のアドリブによる御前とプラチナムを同一視した展開は、満員の観客をおいてけぼりにしているのではないかという見方がある。言いたいことはわかる。本音を言えば11話まで見てきて今さらそんなことにツッコむのはあまりに野暮でしょうもないことだとも思うが、この点に多少の無理があることは認めなければならない。しかしその無理を認めてでも、この展開をするだけの十分な理由が彼女らにはあったと考えるべきだろう。チアフルーツは「陽菜野を元気にするため」に活動していた。陽菜野市文化会館をいっぱいにするということはその象徴的目標でもあった。しかし彼女らにとって、最も元気にしたい相手はずっと一緒にいた城ヶ根御前個人であったのだ。というよりも、御前なしで陽菜野を元気にしたとは言えないだろう。大勢の観客に「内輪ネタ」を見せることが不誠実というのであれば、大勢の観客に対して、誰よりも陽菜野を元気にしたいという思いを強く持っていた御前のいない「空虚な成功」を見せてしまうことの方が何倍も不誠実だと、そう考えることができるのではないだろうか。

さて、自転車にまたがり文化会館に向かった御前は、不幸体質を発揮してしまい崖から落ち、再びくじけそうになる。そこで御前が手に取ったのはみんなからもらった御守りであり、その中にはみんなからのメッセージが書かれた手紙が入ってあった。御前はその手紙を目にし、くじけそうな心と訣別し、ここからはただひたすらに前を向いて走る。最初、部屋にいた御前を押したのは確かに御前に向けてではあるが、一応は演劇上のセリフであった。もちろんこの重ね合わせ自体も非常に良いのだが、次にこの場面で御前の背中を押したのは、御前個人に向けてのメッセージである。この二段階にわたる御前へのメッセージは、アニメと同じように「虚構」を扱いながらも、アニメとは違い現実の人間が役を演じるという「特撮」や「ヒーローショー」の持つ重層性を考えるに当たって示唆的だ。ここでのみんなからの直筆の一言が、それぞれ個性が出ていて良いのは言うまでもないが、個人的には果音の字が綺麗でないのがすごくそれっぽくて好きである。そして「ごぜんさま~♡」とだけ書いて自分の似顔絵を載せるはつりも。

「あと10分」という御前からのメッセージをもとに、御前がくるまでなんとかつなぐ。ここは花火の回でのアドリブつなぎを彷彿とさせるが、あのときステージをつないだのは他ならぬ御前だった。こうした伏線の回収も美しい。一方御前は自転車を捨て、自らの足で走る。「私は強くなる!みんなと一緒に、戦う!」水たまりに転んでも、御前はもう歩みを止めることはない。「やっぱり私はもってない……なんて、言わせるか!」ずっと自分を責めていた御前が、初めて自らの不幸体質を意志の力で克服したこのセリフは、今作屈指の名場面だ。ようやく会場についた御前はステージへ。ここでもプラチナムと御前を重ね合わせたみんなのセリフが感動的だ。そしてプラチナムはブラックの一撃により倒れてしまうが、同時に呪いは解け、ブラックとパープルはヒナネクターとしての姿に戻る。陰と陽という言葉が出てくるが、陰とは不幸体質の御前のこと、そして陽とは文字通り陽菜野のことだととることはできないだろうか。すなわち、陽菜野の地に御前がいることの肯定であり、陽菜野のために陽菜野を離れたさっきまでの御前の否定、克服であるのだ。また、やはり御前が路子に対し「呪いはあなたに切り裂いてほしかった」と言うのはずるい。このあたりは路子もプラチナム呼びではなく御前と呼んでいるなど、全員かなり感極まってしまっているのが伝わってくる。そして暗黒移動要塞との最終決戦。とはいっても決戦と言えるほどのものではないが。最後は観客の力を借りて締めるあたりはヒロインショーの文脈に則っているし、決してこのステージが観客を置いてけぼりにしていたわけではないということを示してもいる。「こんな内容なら観客はついてこないはずだ」などというのは視聴者の高慢でしかないのだ。彼女たちの物語については劇中の観客よりもアニメの視聴者の方がよく知っているかもしれないが、今そこにあるヒロインショーについては、アニメ視聴者よりも劇中の観客の方がよく見えているはずなのだから。

最後には元気も含め、9人で歌う。ここでOPが流れるのは当然誰しもが予想できる、その上で待ってましたの展開だ。情熱フルーツは苦くない。酸っぱくもない。情熱フルーツは甘いのだ。チアフルーツという作品における主人公は誰か?杏か、美甘か、それとも御前か。どれも当たりでどれも外れだ。第一話のOPイントロにかぶせたナレーションはこう言っている。「日本全国でご当地ヒロインが人気を博し、カリスマ的存在まで現れた今、政府はついにふるさとヒロイン特例法案を可決させた。この物語は、その流れに乗り遅れた地方都市を元気にしようとする少女たちの物語である」あくまで「少女たちの物語」すなわち9人全員が主人公なのだ。もちろんそんなことは12話まで見れば言われずとも分かることである。

さて、OPに乗せてその後の9人が描かれるのだが、個人的にはやはり青山姉妹が一番好きだ。裏方に徹していたが、自らがステージに立つことを考えて機動性のある車椅子を調べる元気、そして元気の振り付け案を考える勇気。元気が勇気に抱き着いているのが本当に良い。また、美甘はパソコンで1話のあの手作りカミダイオーショーを見ている。始まりはあそこだったのだ。そして定番の美甘の顔芸もしっかりと入れてくれているのには笑わされる。そしてヒナネクターはシーズン2へ。アニメは終わっても、陽菜野を元気にする彼女たちの活動はまだまだ終わらないのだ。1話では手作りのパクリだった彼女らが、最終話で他の何でもないオリジナルを見せてくれた。チアフルーツのアニメ全体としてもたくさん言いたいことはあるが、とりあえずこの12話について一言言うとすれば、完璧。何よりもこの言葉がふさわしいと、そう思う。

 

 

 第3位:『武装少女マキャヴェリズム』第7話「怪しき刃『眠目さとり』」(春)

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美少女×剣戟。それは太古の昔から揺るがない勝利の方程式である。各話、各ヒロインとも魅力的、特に最終話の締め方も良かったこのアニメだが、その中からこの第7話を2017年ベストスリーに選んだ。

この回の魅力、それはもうとにかく「美少女×全裸×刀×風呂(それも露天風呂)×バトル=∞」ということに尽きる。大事なことなのでもう一度言おう。美少女が風呂で全裸になって刀を振り回しバトルするアニメーションが最高でないなんてことがあるだろうか?いや、断じてない。

さて、この回は捏造スキャンダル写真を撮られてしまった納村が「勃起していない」元写真をさとりから取り返すため、風呂場で戦うという話だ。なぜ風呂場でそれも全裸で戦うのか?それが男のロマンだからだ着替えの中にデータがないかと脱衣所に忍び込んだところをさとりに見つかり、風呂場で全裸なら納村は戦いに集中できないだろうというさとりの策謀に納村がハマってしまったからである。こういう「このシーンがやりたい!」ということのためにとりあえず説得力や必然性をもたせようという姿勢は好感が持てる。この回は中盤ということもあり、天下五剣各キャラの立ち位置もそれぞれ良い感じに描かれている。輪とメアリは蚊帳の外で納村を想いながら疑似飲酒をし、蕨は納村と共闘、さとりは納村と敵対し、月夜はその場にはいないがすべてを見通しているラスボスの位置。しかしやはり妹分にお酌をさせて疑似飲酒にふける輪とメアリは本当に良い。未成年がノンアルコールや麦茶で酔っぱらうアニメは名作。ヒロインたちが次第にデレていくタイプのハーレムアニメにおける重要なデレシーンでもある。あと輪が鬼面を外した素顔が見られるのも良い。

ともあれ、この回の見どころは上に書いたように風呂場での戦闘シーンだ。全裸で刀を振り回す(振り回す、というよりはもっとスマートな太刀筋だが)さとりだが、謎の光はそれほど使わずに(ときどき下に構えた剣が光を放ったり湯気が不自然に濃くなったりしているが)暗めの静かな画面で戦闘を描き続けるのは気を散らすことが少なく、好感が持てる。目線を外しながら攻撃してくるさとりの「余所見切り」に苦戦する納村は「なんもわからんなあオタクのことは!」という全オタクに突き刺さる名セリフを発する。(納村の二人称が「オタク」であるせいでこういうセリフがいちいち面白い) 続けた納村の「バケモノ」の言葉に反応してさとりの攻撃が一瞬粗くなるのだが、このときのさとりの演技、そして目線の演出などが、先ほどまでの「バケモノじみた」さとりとの微妙な対比で眠目さとりというキャラクターの演出に効果的で見事だ。納村はさとりの太刀筋から「神道無念流」の使い手であるとみたが、さとりはそれに「10点」をつける。さとりはそれからスタイルを変えながら納村を攻め続ける。納村はつぶやく。「まるでチャンポン剣法だ……」自分の言葉でひらめいた納村はさとりが10の剣法をより抜いた「警視流」の使い手であることを当てる。一つ当てれば「10点」とはそういうことだった。さとりは正解した「ご褒美」に「秘密の遊び」、剣術文字鎖を披露する。これはなるほど面白く、他の回でももっと見てみたかった。一方、脱衣所で戦う蕨も毒にやられ苦戦する。自分の体を自ら傷つけてまで勝利を掴もうとする蕨からは、五剣であることのプライドと同時に、納村への他のキャラとはまた少し違った感情も読み取れる。

苦戦する納村はさとりの「バケモノ」への反応、そして過去の蝶華、メアリの「ナニ」への反応を思い出し、一つの賭けに出る。ここで露天風呂から屋内風呂へ戻るのも主導権が移ったことを示していて面白い。納村は服をすべて脱ぎ、全裸になる。するとさとりは目線が泳ぎ、否、「ナニ」を凝視するか意図的に視線を外すかとなり、せっかくのさとりの強みは消え失せ、勝負は決する。「非人間的」だったさとりが「生理的」な反応を見せたことにより、納村は目の前にいる存在への「恐怖」を取り去ることができたのである。ギャグでしかなかった以前の「ナニ」目撃シーンや冒頭の勃起シーンを伏線として張る手腕は美しい。

さとりとの戦闘は、得体の知れなかったさとりに対し、納村が言葉と剣を通して少しずつ謎を解き明かしていき、ついには自分が全裸になることで、「ナニ」に対する反応からさとりが普通の女子であることを見抜いたことで勝負は決した。さとりの強さは「人間らしさがないこと」であり、さとりが「人間」であることを見抜くことこそが勝利への鍵だったのである。その点では蕨の相手も仮面をかぶっており誰かは分からないし表情も読めず、その謎めいたいで立ちはさとりとのシンクロしている。実際、仮面の女の正体はさとりの姉、ミソギであった。(本当はミソギがさとりなのだが。ややこしい)

「人間未満」と見られ、不気味だった眠目さとりをこの一話を通して「ヒロイン」の一人に参入させたということは、ハーレムアニメの中盤の回としても見事だった。上で書いたような演技や表情の微妙なブレもしっかり効いていた。そして戦闘シーンのアニメーション的な面白さが単純に自分の好みであり、総合してとにかく楽しかったというところからこの回を第3位に選んだ。一つ付け加えるならば、戦闘のなかでOPのさとりの剣に手を添えて突進するカットと同じカットが出てきたのも良かった。あと、一瞬しか出てないけどさとりの水色のブラ、かわいいよね……

 

 

 第2位:「ロクでなし魔術講師と禁忌教典」第2話「ほんのわずかなやる気」(春)

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 『ハンドレッド』以来(途中『魔装学園H×H』はあったものの)一年ぶりの「正統派」(要出典)ラノベアニメということで一部から大きな期待をかけられていたこのアニメ。1話から3話の流れはその期待を上回る出来だったと言えるだろう。その中でも1話のダメっぷりから一転、頼れる主人公っぷりを大いに見せてくれる気持ちよさが見事なこの2話は抜群だった。

1話ラストで決闘に「普通に」負けたグレンだったが、一向に授業(する側の)態度を変えることはなかった。システィはそんなグレンに魔術の偉大さを語る。「魔術はこの世界の真理を追究する学問よ」しかしグレンは問う。「何の役に立つんだ?」魔術が他の学問に比して何の役にも立っていないのではないかということを指摘され、苦し紛れに答えるシスティ。「魔術は、人の役に立つとか、そんな次元の低い話じゃないわ。人と世界の本当の意味を探し求め……」しかしグレンは決定的な一言を告げる。「魔術はスゲー役に立っているさ。人殺しにな」アバンでのこのやりとりが痺れる。現実世界でも、人文学系の研究はよくこう問われる。「それは何の役に立つの?」そしてその学問のことを真の意味で理解できていない人間はこう答えるだろう。「人の役に立つとかそういう次元の低い話ではなく……」つまり、「魔術」というファンタジー上の憧れ得べき概念を現実世界の立場の悪い学問とリンクさせ、「魔術」への漠然とした憧れの気持ちを一度壊しているのである。そしてその上で「魔術」の殺人という性格を拾い上げることで、再度「魔術」の持つファンタジー性を浮かび上がらせ、その上でこれまでの憧れた「魔術」像とは違った、ナマの「魔術」像を示した。それはシスティに対してはもちろん、視聴者に対してもである。CM明けAパートではこのセリフを受け、背景はぼやけ、システィとグレン以外のキャラクターは見えなくなる。しかしこの効果は、システィがグレンにビンタすることによって解ける。システィの感情の乗った「大っ嫌い!」は圧倒的だ。「ロクでなし」と呼ばれたグレンが魔術を「ロクでもない」と言っているのもいい。

「ガキは自分か……」とひとりごち、教師をやめることを決心したグレンだったが、一人魔術の練習をするルミアを見つけ、ほんの少しのアドバイスをする。いいところなしだったグレンが初めて見せた魔術講師らしい一面であり、このときのルミアの笑顔はシスティとの対比もあって印象的だ。その次のルミアがグレンに過去の話をする場面では、ルミアの影がグレンの影に重なるところがルミアのグレンへの寄り添いを示しているほか、ルミアの顔が夕日に照らされ、一方グレンの顔が影で暗くなっているところは、グレンの仄暗い過去と、輝く未来を持ったルミアの対比が効いていて美しい。そしてここから「ロクでなし魔術講師」グレンは「ほんのわずかなやる気」を見せ、一転して頼れるグレン「先生」となる。

まずグレンはシスティに謝る。そしてグレンは「授業」を始める。自身、一節詠唱もできなかったことで生徒にバカにされたショックボルトを例にとり、呪文と魔術の関係について講義する。三節詠唱を四節にすれば何が起こるか?の問いに誰も答えられず、耐えかねたグレンはこう言って四節詠唱のショックボルトを放つ。「右に曲がる、だ」このシーンはこれまでダメダメだったグレンがついに「講師」としてのカッコいい姿を見せてくれるシーンであり、大きなカタルシスを与えてくれる。右に曲がったショックボルトがシスティの目の前を通り、あたかも風が吹いたように髪がなびくところが気持ちよい。ここからまさに堰を切ったようにグレンの講義は流れていく。ショックボルト「程度」の呪文について自分たちの知らないことがこんなにもあり、そしてそれを他でもない一節詠唱もできないグレンによって教えられている、この生徒たちの唖然とした表情、前のめりの姿勢がたまらなく良い。そしてグレンは魔術について次のように言う。「魔術はな、人の心を突き詰めるもんなんだよ」その後のシスティをからかうシーンはラノベアニメのお約束。顔を赤らめるシスティーナ・フィーベル、かわいい。その次の「まあ/とにかく/痺れろ」による呪文起動には痺れる。そしてAパートの締めにはあの決めセリフだ。「興味ないやつは寝てな」

このセリフ、実はこの2話放送前からCMでたびたび流れていた。よってセリフだけは視聴者に刷り込まれていたが、グレンの頼れるところが出てこなかった1話時点ではただのギャグでしかなかった。しかしそのセリフが本編で最も効果的な場面で流れることで、ギャグでしかなかったセリフが一転して最高の決めセリフとなったのだ。ここまでの一連の主人公グレンへの評価の反転がこの2話の最高に気持ちいいところなのである。もちろん、この気持ちよさのためには1話も大きく貢献しているのだが。また、CMもちゃんと見ていることで、初めてこのセリフを最大限に気持ちよく感じることができるという点からは、CMも飛ばさずにちゃんと見ることの大切さを我々に再確認させてくれ、そして図らずもCMが本編への有効な伏線として機能した奇跡にわれわれは拍手を贈るのである。

さて、Bパートでは学園にテロリストたちが乱入する。Aパートがグレンの「講師」としてのカッコよさを見せるものであったのに対し、Bパートはグレンの「強さ」と「頼りがい」を見せるものであった。授業に遅刻したグレンは学園の違和感に気付く。一方教室にはルミアを狙う男たちが表れる。ここでは気丈なルミア、そして強がってはいるが恐怖が顔をのぞかせるシスティの対比が良い。この点においては、「か弱く見えるが心は折れないタイプ」のルミアよりも「強がって見せちゃいるが、自分の弱さに仮面付けて隠しているだけの」システィを××しようとするレイプ魔の意見に激しく同意だ。しかしこのレイプ魔、レイプ魔にしておくにはもったいないくらいのわかり手である。レイプ魔じゃなくてオタクになっていれば仲良くなれたかもしれない。(いや、それはどうかな……)レイプ魔と連呼してしまっているが、こいつを表すのにこれ以上しっくりくる言葉がないので仕方がない。システィは案の定下着を見られるとさっきまでの強気な声とは打って変わってか細い声で助けを求める。こうなればレイプ魔でなくともこう言ってしまう。「落ちんの早すぎだろ!お前最高」はっきり言ってこのシーンは単純にエロいし興奮する。「いっただっきまーす!」……ってお前はエロ同人読みすぎレイプ太郎か?

というところでグレン先生が颯爽と(?)登場。講義の中で説明していた固有魔術「愚者のアルカナ」を展開し、レイプ魔の「ズドン」を完全封殺。しかし自分も魔術起動できないという弱点を自ら暴露し、やっぱり頼りないと思わせてから一転肉弾戦でボコボコに。カッコいい。ひたすらカッコいい。思春期男子が憧れるシチュエーションを軽くやってのけるグレン先生カッコいい。「てめえナニモンだ!?」の問いにグレンは答える。「グレン・レーダス。非常勤講師だ」一回はやってみたい受け答えだ。そしてグレンはとどめにと「魔法の鉄拳マジカルパンチ」を繰り出す。そう、それはキックだった。「そこらへんがなんとなくマジカル!」最後のパンチという名のキックは、講義の中でグレンが言っていた「言葉の力」まさにそのものだと言える。パンチと言ったからにはパンチを繰り出してくるだろうと相手に思わせて実はキック、それはただの卑怯技と言えばそれまでだが、言葉の力を借りている技だということを踏まえると、それは確かに「なんとなくマジカル」なのだ。

1話でダメダメっぷりを発揮し底値を出したグレンが、一気に株を上げてひたすらにカッコいいところを見せる、その気持ちよさが素晴らしい。そんなロクアカ2話は正直初見時からベストテン入り確約といっていいほどであったが、この度見事2017年話数単位第2位に選出することができた。展開がわかっていて何度見ても気持ちがいい、これは本物の気持ちよさだ。

 

 

第1位:『プリンセス・プリンシパル』第6話「case18 Rouge Morgue」(夏)

女子高生(二十歳もいるけど)(そこがいい)×スパイ×スチームパンク。やりたいこと全部詰めたらめちゃくちゃ面白いアニメが出来てしまったというのがこの『プリンセス・プリンシパル』である。放送前にはほとんど話題には上っていなかったが、1話が放送されるとジワジワと評判になり、ついには世間的に夏クール覇権アニメにまで上り詰めた名実ともに名作のこのアニメ。基本的には一話完結ということもあって話数単位という選出方式にも相性は良かったということもあり、並みいる強豪たちを抑えてでもやはりこの6話は1位に選ばれざるを得なかった。

この回はドロシーとベアトリス、特にドロシーのメイン回だ。アンジェ、プリンセス、ちせはお留守番で、5人の中でも最も「スパイらしくない」二人が主となる。この二人のスパイらしくなさはその捨てきれない人間味にあり、それゆえこの回が屈指の人情回になったのは必然と言える。 今回の任務は死体漁り、アクションが必要ない分この二人だけでも十分に遂行できる任務であるが、それはそうとしてやりたくはない任務だ。なぜ自分なのかというドロシーの問いにセブンは答える。「その協力者があなたの知っている人だからよ」その協力者とは、ドロシーの父だった。

ドロシーは連絡役としてベアトリスを連れ、モルグへ向かう。ここでの会話からドロシーがベアトリスを連絡役に指名したのではないかと推察できるが、自分の実の父がいる場所に行くということは、自分の私生活が多少なりとも明らかになってしまう可能性が高い。それを踏まえてベアトリスを指名したことを考えると、ドロシーが(父親によって喉に機械を埋め込まれた)ベアトリスに対して少なからずシンパシーを感じ、心を許していたのだろうということがうかがえてよい。さて、モルグに着いた二人はさっそく働くことになる。仕事場に入って二人が最初に見た光景は、同僚に向かって暴言を吐く男の姿だった。ドロシーは顔を背ける。ベアトリスはそれを見てドロシーにつぶやく。「サイテーですねあの人」ドロシーの父はドロシーを見つけ、駆け寄る。「デイジー、デイジーじゃねえか!」ドロシーはなおも顔を背けたままだ。そして少しの拒絶を諦めで覆い隠したような表情で答える。「ああ。久しぶりだね、父さん」モルグという最低の場所で最低の父親と最低なシチュエーションで再会したドロシー。ベアトリスはその父親を普通に見て素直に最低だと言う一方、ドロシーは実の父親を真っすぐ見ることも素直に受け答えすることもできないでいるのだ。モルグから帰ったベアトリスがプリンセスとの会話の中でふとドロシーの父親の話題を出してしまうがすぐに話題を変えようとするところは、スパイとしての未熟さとドロシーへの気遣いが見えて良い。

モルグの人たち、その雰囲気も良い。「ここは訳ありの連中ばかりだ」とベアトリスに話す老人は屈託のない笑顔を見せながら「こうやって死人と働いてる方が落ち着くんだ」と言う。こんな老人がここでは「普通の人」なんだということが、静かにこの場所の異常性を映す。そんな中、ドロシーは父が借金取りに絡まれているのについ首を突っ込んでしまう。ドロシーに悪態をつかれ、声を荒らげて壁を殴った父に対しドロシーはスパイらしからぬ「本音」をぶつける。「本当のことでしょ!ケガしたって、頑張ってる人はたくさんいるよ!父さんはケガのせいにして逃げてるだけじゃない!」スパイと協力者という関係ではなく、子どもと親の関係になっているのだ。父は自分をコントロールできず、物に当たり散らす。このときのモルグの人たちの反応からは、これがいつものことで構ってはいけないことが察せられる。そこに構いにいったのは「新参者」でありドロシーの「友達」であるベアトリスだった。「あなた、お父さんなんでしょ!?だったらちゃんと、お父さんやってくださいよ!」自分の父親にひどいことをされたベアトリスが方向性は違うが同じくひどい父親に対して言いたいことを言うのだ。そして続いては一部の性癖の人をこれ以上なく興奮させた「友達の父親に改造された喉をいじくられるシーン」がくる。「やめてください!」の声が機械的に震えているところが個人的には非常に大変グッと来る。たぶんこの感覚はあんまり個人的でもないのだろうが。ベアトリスの喉がバレるのはおそらく大変マズいのだろうが、モルグという「訳あり」たちが集まる場所ということもあって、モルグの人たちの反応も「知らんぷり」で、こんな秘密を知られても、おそらくベアトリスのモルグの中での居場所は変わらないのだろうということが少し悲しい。そしてもう一つグッと来るのは、ドロシーに突き飛ばされた父が俺を置いて行かないでくれと泣き叫ぶシーンである。それを見たベアトリスは驚いたような、少しかわいそうだと思うような表情を見せ、一方でドロシーは苦虫を噛み潰したような表情で父を睨む。右側のドロシーとベアトリスに対して情けなく床に沈む父を左に配置した引きのカットでは、父のすぐ奥にある真っ暗で先の見えない階段が父の行く末を暗示しているかのようである。

そんな父を見た後、ドロシーはベアトリスに自分と父の身の上話をする。ドロシーは父について「自分をコントロールできないんだ」「弱い男だよ」と言う。しかしそれは自分自身のことを言っているようにも聞こえる。なぜそんな話を自分にするのかというベアトリスの問いにドロシーは答える。「私は、たぶんアンジェより弱いんだ」この二人の会話がとにかくいい。風になびく髪がいい。スパイでありながらスパイになりきれない二人が、ニセモノだらけの毎日の中にほんのわずかのホンモノを共有した時間だ。そしてここでは一部の性癖の人をこれ以上なく興奮させた場面第二弾、子ども時代のドロシーが父親に殴られるシーンが出てくる。父のそれは典型的なDVであるが、その「普通」さがとても悲しく、やるせない。一方でアンジェとプリンセスは壁をなくすことについて語り合う。こんな世界で再び会うことができたアンジェとプリンセス、こんな世界で再び会ってしまったドロシーと父。それはほんの少しだけうれしくて、やるせなく、悲しい。

さて、ドロシーとベアトリスはノルマンディー公との連絡手段を見つけるため、酔いつぶれた父を寝かせて家の中を探す。そこでドロシーはかつての楽しかった家庭の面影を見、ベアトリスも壁に貼ってあった写真と絵からそんなかつての家庭の切れ端を見つける。父が根っからのダメ人間ではなかったことが示され、十分にありえたかもしれない幸せな家庭を思うだに、各人のやるせない思いに胸が締め付けられそうになる。寝ぼけた父はドロシーを見て母親と勘違いするのだが、このときの「ドロシー」「デイジーだよ」の受け答えが本当にただただ良い。ドロシーが母親の名前をコードネームにしていること、今のドロシーが母親の面影を残していること、そして父はまだ幸せだったあの家庭のことを夢に見ていること……

しかしここで図らずも父からターゲットについて情報を手に入れる。父はそれについてただ「もうけ話」だと言った。「任務」で来ているドロシーはどうしても複雑な表情を浮かべてしまう。一方でノルマンディー公は「金のために動く人間が一番わかりやすい」と言っていた。「金のために動く人間」であったはずの父は、その後「娘のため」に欲をかき、ガゼルに始末されてしまう。親子の再会は最低だった父に生きる希望を与え、皮肉にもその希望によって父は死ぬことになるのだ。

そのころベアトリスとドロシーはついにターゲットを見つける。手のひらに十字を書いてドロシーに伝えようとするベアトリスがかわいい。ドロシーは暗号表をそのまま持って帰らず、書き写して元に戻す。ノルマンディー公に気付かれないように、そして父を助けるために。この優しさがまた、父を死に導いてしまうことになる。ドロシーが暗号表を父に渡すと、父は喜び勇んでモルグを出る。追いかけようとするドロシーと父の間をストレッチャーが遮る。死人を乗せたストレッチャーの向こうに行ってしまった父の「こんな人生オサラバだぜ!」の言葉を聞いたのを最後に、ドロシーは父と永遠に会えなくなる。わかりやすくて、だからこそストレートに悲しい、悲しい別れの場面だ。そこには笑顔があった。笑顔があったがその結末はあまりに予想がつき、なおかつあまりに悲しい。これまでと打って変わった優しいピアノの劇伴も効果的だ。ずっと汚いモルグにいた父が訪れたのはきれいな、それはきれいな教会だった。父は待っていたガゼルに取り引きをもちかける。悲劇の結末は加速する。

一方でドロシーとベアトリスは借金取りに出くわす。父親に売られたと思い込んだドロシーは手加減なしで借金取りたちをねじ伏せる。「ベアト!」と一言発して帽子を放り投げ、無言で借金取りたちを瞬殺するドロシーがカッコいい。この回唯一のアクションシーンでもある。そしてドロシーの父に対する誤解は解け、あとはパブで父を待つだけとなる。そしてその父はガゼルとの「取り引き」で、娘のためにと二倍の報酬を要求する。「金のため」つまり借金を返すため、過去の清算のためではなく、「娘のため」つまり未来のために動いてしまった。未来ある人間は信用できない。ガゼルはその場でドロシーの父、ダニーを殺す。「クソみたいな人生」とは永遠にオサラバとなる。さて、そうはいってもいずれにしろダニーは口封じのため殺されていたのではないかということは確かに考えられる。そもそもガゼルはご丁寧に斧まで持参していた。しかし、私はダニーの気持ちの変化がなければ、すなわち未来に希望なんてないダメ人間のままでいれば、殺されることはなかったのではないかと思う。いや、そう思いたいだけかもしれない。それほどまでにこの結末は、確かにありがちではある、ありがちではあるが胸を締め付けられるほどに悲しい。

ラストのパブのシーン、まさに感情もクライマックスのシーンだ。二人はありえたかもしれない幸せな未来、しかし二人が会うことのなかった未来に思いを馳せる。ベアトリスは「お父さんに感謝ですね」と言う。そこには初めて見たときの「最低な人」という感情はもうない。そしてベアトリスはドロシーの父の声でいつもドロシーが歌っていた歌を歌い出す。それは客全体での合唱になり、その歌声に送られるようにして、ダニーの死体はモルグに送られる。モルグの人たちの表情も良い。「遅いな、父さん」父を待つドロシーの少し頬を赤らめた表情は、少し酒に酔ったからなのか、それとも……

長々と、長々と書いてしまったが、この回はそれだけすべてのシーンがただ一つの予測可能な結末を効果的に見せるために存在していたといっていいだろう。何が起こるかわかっているのに、何度見ても感情を揺さぶられるように作られているのが本当に見事だ。私はこの回を初見で見たとき、終わってから「うわーん」と、本当に、それこそフィクションのような声を出して泣いてしまった。あまりクサいことを言いたくはないが、「無」からこれだけ感情を揺さぶるものが作れるなんて、アニメはすごいなあなどとしみじみ感じてしまった。そういったわけで、話数単位で選ぶなら、どうしてもこれを1位にするしかなかった。どうも私は家族と死が出てくる人情ものに弱いようだ。

 

 

 

 

というわけで5位から1位は以上の通りだ。ためてしまった分筆が走るままに書いていたら、明らかに読む人のことを考えていない文章量になってしまった。反省している。多いだけでなく時間も必要以上にかけてしまったので、2018年はもっと簡素に書いていきたい。まあ、自分で読み直して誰に対してでもなく頷くのが主な目的なので長くてもいいのはいいんだけれど。時間かかると続かなくなってしまうのが嫌なので。

 

さて、ベストテンに入らなかったものも含め、ノミネートした20本を以下に置いておく。一気見したのは3週間前なのですでに懐かしくもあるが……

 

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 ノミネートの中では

冬:4本

春:6本

夏:5本

秋:5本

とそれぞれバラけていたが、ベストテンの中では

冬:1本

春:3本

夏:4本

秋:2本

となり、順位も考えると春と夏に偏ったような結果となった。作品単位で考えると決してクールごとに大きな差があったとは考えていないが、話数単位だとそうなる、ということなのだろう。

今回のベストテンを眺めていると、面白い、笑える系統の話よりも良い話が多くランクインしているように思える。2016年の1位、アクティヴレイド第5話がどちらかと言えば笑って興奮してというタイプの話だったのに対し、2017年の1位、プリンセス・プリンシパル6話は泣いて感動してというタイプの話だった。しかし過去の自分に自分の好みを規定されることのないよう、今年もただ自分が「好きだ」と思える作品に出会うため、そのためにたくさんアニメを見ていきたい。

 

 

 

……しかしこの記事ほんとに長いな。

 

 

2017年テレビアニメ話数単位で選ぶマイベストテン ―第10位~第6位―

 

年末年始はゆっくりできる状態ではなかったのでこのタイミングになってしまったが、2016年と同様に2017年の話数単位10本を選出していこうと思う。

今年も10本選ぶだけでなく、ベストテンという形で順位をつけていこうと思う。前回行った2016年のベストテンについてはこちらの記事を参照していただけると幸いである。

 

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上記記事に書いてあるが、ただ10本を選んで終わりではなく、20本をノミネートした上で連続で視聴、そのうえで1位から10位までを選定する。レギュレーションは以下とおりである。

 

「今年の10本」に選びたい話数を20本選び、これをノミネート作品とする。

同タイトルからは2本までとする。ただしできるだけバラけるのが望ましい。

20本の試聴順をなんらかのランダム方式で決定する。(私はあみだくじを利用した)

試聴順に沿って20本をできるだけ一気に視聴。

改めて見直した感想、そして初見時の記憶などをもとにノミネート20作品の中から上位10本を選ぶ。上位10本については順位をつける(なお、ノミネート作品の中に同タイトルから2本選んでいた場合、その2タイトルを両方とも選出することは構わないが、できるだけバラけるのが望ましい)

 

前回時は同タイトルから2本を可としたが、今回からは同タイトル1本までということにレギュレーションを変更した。

 

ではさっそく10位から発表していきたい。

 

第10位:『アニメガタリズ』第11話「共ニ語リシ光輝(めいゆう)ノ裏切リ」(秋)

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10位には意欲的な「アニメ表現」のストーリー展開への組み込みが見事だったこの回を選んだ。

朝起きたみのあであったが、朝っぱらからイチャイチャする両親に違和感を覚える。両親にではない。そのまわりにハートが「浮いている」のだ。さらに違和感は続く。謎の丸い玉を発生させる姉の麻耶。さらにトースターから勢いよく飛び出たパンをくわえて玄関に走る。そして違和感は恐怖に変わる。麻耶の顔が「変わって」しまった。そう、それはまさに一昔前のアニメで見たような、そんな顔に……

アニメの中でアニメ表現が「異質なもの」として組み込まれたとき、アニメの中のアニメキャラクターはいかなる反応を示すのか。メタ表現がアニメの中で取り入れられることはさしてめずらしいことではない。そしてそれはたいていの場合、ギャグとして取り入れられる。だがこの回におけるメタ表現は、視聴者としてはギャグとして受け取ることも可能であるが、本編の表現としてはみのあに「恐怖」を感じさせるものとして働いている。中でも秀逸なのは午前中の授業が「一瞬」で終わるシーンだろう。アニメの表現としては時間を切り取ることは日常茶飯事である。視聴者にとっては30分のアニメでも、アニメ存在はアニメ時間を過ごす。現実に流れる時間を無視して極小時間から極大時間までを自由に表現できることは、アニメという二次元表現の醍醐味でもある。だが当然、視聴者にとって「一瞬」の授業風景がツッコミなく存在しうるのは、アニメの中では相応の時間が経っているという暗黙の共通理解があるからこそなのである。アニメに浸食された世界で唯一不変であると考えられていた「時間」の概念にヒビを入れられたときのみのあの底知れぬ「恐怖」は、単なるギャグを超えた恐ろしさを視聴者に提示する。

また、作画の唐突な変更によって顔が「変わる」シーンも印象的である。自分自身「アニメ顔」である「アニメ存在」のみのあが「90年代作画顔」に恐怖するということは、作画の統一性がアニメ内における認識の担保に大きくかかわっていることを示す。

そしておそらくもっとも異質な画面は、みのあの家族がモノクロの1960年代作画になり漫符的表現としての「走り」を見せるシーンではないだろうか。世界がアニメにのみ込まれたとき、どこまでを自分と同じ「人」として認識できるのか。アニメにおける作画の向上がキャラクターの実在性の向上への取り組みであるとするならば(もちろん、そのように一口で言えるような話ではないが)、果たしてみのあは「50年前」の家族を自分と同じ「人」として認識することができたのであろうか。

このようなメタ的表現が成立するのは、アニメの長い歴史があり、かつその表現について作り手と視聴者のあいだに知識としての共有がなされているからこそなのである。そういった意味で、アニメガタリズ11話は『アニメガタリズ』という作品自体のテーマとも沿っていると思っている。

この回は、これまで積み重なったキャラクター同士の関係性についても見どころがある。特にBパートでみのあに「ごきげんよう」と言うアリスのセリフは、第1話で誰に対しても「ごきげんよう」としか言わなかったアリスを思い出させ、単にアニメの「現実世界」への浸食という恐怖にとどまらず、これまで10話分で培った友情をも失ってしまったみのあの絶望を表現するに十分すぎる一言であった。そうであるからこそみのあはオーロラ、もとい中野先輩の口車に乗り、ドアを開けてしまうのだ。

多少粗も目立ったことは否定しないが、「アニメ」をテーマにした作品でメタ表現を組み込んでストーリーを展開したという点において、このアニメガタリズ11話は一つの大いなる試みであり、評価したいと思わせてくれる一話であった。

 

 

第9位:『けものフレンズ』第1話「さばんなちほー」(冬)

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2017年、最も話題になったアニメといえばこのアニメを挙げるほかはないであろうが、その中でも導入のこの一話は秀逸であった。

アニメの第1話というものはむずかしい。まずその1話を視聴者に見てもらわなければならないし、その上で2話以降も見ようと思わせなければならない。往々にして第1話には一度にたくさんのキャラクターが登場して「顔見せ」をしたり、ド派手なアクションや美麗な作画にリソースを投入して視聴者を惹きつけようとしたりする。それはいわば「足し算」の考え方で作られているといえる。

それに対してけものフレンズの第1話は「引き算」の考え方で作られているというように感じた。考えてみれば「けものフレンズ」には非常にたくさんのフレンズがキャラクターとして存在しているわけで、1話からたくさんのキャラを投入してもよかったようにも思える。そうすれば、視聴者を内容でつかめなかったとしても、少なくともどのフレンズが好きかということが話のタネになりうる。しかし、実際には出番があるのはかばんを除けばほとんどサーバルとカバのみである。2話のじゃんぐるちほーでセリフが一言だけのフレンズが大量に出てきたことを考えれば、1話のどこか寂寞とした画面は1話にふさわしくないようにも思える。

ではなぜ大量のフレンズを投入しなかったのか。そしてそのこととも関わってくるが、なぜ1話の舞台をさばんなちほーにしたのか。それは一言でいえば「サーバルをパートナーにするため」である。

このアニメでは、かばんとサーバルという「二人で」旅をすることに大きな意味がある。かばん一人で旅をしているわけではないのだ。そうすると、サーバルは自分のナワバリを飛び出してずっと(図書館を目指す)かばんについていかなければならない。もし第1話でたくさんのフレンズが出てきたならば、サーバルはついていっただろうか。たくさんいることは誰もいないことと等しく、ただ一人であることは一人がいるということなのだ。サーバルという「パートナー」を得るために、1話ではかばんとサーバルの二人が延々と誰もいない(画面に映らない)さばんなちほーを旅する。

ではなぜサーバルなのか?1話を見ればわかるように、このアニメのテーマの一つは「動物としての人間」である。人間と動物は対置されることなく、人間のもつ「動物としての」長所や短所に目が向けられる。そしてそれは同時に、それぞれの動物の「いいところ」に目を向ける行為でもある。1話ではかばんは足も早くなければジャンプ力もない、飛べないし泳げない、と「なんにもできない」動物として描かれる。だが同時に小回りがきいたり、持久力があったりという長所も持ち合わせている。さらにセルリアン戦では手先の器用さと頭の回転を見せた。これらの短所と長所を際立たせるためには、それと反対の特徴を持つフレンズと組ませる必要があるわけだが、運動能力が高く短距離型でおっちょこちょいなサーバルはそれにピッタリだったというわけだ。さばんなちほーは、そのサーバルのナワバリであり、ジャングルのようにたくさんのフレンズがひしめき合うわけでもなく、そして広大で見渡しのよい土地は舞台設定を提示するのにも都合がよい。そういった点で、さばんなちほーとサーバルという選択は第1話の導入としてピッタリだったのだ。

終了したあまり知名度が高いとはいえないアプリゲームを原作としている(正確にはメディアミックス作品なので原作とアニメ化という関係ではないが)ことから、アニメの自由度は高いが、一方で1話でこのアニメが何をしたいのかを提示することが重要でもあった。そうした中でこの1話をもってきたことは、けものフレンズというアニメにおいても非常に重要な点だったと私は思う。

最後にこの1話の見どころを3つ挙げておきたい。まず一つは動物への深い観察と細かい描写である。冒頭、狩りごっこをするかばんとサーバルに注目すると、ジグザグに切り返すかばんに対し、サーバルはスピードはあるが方向転換のたびにズザザザとブレーキをかけている。ここですでに二者の運動能力の指向性の違いが如実に表れている。続いてサーバルはかばんにシマウマのフレンズがいることを教えるがかばんは「えっ、どこですか」と気づけないシーン。シマウマのシマは当然ながら人に見せて動物園に人を呼ぶためではなく、敵から見つかりにくいようにとついてあるものである(ちなみにこれには異説もある)。そうであるならば、さばんなちほー初心者のかばんが一見しただけでシマウマを見つけられないことは当然のことであるわけだ。そして木陰で休む場面で指摘されるような、人間とサーバルの持久力、回復力の違いの描写もよい。サーバルが最初に気付いた人間の動物としての優れた点は、頭の良さでも手先の器用さでもなく、陸上動物としての持久力であったのだ。

二つ目にはやはりセルリアン戦だろうか。一転してRPGのボス戦のような劇伴が流れ、戦闘モードに突入する場面転換はキャッチーながらも緊張感があってよい。そしてこれまで頼りになったサーバルがうろたえるのに対し、かばんは冷静に石の場所を指摘し、紙飛行機によってセルリアンの注意をそらす。このシーンは、いわば「弱いとされてきた主人公が実は思いがけない特技を持っていて大活躍」という、主人公を際立たせるための王道展開そのものである。そしてそれを人間の動物としての長所とリンクさせたことは単純だが上手いシーンだった。

三つ目は何といってもかばんとサーバルの別れのシーンである。かばんの別れの口ぶりからは、いかに自分が不安でサーバルに頼れてよかったかが伝わってくる。その上でかばんとしては別れを強く意識しており、二度振り返った後まっすぐ前を向いて歩くカットは印象的だ。しかしすぐにサーバルと再会。このシーンが「一度別れて再開した」ということになっているのは、別れを告げまっすぐ前を向いたかばんの決意をないがしろにしなかったという点で非常に好きだ。また、一度別れたものの実は後ろについていってすぐに再開するという流れは、言わずもがな、最終話のラストと同じ構造である。1話ではかばんを追うのはサーバル一人であったが、最終話ではたくさんのフレンズがかばんを追っている。1話ではかばん視点であったが、最終話ではフレンズたちの視点になっている。こうした対比は12話の積み重ねが感じられる点であり、構成としても非常に見事であった。

最後に一つ付け加えるなら、1話ラストに流れるOPは、1話の展開を踏まえてこれからたくさんのフレンズが出てきていろんなところへ冒険へ行くぞ!ということを見せてくれ、次回以降の「冒険」を非常に楽しみにさせてくれるという点で、この上なく完璧なタイミングでのOP挿入であった。長々と書いたが、以上が、私がけものフレンズにおいて1話を高く評価し、また2017年の9位に選出した理由である。

 

 

第8位:『時間の支配者』第12話「過程と実在」(夏)

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スタートで加速、中盤減速、そして終盤に一気に加速していった、クロノスルーラーこと時間の支配者。列車に乗り、後ろを向きながら前に進んでいく最終話も素晴らしかったが、その一話手前、ヴィクトが過去と決別し、最終決戦へと進んでいくこの12話を選んだ。

もう会えないはずの両親に会えたことで動揺し、アイクスを倒せば二度と会えなくなるという思いから心を縛られるヴィクト。しかしヴィクトは鎖を断ち切り、母を殴ることでアイクスに一撃を加える。それによりアイクスは吸収していた時間を放出、街は本来の「死んだ」姿へと戻っていく。ヴィクトは霧の「終わるんじゃない、お前が終わらせるんだ」の言葉を受け、診療所へともどり、母と「最後」の親子の会話をする。

Aパートはこのヴィクトと母イフとのやり取りが見せ場となる。そこではなんといっても大原さやかさんの慈愛に満ちた母親の演技が本当に素晴らしい。ヴィクトが息子であることに気付いていたイフは、「誰にも頼らず」勝利者たることを思い続けてきたヴィクトに対し、その名前に込めた本当の意味を語る。「人に頼り頼られて、笑顔と涙を分かち合う。それが私の思う、勝利者という意味だから」

仲間たちと共に戦ってきたヴィクトだったが、それまでは他人の助けを必要としなかった。そのヴィクトがイフに勝利者ということの「本当の意味」を伝えられ、Bパートで全員一致協力してアイクスと戦うという流れはベタではあるが感動と熱量のある展開だ。

ヴィクトとイフの会話シーンでは、背景で少しずつ時間が「今」に戻っていく演出も見事である。なんでもない会話に、目に見える形で「終わり」を意識させる手法は、朽ちた「今」の家ときれいな「元」の家の対比も美しく、より一層その会話シーンを魅力的にしている。しかしその美しく丁寧な会話シーン、そして別れの後、アイクスは「仮説の証明」の名のもとにイフを無遠慮に「生き返らせ」、そして「殺す」。余韻ぶち壊しのこの所業にヴィクトはもちろん視聴者の怒りのボルテージも上昇する。そしてアイクスは決定的な一言を口にする。「何も感じなかった」。

このシーンは、人間が感じる想いにおいて、時間の持つ不可逆性がいかに重要な一つの要素をなしているかを問いかけている。時間を自由に操る行為は、人の尊厳を踏みにじる行為でもあるのだ。

Bパートの戦闘シーンでは、おなじみのカッコいい劇伴をバックに全員で協力しての戦闘がアツい。その戦闘のなかでは「恐怖」がアイクスの唯一理解できる感情として出て来るが、「恐怖」、特に死に直面することから生まれる「恐怖」は、これもまた時間の不可逆性によって生まれる感情と言えるだろう。初めはまっすぐ向かっていくヴィクトたちが、次第に恐怖を感じ始めて顔つきも少し変わっていくあたりも見応えがある。ラストに近づくとピアノ劇伴が流れ(これが良い)、ヴィクトたちの「恐怖」が大きくなるさまが伝わってくる。

時間と家族、そして感動と恐怖。ここまで見てきてよかったと思わせる、美しくも恐ろしい見事な回だった。 

 

 

第7位:『つうかあ』第8話「Engage」(秋)

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田村正文×高山カツヒコの『アンジュ・ヴィエルジュ』コンビということで、一部に熱狂的な期待をかけられていた『つうかあ』であるが、期待に違わぬ走りを見せてくれたと言っていいだろう。各コンビ(カップル)それぞれ良く、最終話の雨の中女二人が髪を掴み合って殴り合うシーンなども最高だったが、ここで選出したのは蒔田あい×板垣ねねの実況解説コンビの8話だ。

「グ~~~~~ッドモーニング三宅島~↓」

いつもと違いどこか締まらない挨拶で開幕。まさかの宝塚コンビ出張版だ。まさにコメディリリーフと言える二人、今回は実況席をジャックしたばかりか、ファンの方からのお手紙まで読み、果ては破り捨てて「フォーエバー♪」する始末。絶妙(笑)に息がピッタリ合っている……

とはいえ今回の主役は蒔田あいと板垣ねねである。体が弱く、「すごい人が乗る物」であるニーラーに乗ることが無理であることを子どもながらに悟るあい。そしてそのあいの「諦め」を否定しないねね。ねねは言う。「だって、私も無理だもん」

「子ども」であることは、未来の可能性の象徴としてよく言及されることである。未来ある子どもは「なんにでもなれる」と大人は言う。しかし果たして本当にそうなのか。子どもだって、追いかけられないことはある。手の届かないこともある。そして、絶対に届かないところに頼りなく伸ばした手をとったのは、等身大の「友達」だった。

あいにとってねねは「届くところにいてくれた」大切な存在であり、友達だった。その「届くところにいてくれた」ねねを自分から「引きはがされた」ことで、あいは自分の感情を爆発させる。そのときにスイッチとして機能したのがマイクだった。マイクは「声が小さい」というあいのコンプレックスの一つを解消してくれるアイテムだ。そしてマイクを持つことで、コミュニケーションの双方向性はぼやけ、うまく人と話せないあいは自分の気持ちを「一方的に」ぶつけることができた。それは「すごい人」たちに対してあいが「一矢報いた」瞬間でもあったのだ。そして回想は終わり、あいたちはニーラーに乗せてもらう。もう乗らないと言うあいにねねが問いかける。「どうして?」「乗りたくなるから」あいはニーラーに憧れ続けた上で、自分の手の届く場所でニーラーを見続けるのだ。

つうかあ』は、様々なコンビにフォーカスを当てることで、「関係性」を描くことに特化した作品であると思う。それは、レーシングニーラーという「二人じゃないと走れない」特殊なマシンというフレームがあるからこそ浮き彫りになり、描きうるものでもあった。しかしこの回は、そのフレームの外に視点を置くことで、レーサーたち以外の、もっと言えばすべての「コンビ」に「関係性」の存在を認めることができるようにした点が素晴らしい。回想シーンでは昔の三宅島TTの選手たちが登場するが、その中には現在の側車部顧問和田はつね、婦警の日暮洋子の姿もあった。昔を描くことは時間の流れを意識させることである。昔があるから今があるのであり、それはすべてのコンビに固有のもので、その時間の流れこそがそれぞれのコンビをコンビたらしめるのだ。回想を話し終えた後、ねねが話を盛っていたことをあいに指摘され、話を聞いていた報道部の二人はどこまで信じていいのやらと困惑するシーンがある。二人の過ごした時間は、究極的には当人たちにしかわからないものであり、その密室性自体がその二人の関係を特別なものにするのである。

最後に一つ個人的なこの回の魅力を付け加えるならば、 小学生ねねちゃんのかわいさである。はっきり言ってとてもかわいい。パッセンジャーの真似をして失敗し、地面に転げたときの、「いけませんでしたー」というセリフが大好き。大人たちにあいと引き離されたときの困り顔(これは自分が困っているというよりもあいのことを思ってそうなった顔である)も良い。

 

 

第6位:『ゲーマーズ!』第8話「エロゲーマーと観戦モード/ゲーマーズと半生ゲーム」(夏)

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 2017年は個人的にラブコメの年であった。というのも、この『ゲーマーズ!』が自分の中にあるラブコメ好きの波動を呼び覚ましてくれたからである。

Aパートは、真面目な生徒会長とは世を忍ぶ仮の姿、真の姿は美少女エロゲーマーという千秋の妹星ノ守心春が登場。千秋が碧陽学園生徒会長というところで、そういえば原作は葵せきなさんだったなと再確認させられる。さて、Aパートではこの心春が美少女ゲームを選ぶ景太と三角くんの会話を盗み聞きするのだが、美少女ゲームに自らを重ねる心春の描写がとても良い。そもそも、美少女ゲーム(登場キャラクターではなくゲーム自体)に自らを重ねる美少女という存在自体が稀有であり、『ゲーマーズ!』ならではのシーンと言えよう。三隅くんに知名度イマイチのワゴンセールで売られていたゲームを薦め、理由を聞かれると「僕が好きだから、かな」と答える景太はオタクとしてポイント高い。私も私の好きな回をこうして10個選び、ベストテンとして記事まで書いているのだ。

さて、そうは言ってもこの第8話の本番はBパートの「半生ゲーム」にある。ところで、ラブコメにおいて一番おもしろくなるところはどこだろうか。恋愛が成就するとき?いやいや、関係の糸が絡まっていくときだ。Bパートでは、絡まりに絡まった糸がほんの少しほどけてきたと思わせておいて、次の瞬間一番絡まってほしくなかった(絡まってほしかった)糸が絡まるという落差で、このアニメの中盤最大級の見せ場を作った。例えば第6話ラストで花憐に告白してしまう景太のシーンもまた、一番やってほしくない(やってほしい)絡まり方を見せていて、このアニメ最大級のシーンである。

祐は千秋が半生ゲームをやりたがっていることにつけこみ、ついにこじれきった恋愛当事者5人を一堂に会させることに成功する。あとは話し合って誤解を解くだけと思われ、思わずほくそ笑む祐であったが、当然そんな簡単に上手くいくはずはなく、むしろゲーム上で花憐は独身貴族、千秋はフリーター、景太と亜玖璃が結婚して子づくりに励むというなんとも美しすぎる展開を見せる。ラブラブ最高潮新婚生活マスを引いた景太に対し照れながら怒る亜玖璃がとてもかわいい。亜玖璃ちゃんとゲーム上でラブラブ新婚生活して「もうちょっといろいろ控えてよ~」と言われたい。そのままゲームは進んでいくが、休憩中に祐が亜玖璃との誤解を解き、ヨリを戻す(そもそも別れていないが)など、張りつめていたラブコメの空気は弛緩、祐の作戦成功かと思われた次の瞬間、ついにあの糸が絡まる。千秋は景太と花憐の会話から、ネット上での長いつきあいであり、ずっとお世話になっていた存在が誰あろう今目の前にいる雨野景太であることに気付いてしまう。祐は顔を覆い、視聴者の気持ちを代弁する。「見てらんねえ……」

言うまでもなく、「半生」ゲームは「反省」ゲームである。……と勢いよく言ってみたものの、どのあたりが「反省」なのかはいま一つつかめていない。むしろ千秋は、これから自分のこれまでを「反省」することになるのであろう。

この回の面白さは、やはり現実における人間関係をゲーム上とリンクさせるという、古典的かつ王道の手法がハマったことにあるだろう。そして唯一事情をおおむね理解している、いわば視聴者に最も近いところにいる祐がいちいち反応してくれるのが、非常にこのこじれた関係性を見やすくしてくれ、なおかつ面白く見せてくれている。ラブコメにおけるツッコミ役は重要だ。ツッコミのいないラブコメは視聴者がそのツッコミ役を担わされなければならないわけであるが、それはかなり体力のいることである。コメディはツッコミがあって初めてコメディとして成立すると私は考えているが、ラブコメもまたそうなのである。祐が自身錯綜した関係の当事者でありながら比較的状況を把握していることで、優秀かつ貴重なツッコミキャラ(かつ狂言回し)として機能したことが、アニメ『ゲーマーズ!』の成功の一因であることは間違いない。

「運命すぎんだろうがよおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

以上、長くなったが第10位から第6位である。第5位から第1位についてもなるべくはやく記事を書き上げたいと思っているが、ノミネートした20本を見終わってからこの記事を書くのに5日ほどかかっていたりするわけで、また少し時間が空くと思われる。そろそろ冬アニメも見ていきたいので、記事の方はのんびり書いていきたいと思う。もしベストファイブの記事を早く読みたいと思っていただけているならば申し訳ないが、気長に待っていただけると幸いである。 ちなみに順位だけはもちろん確定済みである。

 

↓後半、第5位~第1位記事

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『アイドルコネクト』の『Star*Trine』 —セピアがカラフルに変わる夜—

 

この日我々が持ち寄ったものは、感謝でつつんだ諦念だった。

しかしそこで我々が見たものは、本物と、そして未来だった。

そして我々が持ち帰ったものは、幸福と、確かな希望だった。

 

あるオタクの日記 2017年9月17日

 

 

結論から言おう。アイドルコネクトは復活した。

終わりの日は始まりの日だった。別れの日は出会いの日だった。アイドルコネクトのユニットソングCD、そのアルバムのタイトルを覚えているだろうか。

 

————『初めまして、大好きです!』

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年9月17日、昨年11月いっぱいをもってサービスを終了したソーシャルゲーム『アイドルコネクト -AsteriskLive-』の初めてのライブイベントが、先月発売されたCD『Star*Trine』のリリースイベントとして行われた。出演者は、春宮空子役森千早都さん、瀬月唯役相坂優歌さん、高花ひかり役芝崎典子さんの三人である。本記事は、主にそのリリースイベントとそしてその前後の私の想い、そしてアイドルコネクトに関するもろもろの少しを書き記すものである。

私のアイドルコネクトについての想いや、このイベントに対する想いは、先月CD発売の少し前に書いた以下の記事を見ていただきたい↓

 

nun-tya-ku.hatenablog.com

 

この記事で書いたように、私は今回のイベントが本当のお別れのときだと覚悟していた。ゲームが終了してから約10か月。ストリエでのストーリー更新や、未発表曲収録CDの発売、そして今回のライブイベントと、"終わった"コンテンツのファンからすれば望外な幸せと言ってよかった。そしてもう、今回こそは…… 表向きには感謝を、心の中には覚悟を。私は台風を先導するかのように、関西から秋葉原へ向かった。

この日、私は節約のためと新幹線は使わずに鈍行で向かった。だが本当は、秋葉原に着くのがこわかったのかもしれない。行きの電車の窓から見た景色は常に灰色で、電車に揺られながらひたすらに聴いていたアイコネの曲たちは、そのかわいい歌声とは裏腹に、あたかもレクイエムであった。魂を鎮められるのは、アイコネか、それとも私自身か。

台風接近の折柄、もし在来線が止まりそうになれば迷わず新幹線に乗り換えようと心の準備はしていたが、結局熱海あたりまではほとんど雨も降らず、15時ごろ無事に雨模様の秋葉原に到着した。秋葉原に着くとまずはお三方に渡すお手紙の清書をし、そしてオタクと合流。これから行われるライブに対する楽しみな気持ちと緊張感と、そしてほんの少しの沈痛な思いを胸にしまい、アイコネの思い出話などをした。イベントは20時から。19時過ぎに店を出て、イベント会場へと向かった。

 

会場に着き、イベントスペースを見渡すと、たくさんの席、フラスタ、そして撮影用のカメラ機材と、リリースイベントとしてはなかなか立派なものであった。私は席に着き、開演までの30分をなんとも言い難い気持ちのまま待った。とっくにサービスが終了したゲームのライブにこれだけの人が集まっていることは単純にうれしかったし、ここにいる人たちの抱える気持ちに思いを巡らせたりもした。しかしその場の空気は、待ちに待ったイベントを前にした高揚感の下を漂うように、寂しげなため息をはらんでもいたように感じた。

ここで私の関心事は、なんといっても今日がどういうイベントになるのかということであった。『Star*Trine』は歌うにしても、それ以外の曲は歌ってくれるのだろうか。私の願望は『Star*Trine』に加えて3人がソロ曲を1曲ずつ、そしてメモリアが3人中2人来ているので、メモリアのユニット曲を1曲の計5曲というものであったが、正直『Star*Trine』だけ歌ってあとはトークで終わりというのもありえるだろうなとは思っていた。『Candy Star☆ミ』が聴きたいなあなどと期待とも言えないような思いを抱いていると、20時になりついにイベントは始まった。 

 

 

 

何度も聴いたイントロが会場に流れる。

『空になるよ、このハピネス。』

アイドルコネクトのセンターと言える春宮空子のソロ曲。

不意を突かれた。開幕からMCなしでいきなり曲を、それもソロ曲をやってくれるなんて。本当にライブに来たみたいじゃないか、そう思いながらゴソゴソとペンライトを取り出し、赤く光らせたそれを夢中になって振った。森千早都さんが、春宮空子が、自分と同じ空間で空ハピを歌っている。しかもちゃんとダンスをしている。自分は今、歌って踊る春宮空子を見ているんだ。それがただただうれしかった。

 

「例え空になれぬとしても 手作りでも、憧れでも、 この流星なら消えない」

「もしもいつか、手渡しても 消えることのない メモリーモリー

 

空ハピの歌詞である。そうだよな、消えないんだ、そんなことを思った。

 

そして画面は暗転し、森さんに代わり次のシルエットが見えた。照明が点く。

『spica heart』!!!

大好きな曲だ。アップテンポで明るい曲でもあり、空ハピのときはまだ戸惑いも感じられた会場もここにきてスイッチが入ったように盛り上がる。私は接触不良で調子の悪いペンライトをしまい、徒手空拳に切り替えた。芝崎典子さんは高花ひかりだった。ニコニコ笑顔で歌い上げ、2番に入る前の「Come on !!」のところは最高に楽しかった。「ヒカリ目指せ」の歌詞で指を前に突き出すところもめちゃくちゃよかった。

 

「ハチャメチャ近道 進むしかなくない? 見つけた未来へ 今走り出せ Yeah!!」

 

そして曲が終わり芝崎さんははけ、代わりに相坂さんがステージに立つ。暗転したステージ上に立ち、曲の始まりを待つそのシルエットは、まさにアイドル瀬月唯であった。このシルエットを見た瞬間、私は今自分はアイドルコネクトのライブに来ているんだ、と強く感じ、涙があふれてきた。曲が始まる。

『恋スル私←New!』

憂うような表情、スッと伸びた指、透き通るような歌声、そこにいたのは紛れもなく瀬月唯だった。ため息が漏れた。何度も見たゲームでの振付けが目の前で見られて感動した。2番の「重ねて見ちゃって 君に電話」のところで耳に手を当て電話をするような振付けが本当に最高で、恋スル私をこれまで何度となく聴いていて頭に思い浮かべたことが今目の前で行われているということに頭の中が幸せな感情でいっぱいになった。

 

「好きな食べ物とか 思い出の場所 全てを見るたびに 君を思い出すよ」

 

ところで『恋スル私←New!』には少し特別な思いがあった。

これはアイコネのCDを遅ればせながら購入し、初めてフルで曲を聴いたときのつぶやきである。曲名が間違っているのはお許しいただきたいが、それはそれとして、このときに見えたものは妄想なんかではなかったことが、見間違いなんかではなかったことが、本当にうれしくてうれしくて、始まる前のシルエットを見たときにあふれた涙は、歌の間ずっと止まることはなかったのだった。

 

まさに夢のようなソロ曲3曲が終わり、ステージ上には3人が集まる。まずは自己紹介から。なんでもない、なんでもない自己紹介のはずなのに、こんなにうれしい自己紹介は他にないだろう。3人ともゲームの収録からは1年は経っていたであろうのに、バッチリキャラの声で自己紹介をしてくれたことが、本当にうれしかったのだ。春宮空子、高花ひかり、そして瀬月唯。相坂さんが「子猫ちゃんたち」と王子様モードの唯をやってくれたときは、自分が女だったら昇天していただろう。男でもあれはダメだ、恋に落ちてしまう。

相坂さんはアイドル的な役をするのが初めてで、これからライブとかできるのかなーやりたいなーと思っていたらまさかの「いろいろあって……」サービスの終了。もう唯として歌うことはできないのかなと思っていたら今回のイベント。話が来てすぐに返事をして出演に至ったとのこと。話が来てすぐに出演を決めたというエピソードが、唯のこと、アイコネのことを今でも好きでいてくれているんだ、ということがうかがえて私としては本当にありがとうという気持ちになった。

森さんはオーディションで空子のことをかわいい、このキャラをやりたい!と思ったことを話してくれた。そのとき隣で森さんの方を見ながらひたすらうんうんと頷いている相坂さんが印象的だった。

芝崎さんはこうしたステージで歌うのは初めてで緊張したという話。しかし正直、先ほどの「spica heart」は初めてとは思えないほど見事なステージだった。会場からは「推せるー!」の声。思えばこのときすでにイベントに来ていた人たちは芝崎さんのオタクになっていたのだった。

 

実はここで私は一つだけ残念に思っていたことがあった。空子のもう一つのソロ曲『青春ハイタッチ』のことである。私はこの曲が大大大好きで、この曲を聴いて何度も笑顔になることができた。願わくば『青春ハイタッチ』を生で聴きたい、そう思っていたのだが、すでにソロ曲は1曲ずつ歌われており、さすがにソロ曲を2曲とも歌うということはないだろうと思っていたので、この時点でもう『青春ハイタッチ』は聴けずに終わりかな、それでもあの3曲を聴けたんだから一つも文句はないけれど…… と思っていた。

 

しかし、である。3人の挨拶が終わると相坂さんはこう言った。

「まだ終わりじゃないからね!」

盛り上がる会場。まさかと思う自分。そして相坂さんは森さんに「空子がんばれ」と言って芝崎さんとともにステージからはける。おいおい、本当にやってくれるのか?このときにはもう、気持ちは抑えられないところまで来ていた。そしてステージに残った森さんが言う。

「みんなで一緒にハイタッチしましょう!」

やった。やったやったやった。その一言は、どんな天使の言葉よりも優しく、そしてうれしく響いた。私は骨が砕けんとするような勢いで手を叩いた。(近くにいた方すみませんでした)

 

手を顔の横に当て、曲が流れるのを待つ森さん。準備はできているが今一つ裏とタイミングが合わず苦笑いだ。そして曲が始まる。——『青春ハイタッチ』!!!

「1,2,3,4,2,2,3,ハイッ!」♪~「Let's go!」

本当に幸せだった。「幸せ、届けー!」というのは空子の印象的なセリフであるが、届いている、幸せは確かに届いている、そう伝えたい。「待ち合わせの駅でハイタッチ」のところでハイタッチをする振付けのところで自分も右手を挙げてハイタッチをした。空子とこうしてハイタッチすることができるときが来るのか。現実もフィクションも、そんなものはもう関係がなかった。

 

「当たってくだけろで良いから 思い切り手を振って 当って駆け抜けるトンネル 出口はそこだ! 叶えたいって想いが 君を強くする 大丈夫!!」

 

「叶えたいって想い」

つい数分前までの、『青春ハイタッチ』を聴きたいと望んだ自分が見えた。 アイドルコネクトのライブに行きたいと思った自分が見えた。アイドルコネクト終わらないでくれと願った自分が見えた。私は強く、なっていたのだろうか。いや、大丈夫だ。

曲の最後、空子はふぅ~~~と手に乗せたものを客席へと吹きかける。あれは希望か幸せか。私たちは、確かにそれを受け取った。

 

そして次はこの曲だ。芝崎さんがステージに上がる。

『あなたらしく、私らしく』

『spica heart』とは違いゆっくりとしたテンポの曲だが、優しく語り掛けるような曲調と歌詞が全身に染み渡る。リズムに合わせて腕を高く突き上げる芝崎さんが本当にかわいかった。気を抜くとすぐに芝崎さんかわいかったになってしまうのはご容赦いただきたい。ずっとニコニコしているのが最高にかわいい。

 

「明日のことで悩んでないで 今日のランチは何にしようか? 見えない不安を恐れてるより 今を楽しまないと」

 

今このときを楽しむことを肯定してくれるような歌詞が、これまでこの曲を聴いたどのときよりも深く刺さった。

 

そして、曲が終わり、相坂さんがステージに。あれが、あの曲が来る。イントロ前のクリック音。唯の歌声が響く。

『WHITE PAGE』

たまらない。この曲は、2曲目のソロ曲のうち、唯一ゲーム内に収録されていた曲だった。だからこそ、こうやって今生で曲を聴くことができているのが本当に夢のようだったのだ。もちろん、前半にやったソロ曲3本もゲーム内に収録されていたわけだが、『WHITE PAGE』はその歌詞とも相まって、何か特別な、そんな位置づけが自分の中でなされていたように、ずっと感じていた。本当にこの曲を歌う相坂さんが、瀬月唯が、カッコよくてきれいで…… そしてなんといっても、「呼び声は キラキラ輝く姿でずっと」のところで手を顔の横で横に振る振付けが最高だった。これはゲーム内のMVでも非常に印象的な振付けであったのだが、CDが出てからフルで聴くときも、いつもこの箇所では頭の中に残っているあのMVのように手を振っていたものだ。それが今、目の前で見られているという感動。私も唯に合わせて振りをやった。こんなに幸せな振りコピはない。

 

「君とキラキラキラめく 未来でずっと みんなのために歌って あの日の私も大事な記憶 忘れないよ 光差す 涙の向こう」

 

「光差す 涙の向こう」 この歌詞で締めるのがズルい。あふれる涙を拭おうともしない私は、この向こうにある、光差すものに思いを巡らせた。

 

 

この日出演した3人のソロ曲、全6曲をすべて聴くことができた。予想を大きく上回る、最高の体験だった。幸せに包まれたまま、明るくなったステージに3人が集まる。

するとここで。スクリーンが降りてきて、アイコネのスタート画面が映し出される。

ザワつく会場。重大発表?いったいなんだと言うのか。私はただ、次の言葉を待った。

 

それは、"未来"だった。

 

アイドルコネクトのノベルアプリ化決定の発表だった。それが知らされると、会場は爆発的な歓声と、割れんばかりの拍手に包まれた。相坂さんは戸惑ったように「ノベルアプリだよ?勘違いしてない?」と訊くが、その場にいた誰もが、ノベルアプリだということを認識した上で歓声を上げていた。アイドルコネクトのアプリがまた出るということ、そしてノベルアプリで彼女らの物語がまた紡がれるということ。本当に不意打ちだった。まさか本当に、このリリースイベントで次につながる発表がなされるとは。

「アイドルコネクトが終わらない」

このことが、一体どれだけうれしかっただろう。あのときの会場の空気は、開演前のあの空気とはまったくもって別物になっていた。我々の心にもはや諦念はなく、未来への希望と大きな感謝が会場を包み込んでいた。あのときの森さん、相坂さん、芝崎さんの気持ちはどんなものだっただろうか。そして後ろにいた、社長を含めた関係者たちは、どんな気持ちになっただろうか。少なくとも、伝わっていたことは確信できる。心からの思いが激しく共鳴し、大きくなり、伝わる瞬間。そんな瞬間を肌で感じることができたのだ。あの空間に居られたことは、アイドルコネクトということすらも超えて、はっきり言って人生の財産になったと思う。

 

そしてついに、最後の曲になってしまう。イベントが終わってしまうことはもちろん寂しいが、それは開演前に想像していた気持ちとは違ったものだった。そしてただ、最高の気持ちでこの曲を楽しもう、そう思った。

『Star*Trine』!!!

この日初めて、3人が一緒にステージで歌う。歌も、ダンスも、最高のパフォーマンスと言うほかなかった。この日のために3人で練習を積んでいたのだ。それが感じられることが本当にうれしかった。もう会場のボルテージは最高潮で、全員が最高の気持ちでこのライブを楽しんでいたはずだ。曲のどこかで、相坂さんと目が合った(と感じた)。もう、最高だった。サビ終わりの「当たり前の想いに ゆびきりをした」で小指を前にのばす振付けがめちゃくちゃ良かった。あの場で3人とゆびきりをしたのだ。ならばもう、信じるしかないだろう。

そしてなんといっても『Star*Trine』の歌詞が、今このときのアイドルコネクトそのものであるかのようで、ただただ圧倒されてしまった。

 

「『届けて』繋げていたい 星が足りなくても キミに放つ スタートライン」

「『可能性』にtouch! 『果て』までLink! セピアをカラフルに変えて」

「『弱気』にgood bye! 『はばたけ』sing! カラフルを虹へと変えて」

「『届けて!!』 終わりの場所気づいても 星をたどり(星座結び) つなげていくの*キミ*まで!」

「あの月のように 夜をともしつづける 「笑顔をあげたい」 ただ一つの願いを 信じ続けた」

「『信じて…』 明日に光があるなら 繋がってく(繋がってく!) もう迷わない*ワタシ*へ!」

「初めの気持ち、無限の夢に変わる」

 

実は、初めてこの曲を聴いたときから、曲どうこうよりも「この曲でアイドルコネクトは終わってしまうんだ」という思いが先に来てしまい、素直な気持ちでこの曲を聴くことができていなかったと、今振り返ってみてそう思う。それが、今日の最高のライブを、そしてノベルアプリの発表を経て、目の前で最高のパフォーマンスとともに届けられると、見事に「セピア」が「カラフル」に変わって見えた、変わって聴こえた。どこか空々しく聞こえた歌詞は、すべてが鮮やかに色を放ち、本当の姿がそこに現れる。我々は「ただ一つの願いを信じ続けた」のだ。それがこれから「無限の夢に変わる」のだ。いつかこの「カラフル」が、きれいな「虹」になって大きな橋を空に架けることを信じて。

イベントが始まるまでは、(この曲、ちゃんと盛り上がれるかな……)と不安にもなっていた。しかしその場にいたみんなが最高に盛り上がっているのを見て、もちろん自分も最高に盛り上がっていて、それを自覚して、本当に、本当にうれしかったのだ。

『Star*Trine』が本当に「スタートライン」になった瞬間であった。

 

ライブは終了し、3人はステージを降りていく。会場からは本物の拍手と歓声、そして心からの「ありがとう」の声。それに応える3人。そして相坂さんはこう言った。

「またね!」

その言葉が、演者の方からその言葉が聞けたことがどれだけうれしいか。今日ここに来て本当によかった。そして、絶対に次があるのだ、そのことを強く感じた。

3人が見えなくなり、会場の電気がすべて点いても、大きな大きな拍手は鳴りやまなかった。このとき、ここにいる人たちの気持ちは一つなんだと感じた。これほどに力のある拍手を、私はこれまで体験したことがない。これこそが本物なんだと、心から思った。

 

興奮冷めやらぬまま退場となる。ふと会場の後ろを見ると社長が誰かと固い握手を交わしていた。その表情を見るに、私が感じた本物は嘘なんかじゃなくて、社長にも絶対に届いたのだと確信できた。本当にこんなことがあるのか。まだ夢の中にいるような気持ちだった。

階段を下りていると後ろから声が聞こえた。「今日ほんとに来てよかったねー!」

私はそれを聞いて、また泣いてしまった。その声にもはや終わってしまった悲しみはなく、幸せと満足感を詰め込んだような声だったからである。

 

店の前の道に出て、開演前に合流したオタクと再度顔を合わせる。そこからは感情があふれ出すのを止めることができなかった。もはや日本語を話すことは不可能で、顔は幸せそのものであった。ただひたすらずっと、「うれしい、うれしい」「終わってからこんな気持ちになれるなんて」と言い合っていた。

 

 

こうして特別な日は幕を閉じた。正直に言ってイベントが始まる前までは、このイベントが終わってから自分はアイドルコネクトとどう向き合えばいいのか、想像ができなかった。考えたくなかったと言ってもいい。しかし今、こうして明るくアイドルコネクトのことを語れていることが、本当にうれしいのだ。もちろん、次に出るノベルアプリが上手くいく保証はない。マネタイズだってどうなるかわからない。結局はただの延命でしかないのかもしれない。

客観的に見れば、それは正しいだろう。そして、アイドルコネクトというコンテンツが崖っぷちにいることも、その通りなのだろう。

しかし、あの場にいたことで、明らかに何かが変わるのを感じたのだ。それは言葉で表せる類のものではない。だが、あそこにあったのは本物だった。

だから私は、「信じる」ことができる。私は人生で初めて、「信じて」いる。アイドルコネクトのことを。あの場にいた人たちのことを。

 

 

 

翌日、台風が過ぎ去った東京は暑い日差しを浴びながら晴れた空に包まれていた。

私は中央本線を走る小淵沢行きの列車に乗る。

窓から見える四角の景色は、昨日見た灰色のそれとは違い、鮮やかな色を放っている。青い空、白い雲、緑の山々。そしてアイドルコネクトの曲を聴く。イヤホンから鮮やかな音が流れ込む。昨日まで何度も聴いていたはずの曲が、すべて違って聞こえてくる。

こんな経験は初めてだった。私は車内で涙をこらえることができなかった。昨日生で聴いた曲はもちろん、そうでない曲も、「セピア」が「カラフル」に変わっていた。昨日の夜を境に、世界が変わっているのだ。いつか、すべての曲を生で聴きたい。そんな絵空事のような望みは、信じられる願いに変わった。私の心はとても大きな"幸福"と、確かな"希望"を手に入れていた。

 

 

 

 

「ここみーなの"仁義なき"夏祭り」トークイベント感想 —納沙幸子は"ココ"にいた—

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・御託

9月2日(土)、秋葉原にて一つのイベントが行われた。「ここみーなの"仁義なき"夏祭り」トークイベントである。ここみーなとは、アニメ『ハイスクール・フリート』に登場するキャラクター、納沙幸子(のさこうこ)、ヴィルヘルミーナ・ブラウンシュヴァイク・インゲノール・フリーデブルクの二人のことである。(愛称がココちゃんとミーちゃん) 今回はその二人を演じる黒瀬ゆうこさん、五十嵐裕美さんによるトークショーが開催されることになったのだった。

……とまあそんなことはハイスクール・フリーターたる皆さんには説明の必要もないことであろうか。今回私はこのイベントに運よく参加することができ、そしてこのイベントが大変充実した、とても楽しい、本当に行って良かったと思えたイベントであったので、ここに感想を記したいと思い立ち、こうしてブログを書いている次第である。

ところで、普段私はイベントに行ったときにその感想を文章にまとめて書き残すことはしない。もちろんまとまった文章を書くにはなかなか腰が重いということもあるし、その日その時その場所限りという刹那性や日常と切り離された夢幻性もそうしたイベントの醍醐味の一つだと言い訳をして考えているからである。その結果、「楽しかった」という記憶だけは残るものの、そのイベントで何が起こりどんなことを通して「楽しかった」という感想を持つに至ったのかということに関しては、それこそ印象的だったものに対する少しの曖昧な記憶を頼りにするしかなく、貧弱な記憶力をもどかしく感じることも多々ある。

しかし今回のイベントは本当に楽しいものであった。3列目という前の方で見れたことでトーク内容だけでなくお二人の動きや表情もよく見ることができ、このイベントの記憶が薄れていってしまうことは人生の損失であると考えたため(オタクはすぐ大げさに言う)、重い腰を上げてカタカタとキーボードを打っている。忘れないうちに。つまりこれは、未来の自分のための文章だ。

いつもの御託であった。オタクだけに。

・イベント参加まで

イベント参加のためには秋葉原のイベント会場で2000円購入ごとに回せる抽選のガラガラで当たりを引く必要があるのだが、関西在住の私は何の因果かたまたまイベント開始前日に東京で用事があったため、イベント開始日にイベントスペースに足を運ぶことができた。

ただまさかトークイベントに行けることになるとは思っておらず、友人と合わせて抽選一回分グッズを購入し、ヘラヘラしながらガラガラを回したら、……当たってしまった。一緒に来ていた関東に住む友人に譲ろうとしたが、自分で引いたのだからと持たせてくれた。トークイベントのためだけに東京来るのか……と思ったが、一度黒瀬ゆうこさんは生で拝見したいと思っていたのでありがたく受けることにした。ガラガラを回して当たりの赤玉が出たときに「当たってしまった……」と声が出たのも覚えている。

 

とはいえイベントを楽しみにしていると、うまい具合にこれまたイベント前日に東京で用事が入り、またそのイベント当日の夕方にも別のイベントを回せることになってこれ幸いと当日を迎えた。

トークイベント内容

当日は券面に書かれた整理番号順に列形成をしてから入場という形だったが、ちょくちょく抜けが発生しており、やはり地方から来て抽選だけ回して当日来れなかったという人もそれなりにいたのだろうかと思う。参加者は百数十人ほどだったと思うが、せまいスペースで列形成をするのはなかなか大変そうであった。ただもたつくことは特になく、14時半から列形成が始まり、余裕を持って15時からのイベント開始を待つことができた。

トークイベントの会場もかなり小さく、 百人弱が座り、その後ろに立ち見が出るという形であった。入場時にイベントの中で使うであろう「A」「B」「C」と書かれた3枚の紙を受け取り、自分の席へ。私は3列目であったが横との距離が狭くちょっと縮こまらないといけないものの、登壇者はとても近くよく見えてこれは期待できるなという感じであった。

 

さてイベントが始まる。メモなどはとっておらず記憶を頼りに書くので、細かい言葉の違いなどはご容赦いただきたい。まずは司会を担当するお笑い芸人の三平×2氏(@sanpeimihira)、松崎克俊氏(@yasashii_matsu)によるオープニングトーク。私はお笑い芸人が司会を担当するオタクイベントは初めてであったが、やはり芸人というだけあって声がよく通るし自然に笑いも取りつつでとてもよかった(天空目線)。自分も含めた参加者たちの中で彼らを知っていたのは3割ほど(私は失礼ながら存じ上げなかった)という中途半端と言えば中途半端な知名度(失礼だ)であったが、お二人もオタクでありこうしたイベントの司会を務めることはちょくちょくあること、またお笑いのイベントよりもオタクイベントの方が反応が返ってきてやりやすい、「お笑いの客は冷てーんだ!」とオタクに媚びを売りながら話して場を温め、さっそく黒瀬さんと五十嵐さんが登壇。

 

まずは二人のキャラクターのセリフを交えた自己紹介。黒瀬さんはさっそくあの名セリフを披露してくれる。

黒瀬さん「われわれは、ブルーマーメイドの教官艦というちっぽけな存在ではない!宣言する!われわれは、独立国家」(ここでマイクを客席に向ける)

全員「さるしまー!」

松崎さんの「あの声は本当にここから出ていたんですね」という感想はもっともで、納沙の記念すべき初一人芝居のシーンを生で聴けたことに感動感動であった。

続いて五十嵐さんであるが、残念ながら五十嵐さんはお声の調子が悪く、トークにはスケッチブックとサインペンを使ってフリップで参加というような形であり、自己紹介も名前だけでキャラセリフは披露することはできなかった。しかしそこで黒瀬さんである。五十嵐さんとせーので合わせ、ミーナのこちらも名セリフ

「ササラモサラにしちゃれい!」

をミーナの声真似で言ってくれた。黒瀬さんは五十嵐さんの調子が悪いということで五十嵐さんが選びそうなセリフを事前に練習してきたそうだ。さらに黒瀬さんは「素の五十嵐さんの真似もできるんですよ~」と言い出し、いきなり「ねえちょっとさ、ちょっと聞いて~」と(黒瀬さん曰く飲み会のときの五十嵐さんだそう)五十嵐さんの真似を披露。このあたりで、あっこの人めっちゃ納沙じゃん……と思った。なんなら司会のお二人もここですでにちょっと戸惑っていたように思う。

 

続いて話は二人のオーディションのときの話に移る。黒瀬さんは納沙以外にも「栗みたいな名前の子」(柳原麻侖)、「二人一緒の子」(杵崎姉妹)も受けたらしい。黒瀬さんが演じるマロンちゃんもそれはそれで見てみたい。また、普通はオーディションの段階でメインキャラがわかるのだが、『はいふり』では31人の晴風乗員のなかで艦長と副長を除けば誰がメインでたくさん出てくるのかが全然わからず、台本をもらうまで自分の受かったキャラが毎週出てくるとは思わなかったようだ。台本をもらったときも、初めは「あ、一話から出られるんだ」と思ったくらいだったが、開けて自分のキャラのクレジットの位置を見て、久保ユリカさんのとなりに名前があるんですよ!え、あの久保ユリカさんですよ!!」という興奮だったようだ。(考えてみればその久保ユリカさんがもっている番組にゲストで呼ばれたわけで、喜びも一入だったことだろう)

 

また五十嵐さんは『みなみさんも受けた』とのこと。またミーナに決まったことには『意外ー!いがいー!』(なぜか漢字とひらがな両方書いていた)と思ったらしい。(ところでイベントでは初め、この『意外ー!』を黒瀬さんへのツッコミと解釈して話が進みかけたが、この『意外ー!』は五十嵐さんがミーナに決まったことに対する感想として書いたものだろう)

意外だったんですか?と話を掘り下げようとした次の瞬間、黒瀬さんが「五十嵐だけに?」と突然のボケ。さすがに会場がシーンとなったものの、俺はそんな黒瀬さんが好きなんや……

 

続いて、演じたキャラクターと自分の似ているところは?という話題。

司会の三平さんがトイレットペーパー回で納沙が「ジンバブエドルしかないですけどいいですかー?」というネタをかましたシーンの裏設定として、納沙はいつでもネタをかませるように常に財布にジンバブエドルを入れており、あのシーンはついに訪れたここぞという場面だったという円盤のブックレットに書いてある話を拾い、(三平さんさすがよく知ってるな)それと似たことを実はやっているんですよーと黒瀬さん。黒瀬さんも常に財布に2000札を入れていて、飲み会のときなどに「私2000円札しかないんですけどいいですかー?」というネタを毎回狙っているという、そんなことある?というくらいの納沙とのシンクロである。ちなみにときどき「いいよー」と返され、内心で(ふざけるな!私の2000円札また補充しなきゃじゃないか!)と思っていたりするらしい。

 

また、黒瀬さんと五十嵐さん、お互いのことをどう思っているのかという話題で、五十嵐さんが黒瀬さんについてフリップにサラッと書いて客席に見せるには『変』と一文字。しかしよく伝わる。黒瀬さんは本番が始まる前に、いつもカバンかなにかにつけて持ち歩いているぬいぐるみを「友達」として五十嵐さんに紹介したそうだ。アニメ存在かよ……

 

続いて事前に参加者から募集していた二人への質問コーナー。一つ目の質問は、……

『好きな音楽はなんですか?』

普通!はいふり関係なし!でもそういうのもいいですよね。

 

黒瀬さんはアイドルの曲が好きだそうで、AKBや乃木坂を聴いたりするそうだ。

一方の五十嵐さんもアイドル曲が好きとのこと。さらに『なんか暗い曲』という文字に会場は「???」という雰囲気。黒瀬さんは「暗い曲って……ベートーベンとかですか?」という突然のビックリ発言。いやわからないでもないけど…… ちなみに「『運命』とか暗くないですか?」と少し顔をしかめながらガチトーンで言っていたので天然だったと思われる。(その後五十嵐さんから『めっちゃ失恋の曲とか』という表明が入った)

 

二つ目の質問は「ココちゃんのウエストポーチを持っているのですが、タブレットを入れる以外に何かいい使い道はありますか?」というもの。

この日もバッチリココちゃんのウエストポーチを身につけてイベントに臨んでいた黒瀬さん。ポーチの中にはこのイベントの台本を入れていたようだ。と思いきや五十嵐さんにポーチのなかをまさぐられ、納沙のグッズを取り出されていた。本当に好きなんだな…… さらにポーチには劇中と同じ赤い御守りをつけていたりと、納沙への愛が非常に感じられてとても良かった。 

 

そして会場から一つだけその場で質問を募ることに。そしてなぜかお客さんを着ている服の色で呼ぶ黒瀬さん。質問内容は「演じている中でキャラクターに寄せていったり、逆にキャラクターが自分に寄ってきたりするものですか?」というようなものであったように思う。

黒瀬さんは、原作のないオリジナルアニメなので12話やるなかで自然と寄っていく、というような回答をしていたように思う。(このあたり少し記憶があやふやではっきり覚えていない)

 

次のコーナーは二人の対決企画であった。三番勝負をして負けた方が「人生で一番恥ずかしかったことを大声で告白する」という罰ゲームに対し、「ふーん」と薄いリアクションの黒瀬さん。そのことを三平さんにツッコまれると「でも勝てばいいんですよね?」とバッチリフラグを立てることに成功する。果たして……

 

一本目の勝負は懐中電灯を多数用意し、その中に一つだけある電気が点かないものを引いたら負けというもの。会場を暗くし、二人は順番に手に取った懐中電灯をアゴの下に置き、ポチッ。順調に懐中電灯を点けていく二人。残り三つになったところで黒瀬さんの番になった。三つとも手に持ち、一つ選ぶも何の根拠か「あっこれヤバそう」と持ち代える。そして、

……ちゃんと点いた。

残り二つとなったところで二人いっせーので点けることに。黒瀬さんは先ほど「ヤバそう」と言った方をとってしまう。『いっせーの!』五十嵐さんの懐中電灯が点く!「ーで!」なぜか息が合わない黒瀬さんの懐中電灯は点かない。見事すぎるフラグ回収であった。

 

続いての勝負は、松崎氏が選んだ「会ってみたい」7人のうち、一人だけいる「実はそうでもない人」を選んだら負けというあんたのサジ加減だろすぎる勝負。もちろん事前にハズレは決めているわけだが。

後ろの人のためにも7人の名前を読み上げる黒瀬さん。「マリリンモンローさん、イチローさん、織田信長さん、藤井聡太四段さん…」と全員をさん付けする黒瀬さんに会場はややウケ。

黒瀬さんから勝負は始まり、マリリンモンロー→(誰か忘れてしまった)→織田信長と本当に会いたい人を選んでいき、続いて五十嵐さんの番。五十嵐さんはイチローを選ぶ。手堅い選択かと思いきやまさかの「そうでもない人」でハズレ。理由は「野球は好きだがカープファンなので、イチロー選手はオリックスだしまあ、ね」とのこと。いや、カープファンでも会いたがれよ!

 

ともあれこれで1勝1敗。最後の勝負はリアルロシアンルーレットということでエアガンの銃口に風船を膨らませ、一人ずつ撃鉄を起こして引き金を引き、弾が出て風船が割れたら負けという仁義ない感じの勝負。

さっそく五十嵐さんからスタート。おもむろに銃をとなりにいた松崎氏に向ける五十嵐さん。まあそうなりますよね。銃を向けられて引き金を引かれるまでの松崎氏のビビリ顔はまさに芸人の顔でさすが……と思った。しかし空砲。

続いて黒瀬さん。当然のようにとなりにいた三平さんに銃を向ける。空砲。

五十嵐さん。空砲。

そして黒瀬さん。パァン!風船が割れるとなぜか両手を突き上げて小ジャンプして喜ぶ黒瀬さん。めっちゃかわいかった。めっちゃかわいかったのだがどうやらルールを理解していなかったらしく割れたら勝ちだと思っていたようだ。そんなアホな。すぐさま三平さんに負けを指摘され、五十嵐さんにも『ルール!』とツッコまれようやく自らの敗北に気付いた黒瀬さん。露骨にガッカリしてい(てかわいかっ)た。

 

というわけで 「人生で一番恥ずかしかったことを大声で告白」タイム。

 

黒瀬さん「道で一人で会話の練習してたら小学生に後ろから追いかけられたー!!!」

 

聞けば黒瀬さんは普段から道で会話の練習(セリフの練習ではない)をしているらしく、(例えば、「えー人生で一番恥ずかしかったことですかー?うーんとですねー」みたいなことらしい)あるとき気づかないうちに声が大きくなってしまい、道端で一人でデカい声で会話するヤバい人になってしまったらしい。後ろを振り返ると小学生の集団がこちらを見ながらヒソヒソしゃべっており、恥ずかしいと思った黒瀬さんはその場を後にしようとするも小学生たちは追ってきて、さらにときどき追い越されて振り返ってこちらを向き、顔を見てニヤニヤされ、そしてまた後ろにまわってつけられたりたまに顔を見てニヤニヤされたり……といったことがあったそうだ。

いや、エピソードとして強すぎんか?

しかも「一人で」「道を歩きながら」「会話の練習」のあたりが完全に納沙である。リアルココちゃんここにあり……

 

さて、続いては会場参加型のコーナー。二人に対して三択の質問を事前にしており、二人の答えと同じものを選ぶというもの。正解すれば勝ち残りで、最後まで残った三人にはサイン入りポスターがプレゼントされるというものであった。

一問目は黒瀬さんへの質問。

「この中で、仕事の悩みを相談するなら誰? A:納沙幸子、B:ヴィルヘルミーナ、C:岬明乃」

会場「えー?」「難しい……」「どれだ……」

三平さん「君たちほんといいリアクションしてくれるね」

さて正解は、……B!

まあそうですね。理由は「ミーちゃんが一番まともそう」という身もふたもないものだった。私は、(仕事のことということは声優の仕事のことだから……一人芝居をよくする納沙に芝居のことを聞くのではないか!?)というオタク特有の深読みでAを挙げたが、あえなく一問目で撃沈した。

 

二問目は五十嵐さんへの質問。

「この中で一緒にショッピングをするなら誰? A:納沙幸子、B:ヴィルヘルミーナ、C:西崎芽依」

正解は、……C!

理由は『引っ張ってくれそうだから』黒瀬さんはココちゃんも引っ張りますよと食い下がるが、五十嵐さんは『疲れる』と一蹴。この第二問でわりと人が減る。

 

三問目は再び黒瀬さんへの質問。

「この中で敵に回したくないのは誰? A:万里小路楓、B:鏑木美波、C:宗谷真雪」

正解は、……C!

理由は、「言うてもまりこうじさんもみなみさんも高校生ですから!でも校長はお歳も召してらっしゃいますし、権力もあるし、……」だそうだ。「結局権力かい!」

ここでまたゴソッと減り、残り二人になったのでここで二人は確定。

 

もう一人のプレゼント獲得者を決めるため、三問目の時点で生き残っていた人たちの敗者復活が行われる。四問目の質問(これはちょっと忘れてしまいました)をするもあまり減らず、残った人たちと五十嵐さんとでじゃんけん対決が始まる。掛け声を黒瀬さんが担当することに。

黒瀬さん「じゃーんけー……」と言ったところで待ったが入る。最初はグーを入れましょうということになり、改めて。「最初はグー!じゃーんけーんぽいっ!」

二、三度ほど五十嵐さんとじゃんけんが行われ、二人残ったために最終決戦が行われることに。黒瀬さんが「最初はグー!」と掛け声をかけると、三平さんからのストップ!何かと思いきや何でもなかったらしく、「黒瀬さんが常になにかしら面白いからまた何かやらかしたかと思って止めたけど何もなかった」と謝罪。それに対し黒瀬さんは「いいがかりだー!」の一言。もっともである。

気を取り直してもう一度。「最初はグー!じゃんけんぽい!」の掛け声をする黒瀬さん。参加者同士のじゃんけんなので黒瀬さんは関係ないのだが、なぜか黒瀬さんがチョキを出していてめっちゃよかった。

 

その後物販の紹介が少しあり、ここでイベントのプログラムはすべて終了。最後に二人に感想をもらう。黒瀬さんから言おうとするも、五十嵐さんが「(黒瀬さんは)オチだから」と言って先に話すことに。

五十嵐さんは、声が出ず申し訳なかったが、とても楽しかったと調子の悪いながらも最後はしっかりとしゃべってくれた。ミーナのキャラ声が聴けなかったのは残念であったが、フリップでキレのいいツッコミを見せてくれるなど、そうした中でも登壇してくれて本当によかったと思う。

 

そして黒瀬さん。このイベントのタイトルについて、「すごくないですか!?ここみーなですよ!?メイタマでも、マロクロ(柳原黒木)でもなく、『ここみーな』の夏祭りですよ!?つまり、ここみーながはいふりの中でベストオブザカップリングってことですよ!?!?」と、興奮気味に話し始める。「メイタマでもなく」って2,3回言っていたような気がするし、メイタマに対する(カップリングにおける)ライバル心があるのだろうか…… まあ実際メイタマの人気は高いようである。

そして、黒瀬さんは続けて、

「じゃあここみーなコール行きますよー!はいっ、こっこみーなっ!こっこみーなっ!」(マイクを客席に向ける)『こっこみーなっ!こっこみーなっ!』「ありがとうございました~」

という突然かつダイナミックな切り返しで締め。いやさすがに予想だにしない出来事に黒瀬さん以外瞬間キョトンとしてしまっていた。しかしそれを平然とやり遂げる(?)黒瀬さんである。客席も一瞬戸惑ったものの、集ったオタクたちによるここみーなコールはある意味貴重だったかもしれない楽しいものであった。

突然のここみーなコールに、「全然台本通りとかじゃなくてアドリブだし、これどうやって締めるんだ……」とビビっていたらしい三平さん。黒瀬さん自身も(これやったはいいけどどうしよう……)と思っていたらしい。

 

なにはともあれ、これにてイベントは終了。黒瀬さんと五十嵐さんが退場され、参加者も順を追って退場していった。司会の三平さん松崎さんもかなり手応えがあったらしく、充実した表情で参加者たちが退場するまで壇上でクロージングのトークをされていた。もちろん私も、そしておそらく参加者たちも大いに楽しんでいただろう。あらためて、良いイベントだったと思う。

 

・感想めいたもの

今回のイベントはやはりなんといっても黒瀬さんに尽きると思う。納沙の演技をほとんど地声でやっていたということもあり、少し気を抜くと納沙がすぐそこで話しているような、そんな感覚になれた。また、2000円札を財布に常に入れているエピソードや道で一人会話の練習を声に出してやっていること、トーク中にもちょくちょく声真似を入れてくることなど、随所に""納沙幸子""が感じられ、キャラクターの実在性という、アニメのイベントとしての実のところ最も重要なポイントが図らずも押さえられていたと思う。

 

考えてみれば、黒瀬さんはアニメで主要なキャラを演じることはこの納沙が初めてある。黒瀬ゆうこという人間が声優を志し、そして実際に声優になり、アニメにおける初めてのメインキャラとして『ハイスクール・フリート』というアニメの「納沙幸子」というキャラを務めることになり、さらに骨肉の争いに勝利してOVAの主役に上り詰め、そのかいあってかトークイベントに出演することになる。そして一方私もなんやかんやで『ハイスクール・フリート』を好きになり、関西在住にも関わらず秋葉原で行われるイベントにこうして参加することができた。これはまさに奇跡の連続ではなかろうか。そしてまた、人はときにこうした奇跡を運命と呼ぶ。奇跡なき世界の辞書に運命という言葉は載っていないのである。

 

……またオタクのスキル:ポエムが発動してしまった。

 

納沙幸子というキャラクターとの近接性、一致性を抜きにしても、黒瀬さんのしゃべりは魅力あるもので、是非ともまたどこかの機会で(それがはいふりのイベントであればもちろん良いし、はいふり以外のコンテンツへの進出もまたうれしいことである)聴きたいと思わせるものであった。まあ、平たく言えば黒瀬さんのファンになってしまった、ということである。

 

ところで、イベント終了後の『ハイスクール・フリート』公式のこのツイート(写真)であるが、↓

 

イベント抽選で当たりを引いたときにその場で書いた二人への質問・意見で私は何を書いたかと言うと、「このイベントのポスターにもなっている、ココちゃんとミーちゃんが恋人つなぎをしているイラスト(冒頭に挙げた写真参照:筆者注)が大好きです。お二人にもぜひこのイラストと同じポーズを見せてほしいです」と書いていた。(お恥ずかしながら……) というわけで、イベント中には見られなかったものの、イベント後のショットで私の想いが成就したということになるだろう。もちろん他にも同じことを書いてらっしゃる方がいたかもしれない。まあなにはともあれ、

ありがとう…… 本当にありがとう……

である。いい写真だ……

 

これで楽しかった記憶を少しでも濃く未来に残しておくことができるだろうか。この記事を読んだあなたにも楽しさや好きだという気持ちが伝わっていれば幸いである。

 

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『アイドルコネクト』の想い出、現在進行形、その少し

『アイドルコネクト -AsteriskLive-』というソーシャルゲームがある。いや、あった。…………いや、ある。

 

このゲームは、有り体に言えば生まれてすぐに終わってしまった、死んでしまった。しかし少しだけ特殊な点があるとすれば、このゲームの長い長いお通夜はまだ続いている。昨年8月中旬にリリースし、その3か月半後の11月末をもってサービスを終了したアイドルコネクトはいまだ葬儀場にもっていかれるでもなく、遺族たちはまだその姿をとどめているなきがらに向かって話しかけ、見守り、最後のときを惜しむように、願わくば帰ってきてはくれまいか、そうは言わずともこのままお別れしたくはないと思いながらアイドルコネクトと向き合っている、まるでそのような光景だ。

しかし長く続いたお通夜は、必ず上る朝の陽と、小さいながら盛大なお葬式をもって区切りをつけなければならない。そう、アイドルコネクトにとって初めての現実でのライブが、CDのリリースイベントという形ではあるが来月9月17日に行われるのである。

私はこの現実でのライブというものを待ち望んでいた。アイコネ楽曲についての思いは後述するが、とにもかくにも現実でこれらの曲をライブで聴ける機会さえ与えてくれれば、もうそれ以上は望まない、そう思っていたしそう思っている。だが、実際に「それ」が目の前に置かれると、なんとも言えない気持ちになるのは私だけであろうか。もちろん、うれしい。飛び上がるほどうれしい。実際に目の前で彼女らが歌うことを想像(それはもはや妄想ではない!)すれば骨とて動かせそうなほどにワクワクするし、笑みと感情がにじみ出てくる。もちろん参加できるのは150人であり、私はそれに参加できないかもしれない。参加できなければ肺を握りつぶすほど悔しいであろうが、それとて「アイドルコネクトのライブが行われた」という事実に比すれば些細なことである。

 

しかし、どうしても考えてしまう。区切りを。意識してしまう。お別れを。

 

現実世界でのライブの開催。ゲームが終わったときに考えていたありうる最大限の義理立てを、彼らは、彼女らはやってくれた。やってくれる。もちろんその先を考えないわけはない。ストリエでのメインシナリオの続き、続くCDリリース、次のライブを含めたイベント、そして『アイドルコネクト』の復活……。望まないわけはないし、その可能性がまったくないと言い切ることもしない。アイドルコネクトはキリストが如く死者のうちから復活するか?ソーシャルゲームゴルゴダの丘には、果てしない数のされこうべが転がっているのだ。

果たしてお葬式が終わった後、末永く遺族たちは故人を偲び続けるか。その魂はいつまでも現世に留まりつづけるか。「区切り」がつくそのときは、もう来月に迫っているのである。

 

「お通夜」や「お葬式」といった言葉を使ったことに対し不快を感じる方もいるかもしれない。素直にお詫びしたい。しかし、私はアイドルコネクトと向き合うためにこの言葉を使った。

 

 

いつものように前置きが長くなったが、私の『アイドルコネクト』への思い出を少し書いておきたい。ライブに向けてアイコネ楽曲を聴き込もうとするのだが、いつも頭に思い出が浮かんできてなかなか楽曲に身を入れることができないため、ここで一つとりとめはなくとも文章として残すことで少しでも整理をしておきたいという想いである。

 

私がこのゲームを始めたのは、余命宣告もとうになされ、サービス終了を約1週間後に控えた頃であった。Twitterで名前とゲーム画面は目にしており、インストールだけはサービス終了が告知される前にしていたように記憶している。サービス終了の告知を非常に残念がるフォロワーのつぶやきを目にし、終わる前に少し触っておくかとは思っていたが、実際にゲームを始めたのはかなりの終了間際だった。

あと1週間で終わってしまうことが分かっているプレイヤーとして、ゲームチュートリアル終了後の「これからどんどん想い出をつくっていきましょうね!」というようななんでもない言葉が、重く重くのしかかったのをよく覚えている。というか、「1週間後にはこのゲームは終了し、彼女らの物語もなんらかの形で紡がれることはあれ先に進むことは決してない」ということを意識してしまったことで、この後に見ることになる様々なシーン、様々なテキストが図らずして重く鋭くなってしまった。それはある意味貴重な体験ではあったが、そうではない、終わりを意識しないアイドルコネクト、文脈を付与される以前の純粋なる『アイドルコネクト』はどのようなものであったか、それを感じる機会をそのときすでに失ってしまっていたことは事実で、その『アイドルコネクト』を体験したかったと、今更ながらにふと思うことはある。

『アイドルコネクト』はいわゆるアイドル育成リズムゲームである。プレイヤーはプロデューサーとなり、3人×3のユニット、合計9人のアイドルたちを、様々なストーリーを通して成長させていき、アイドルとしての成功を目指していくという、ざっくばらんに言えばそういう物語である。「音ゲー部分はお粗末だが、テキスト、ストーリーは良い」という評判を聞いていたが、果たしてその通りであった。初めはいわゆる「使えそうな」部分だけスクショを撮っていたが、すぐに史料的価値をも考え、そしてその画面その画面に対する愛しさにも似た感情を覚えたために、ストーリーのほとんどの画面のスクショを撮った。おかげでストーリーを読んでゲラゲラ笑いながら、あるいはときにポロポロときにわんわん泣きながらパシャパシャという無機質な音をも耳に残したものだ。

 

私がアイドルコネクトのストーリーを読んでいて初めて明確におっと思ったのはナチュライク!の1つ目のストーリーだった。ストーリーとしてはロシアのクォーターのアイドル、柚木ミユが初めてのライブにロシアに住む祖母を(バーチャル空間上ではあるが)呼ぶというもの。ミユは祖母から手紙がたくさん送られてくるのだがロシア語が読めず何と書いてあるかわからない。その手紙をメンバーの泉水つかさ、坂上八葉が辞書を片手に徹夜で翻訳してミユに読ませ、ミユはそれを読み、ライブをその手紙のお返しにできたと喜び、アイドルは楽しいと口にする。

私は柚木ミユの持つ空気感、そして絶妙にマッチした関西弁にとろけるほど心をつかまれてしまった。アイドルのタマゴでしかなかった三人が初対面で出会ったところから始まり、まだ知り合って間もないメンバーのためにロシア語という高校生には未知とも言える言語に取り組む姿は、彼女らの持つ純粋さと優しさ、そして好奇心を見事に描いており、ミユのあっけらかんとした言動と祖母への確かな想いと共に非常に好ましいエピソードだった。(もちろん読んでいるときはただただぽろぽろ泣いていただけなのだが) 加えて、最後にミユがハイタッチの手に恋人つなぎをするシーンはもうあまりに完全に恋に落ちてしまった。いや、プロデューサーがアイドルに対して恋に落ちることはもちろんないのだが、私はプロデューサーとしてあの場面を冷静にくぐり抜けることはできなかった。ちょっとラノベ文脈が過ぎるかという冷静なツッコミもできるが、あの瞬間の感情に比べればそれは大した問題ではないように思える。余談だが柚木ミユさんのCVを担当している木村千咲さんは兵庫県出身であり、同じく兵庫県出身の自分にとってはミユの関西弁は過去最大級にきれいな関西弁だと感じたこともよく覚えている。いつか直接そのことをお伝えしたいなどと思っているが、冷静に考えて関西人が関西人に「関西弁めっちゃきれいでした!」と伝える場面はシュールを通り越して確実に何か違う気がする。ストーリーの話に戻れば、その前に読んだGARNET PARTYのストーリーがこうしたソシャゲには珍しくギスギスした雰囲気をはらんだものであったのもあり、全体的に優しくほわほわしたナチュライク!のストーリーにやられたかたちだ。(もちろんガネパのヒリヒリするような空気感もアイコネストーリーの魅力だと思っている)

 

以降、アイドル個別ストーリーを見つつ、メインストーリーを最後まで開放するため、特にラストの数日は起きている間ほぼずっとアイコネをやっていたように思う。ストーリーを読んでぽろぽろ泣きながら延々とスクショを撮り、さらに次を開放するためにこれまたもう触れなくなる音ゲー部分をやり続けた。その結果、サービス終了1時間前にガネパ4章まで見ることができた。しかしあの引きで終わってしまうのはあまりにあまりだ……と強く強く思ったものだ。

個別ストーリーでお気に入りは何かと言われると、やはり『怒りの空子』だろうか。空子に関して、当初はよくある二次元アイドルグループのセンターという認識だったが、『怒りの空子』では彼女の強烈な個性と言えるほどの優しさ、天然なところ、そのかわいさ、そして何より他人を思う気持ちがコメディ調の中でいかんなく描かれていた。このエピソードなどを通して空子を好きになったことは、『アイドルコネクト』を好きになる上で非常に重要なピースだったように、思い返してみるとそう思ったりもする。

アイコネストーリーにおける個別ストーリーは思い返してみれば大変いい働きをしていたように思う。比較的ヘビーな物語の続く、「読ませる」メインストーリーに対し、個別ストーリーはライトなノリで読みやすく、またテキストそれ自体の持つ破壊力も大きかった。(例えば留奈のアイドル講座でのやりとりなど。個別ストーリーを切り取った画面をTwitterにあげることで、例えとしては強すぎるが『NEW GAME!』のようにそこから話題になる未来もありえたと思っている) その上でメインストーリーでは描き切れないアイドルたちのユニットを超えた交流や絡み、そしてアイドルたち個人個人の持つ魅力を描く場として大きな役割を果たしていた。例えばアイマスシリーズではプロデューサーとアイドル個人個人との向き合いが重要な要素の一つとなっているように思え、デレステを例にとると、アイドルとの個別コミュにはその他のアイドルは登場しない。(ストーリーコミュやイベントコミュには複数のアイドルが登場し、その掛け合いや絡みはもちろん要素として大きいとは思うが) 一方でアイコネではそれぞれの個別ストーリーで逆にアイドルが一人しか登場せず、プロデューサーと一対一というものはほぼなかったように思う。もちろんこうした比較はむしろアイマスが特殊でありアイコネの特殊性を示すものでは必ずしもないとは思うが、アイコネで重視されていたのは「プロデューサーとアイドルとの一対一の関係」ではなく「(コーチなどのサポート役も含めた)事務所、そしてアイドルという世界を通して、それまで普通の女の子であったアイドル""たち""がお互いに作用し合いながらいかにそれぞれの魅力を開花させていくか」であったのであろうと言うことができると思う。

 

たった1週間ほどだったが非常に濃い『アイドルコネクト』との出会いを果たし、続いてはストリエと(ゲーム内未使用楽曲を含めた)楽曲たちによってアイドルコネクトは私の体に沁みていった。ストリエに関しては背景であのゲーム背景が使われたことがニクいなあと思ったり、あのときと変わらない素敵な彼女たちが感じられたことを心から喜んだりした。ストリエで新たにアイコネに興味を持った人がどれだけいたかは正直苦しいところもあるだろうが、やってくれたことには本当に感謝というのが偽りない気持ちである。

 

そして楽曲たちである。アイコネ楽曲にはゲームが終わってから聴くとどうしてもそのことと紐づけてしまうような歌詞が多くあって、聴くたびに頭を抱えていた。もちろんそんなことを予期して作ったわけではなかろうが、それらの歌詞は文脈を得てしまった。

「「夢」は生き延びていますか「愛」は無事かな 全部 全部おしえて! キミが泣き出すよーな歌 好きに歌ってるから ヒマな時、聞いていいよ」(『ナチュラル*シャイニー』ナチュライク!(柚木ミユ、泉水つかさ、坂上八葉/CV.木村千咲、橋本ちなみ、日高里奈))

「一つ誇れたこと 生きた証がある「足跡がある!」」(『空になるよ、このハピネス。』春宮空子(CV.森千早都))

「ずっとこのまま時が流れて 結ばれないとしても 後悔しないずっと信じてるから 君じゃなければ意味がないよ」(『恋する私←New!』瀬月唯(CV.相坂優歌))

「さよならウサギさん あと5分のエピローグ 習いたての歌うたって 星空に響かせるの ちょうちょ結びが上手で 泣き虫の女の子 こうしてきっと大人になるって ありがとう おやすみ ——また会えますか?」(『さよならラビット』古風楓(CV.大森日雅))

「見ていて 白紙のページ 描き出すから」(『WHITE PAGE』瀬月唯(CV.相坂優歌))

「明日また目が覚めても 昨日の僕とそんなに変わりゃしない これから先迷わないで行こう 今はまだ坂道の途中」(『坂道の途中』坂上八葉(CV.日高里奈))

 

アイコネ楽曲はナナシスほどアイドル性を帯びた曲たちではないが、シンデレラ楽曲ほどキャラソン寄りというわけでもないと思っている。ソロ曲は個人のキャラクターとリンクするものが少なからずあるものの、彼女らを知らずともアイドルソングとして完結しうるものだと思うし、ユニット曲はユニットごとのカラーを出しつつ2パターンの楽曲をもっていて派手さは薄いが聴きやすいという印象だ。ところでミユは歌が超上手いという設定だが、ソロ曲は2曲ともミユらしいほんわかした曲調のためその歌の上手さを聞かせる歌というわけではないように思う。しかしナチュライク!のユニット曲ではなかなか存在感のある歌声を出しており、普段のミユとのギャップが楽しめて好きだったりする。

 

そしてここに今週末発売になる全体曲『Star*Trine』が加わる。

 

 『Star*Trine』を目の前で歌われたら一体どうなってしまうのだろうか。そしてその他の楽曲のうち数曲も歌われるかもしれない。そうしたら、そしてそれがもし自分の目で、耳で、皮膚で、頭で、鼻で感じられたとしたら、一体どうなってしまうのだろうか。

どうなってしまうのだろうか……

 

 

想い出、と言ってみたところであまりにとりとめのない文章であった。しかし考えていたことのほんの一端ぐらいは言葉にできたのかもしれない。ゲームのことやそれぞれのアイドルのこと、いろいろなこと、まだまだ言い足りないしそもそもこの文章がそれを表現できているかも甚だ心許ない。

 

 私は上で述べたようにアイドルコネクトのゲームを始めたのは終了間際であり、サービス開始当初から遊んでいたファンの人たちには申し訳なさも正直に言えば感じている。もっと早くから遊んでいてくれたらもしかしたら、そんなことを考えることもあるかもしれない。自分自身、結局個別ストーリーは読み切れなかったし、もちろんゲーム内イベントにも参加できなかった。それでも、私はアイドルコネクトに出会えて、そしてほんの1週間でもゲームを遊ぶことができて、彼女らの物語を見ることができて本当に良かったと思っている。私がアイコネを始めるきっかけを作ってくれたTwitter、そしてフォロワーには感謝してもしきれない。こんな私だが、これからもずっとアイドルコネクトを好きでいてもいいだろうか。いや、好きでいさせてもらう。

 

 

 

リリイベミニライブでお会いしましょう

 

 

 

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追記

一つ、これは書いておこうと思ったことを忘れていたので恥ずかしながら追記という形でここに書いておく。

アイドルコネクトの想い出として、アイドルコネクトのサービスが終了したまさにその時刻から始まったのが、『アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ』内イベントであり、そのイベントでのイベント曲は『EVERMORE』であった。

私は、一つのゲームが終わったまさにその瞬間に大きなコンテンツ、まさに永遠に続くかと思われるようなコンテンツが、そのものズバリ『EVERMORE』という楽曲を引っ提げて大々的にイベントを始めるのはあまりに皮肉が効きすぎているとまさに笑うしかないといった状態だった。そしてデレステを途切れることなくやっていた私は、アイコネが終了した次の瞬間、とはさすがにいかないが、その日のうちにデレステをまた触っていたのだった。

 

そしてそのとき、ふと心に浮かんだ気持ちを詩のようにしたものを後日紙に書いた。結局少しくらいしか書けずそのままにしておいたが、ここに書いておきたい。まあ供養のようなものだ。お盆だし。

 

みんなは気づいているかな 昨日と今日で街が違うこと

私の好きなお店にはもう どの道だって通じちゃいない

 

あそこのお店は何周年のお祝い

うらやむ気持ちないわけないけど

私だってよく行くお店

 

いい想い出なんかより いつでも目の前に感じられること

それが大事と思いませんか

後に残るは想い出だけど 想い出のために今があるわけじゃない

 

 

…………リリイベミニライブでお会いしましょう……!

 

 

 

 

アニメ『けものフレンズ』はなぜ考察班を生み出したか

 「アニメ『けものフレンズ』はなぜ考察班を生み出したのか。この謎を解明するため、我々取材班はジャパリパークへ飛んだ———」

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2017年冬アニメもおおよそが3話までの放映を終えたが、その中のイエローサーバル、……もといダークホースと言えばそう、『けものフレンズ』だ。

動物をモチーフにしたかわいい「フレンズ」たちの大冒険が繰り広げられるこのアニメは、一見すると子供向けのようにも思える。しかしこのアニメにはところどころに不穏な空気が流れている。打ち捨てられて朽ちたようにしか見えないバス、索条はあるが搬器の見当たらないロープウェー、かばんちゃん以外のフレンズたちと一切の言葉を交わさない「ラッキービースト」、そしてかわいいフレンズたちの大冒険が繰り広げられる本編には似つかわしくない、ただ廃テーマパークの写真が流れるだけのED映像……

 

このアンバランスさをはらんだアニメは瞬く間に一部の視聴者の心をつかんだ。またそうした視聴者たちの中から #けものフレンズ考察班 という者たちが現れ、あるものはTwitter上のつぶやきというかたちで、またあるものはブログの記事というかたちで、各人がアニメけものフレンズに対して「考察」を繰り広げている。その「考察」は、アニメの世界観に関するものであったり、このアニメの裏に隠された本当のメッセージに関するものであったりと様々である。かくいう私も、このアニメの1話を見たときからこのアニメについていろいろと考えを巡らせずにはいられなかったりしている。

 

アニメ『けものフレンズ』についての考察は、特にブログ記事においてまとまった文章として読むことができる。まだ3話放映時の段階でありながら、先行研究はすでにそのあたりのアニメよりも充実しているといえるだろう。

そこで少し視点を変えてみよう。 なぜアニメ『けものフレンズ』はこうした考察班を生み出したのか。言い換えれば、なぜ人はアニメ『けものフレンズ』を考察するのか。

 

視点を変えてみることは研究においても大切なことである。もちろんアニメを視聴するときにも。

 

「なぜアニメ『けものフレンズ』は考察されるのか」という観点に立ち、その理由を少しばかり考えてみたい。この文章は「けものフレンズ考察」であり、同時に「けものフレンズ考察考察」である。

 

 ちなみに「けものフレンズ考察班」については以下のわさすら氏(id:wasasula)の記事が参考になる。

wasasula.hatenablog.com

 

 

・ED映像という「メッセージの場」と考察の土台

 #けものフレンズ考察班 というタグがTL上に踊ったのは、おそらくED映像の観覧車をチェルノブイリの観覧車ではないか?と指摘した @nanarokushiki 氏のツイートがその端緒であったように思う。

 

(※のちに本人によってチェルノブイリではなくペルボウラリスクの廃棄された観覧車と訂正。またタグ自体はそのツイート以前から存在)

 

このツイートをきっかけにしてけものフレンズ考察は本格的に始まったといっていいだろう。そしてまた、このツイートがきっかけになったことは実に納得のいくことでもあった。

というのは、ここで指摘されているのは他でもない「ED映像」だからである。ED映像というのは、本編よりも、そしてOP映像よりもスタッフによる自由度が高いと言えるだろう。アニメによっては、アニメ本編とは関連性の薄いインパクト重視のEDが採用されたりする。つまりは遊びの許される場なのである。

そのED映像にこのアニメはあろうことか「実写の」「廃棄された観覧車」をチョイスした。その後も映像にはキャラクターは一切映らず(よく見るとキャラクターの形をしたようにも見える金型が映っている)、延々と人気のない遊園地のようなものが映される。これはなにを意味するのか。

自由にやれるED映像で、このアニメの(表向きの)魅力と言えるフレンズたちを映さずに「あえて」この映像をチョイスした。いくらインパクト重視でも、文脈と関係のない、ましてやキャラクターすら映らない映像を流すにはインパクトなどとは別の理由を考える必要がある。つまり、これはどう考えても制作側のメッセージと受け取るしかない。「このアニメはこういうアニメですよ」と。

廃棄されたバスなど世界観の裏設定をにおわせるものは本編中にもあったわけだが、ED映像がその仮説を確信に変えたと言っていい。これを受け、考察班は背中を押されるかたちで各々考察を繰り広げはじめたと考えられる。

また、このツイートによって暗示されたことは、「アニメのジャパリパークは実は廃棄されたテーマパークである」ということである。これはアニメ放送前にネタにされていた、「けものフレンズはアニメ放送前に原作のソシャゲが終わっている」ということと奇妙なつながりを見せる。すなわち「アニメの世界はソシャゲが終わった後の荒廃した世界ではないか?」 という仮説だ。この「荒廃した世界観」はある種『けものフレンズ』考察の土台となり、考察班の初めの共通理解となると同時に、そこからさまざまな考察をする上での足がかりともなったのだ。

 

 

・考察という行動と「人間であること」

 けものフレンズ考察ブログの中でも大きな反響を呼んだものの一つは骨しゃぶり氏 (id:honeshabri) によるこの記事だろう。

honeshabri.hatenablog.com

アニメ『けものフレンズ』は動物を知ることで人類とは何かを探求していくアニメだという視点。大変興味深く、また大いに同意できる。(ちなみに私もこの記事が出る前の1話放映時点で似たような指摘をした(オタク特有の対抗意識))

 見返してみたらあんまり似たようなことではない気もする。お詫び申し上げる。

 

さて、それはそれとして。この記事で指摘されているように、かばんちゃんは1話で持久力、投擲能力をもって人間のもつ他の動物に対する優位性を示した。さらに2話では大きな河に即席の橋を架ける。まさに人間のもつ「知恵」を示した格好だ。3話では草をむしって地面に大きな絵を描く。それはまさにナスカの地上絵。このアニメは着実に人間の「人間」たる部分を描き、1話で示された「空を飛べない」「泳げない」「速く走ることもできない」という他の動物に対する劣位性を補ってあまりある人間の優位性が他のフレンズたちに、そして視聴者にも示される。実際、かばんちゃんの発想力や機転はいち人類から見ても素晴らしいものがある。人間だからといってなかなか簡単に思いつけるものではない。

『けものフレンズ』は人類を描くアニメである。そしてアニメの中で人類の持つ優位性が展開されていくのを見たとき、視聴者は何を思うだろうか。こう思うはずだ。「私も人類である」「ジャパリパークではなく21世紀の社会に生きる自分が発揮できる、人類のもつ優位性とは何だろうか」と。いわば、かばんちゃんに「触発」されるのだ。

 

そこで「考察」という行動を考えてみると、それは大雑把に言うなら「作品を読み解き」「それを言語化する」ことである。いずれも人間にしかできないことだ。特に「言語」そして「文字」というものは人類の発明したものの中でも極めて重要である。文字を持つことで「記録」そして「伝達」が可能になり、人類の文化は飛躍的に進歩したといっていい。アニメ本編でもいずれ「文字」についての言及がなされるのではないかとにらんでいる。

さらに言うならば、インターネットで自らの考察を「共有」することもまた当然ながら人間ならではである。かばんちゃんの活躍を見て自らの中の「人間」というアイデンティティを呼び起こされた視聴者は、自らが人間であることを規定するため「人間的」な行動を無意識のうちに欲していたと考えても不思議ではない。21世紀の社会には紙飛行機で注意を逸らすべきセルリアンはいなかったが、文字を紡ぐキーボードと不特定多数とつながるインターネットが存在していた。人々の中の「人間性」が呼び起こされた結果がこの「けものフレンズ考察」なのだ。

 

 

・無償の愛が愛を呼ぶ

「けものはいてものけものはいない ほんとの愛はここにある」

 アニメ『けものフレンズ』OPテーマの歌詞の一節である。私の大好きな歌詞でもある。

 

このアニメには愛があふれている。それも無償の愛だ。1話でかばんちゃんを助けたサーバルとカバ、2話のコツメカワウソとジャガー、3話のトキとアルパカ。みな快く頼み事を受け入れ、また見返りなどを要求することもない。だれも除け者になどされない。楽しければみんなでたのしー!と笑うし、うれしいことがあればみんなで喜ぶ。そう、このアニメは優しさにつつまれている

この無償の愛に絆された視聴者は、この愛を誰かにわけてあげたいと思うだろう。しかし21世紀の社会にはジャパリパークを抜けて図書館に行くかばんちゃんの助けになる機会は存在しない。それではその愛を誰にぶつければいいのか。……つまりは、愛を『けものフレンズ』という作品そのものにぶつけた結果が「けものフレンズ考察」なのだ。

 

アニメを見て、あるいは何度も見返して、そして考察を深めるという行為。それは作品への愛の形だ。見るのも、考えるのも、そしてそれを文章にするのも時間を消費して行う行為である。そしてその考察は愛ゆえに作品の魅力に迫ろうとし、そしてそれを他者に伝えようとする。愛に絆された視聴者が愛に包まれ、そして愛を拡散する。「けものフレンズ考察」は、ある面ではアニメから始まった愛の連鎖なのである。

 

 

・意外性は話題性

なんだかスピリチュアルな話をしてしまった。最後にもう一つ。単純な話ではあるが、結局は「けものフレンズ考察班」一行矛盾感がウケたということだともいえる。

「けものフレンズ」というその存在を知らずともなんとなく脱力してしまうような名称と「考察班」という妙にカッチリした言葉が合体すると、途端にそれは異様な魅力を放つ言葉になる。アニメ『けものフレンズ』はサブタイトルがすべてひらがな(しかも「さばんなちほ」ではなく「さばんなちほ」(!)であり、ますます脱力感を誘う)だったり、本編の方も一見するととても頭を使って見るタイプのアニメとは思えなかったりと、「考察」とは程遠そうなのである。そんなアニメに対し謎のタグをつけてああでもないこうでもないと考察を繰り広げる姿は意外性をもって人々の目に映り、それは注目を集める。注目を集めれば「なんだよこれwww」のような中身のない反応も含め、自然と話題にのぼる。そうして興味を持った人が新たにアニメを見始め、考察に参加する……

 

つまりは、一見したところでの考察との無縁さが功を奏し、「考察されているだけで面白い」という状況をつくりだした

このことが面白いことが大好きな人たちにひっかかり、結果『けものフレンズ』は異様なまでに「考察」されることとなったのだ。

 

 

 

 

 

 

以上、「けものフレンズ考察」について「考察」したが、もちろん、アニメ『けものフレンズ』を考察するべきとも、考察するべきでないとも言うものではない。

このアニメは考察しがいのあるアニメであるし、考察意欲をかきたてられるアニメであるとも思う。しかし忘れてはいけないことは、アニメは考察されるために存在しているのではないということである。

アニメ『けものフレンズ』の試聴体験を通して「たのしー!」になること、大切なことはそこにある。

 

にゃるら氏(id:nyalra)による「たのしー!」な記事↓

nyalra.hatenablog.com

 

 

やっぱりアニメって「たのしー!」

 

2016年テレビアニメ、話数単位で選ぶマイベストテン(20本ノミネート連続視聴方式) ―第5位~第1位―

 

nun-tya-ku.hatenablog.com

 前半↑の続き、第5位から第1位です。では第5位から。

 

 

第5位:『ハイスクール・フリート』第10話「赤道祭でハッピー!」(春)

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2016年は「はいふり」の年だった。はいふりカメラ、はいふり言えるかな、「武蔵です。」「五十六がなんとも磯ROCK!」…… はいふりが生み出したものは枚挙にいとまがない。

そんな中、「はいふり」コンテンツの中で先陣を切った春アニメ『ハイスクール・フリート』から「はいふり」らしさが存分に詰め込まれた「赤道祭回」、第10話を選出。

はいふり」の魅力はとにかくキャラクター、キャラクターの魅力が「はいふり」の魅力である。オリジナルアニメでありながらここまで「キャラアニメ」を突っ走ったのが『ハイスクール・フリート』であった。しかし、このアニメの最大級に不親切なところは、「劇中でキャラクターの説明をしない」ことであった。艦橋要員はまだしも、その他の乗員たちは一部を除いてほとんどモブ同然の扱いだった。

しかし、である。「はいふり」、『ハイスクール・フリート』を十分に楽しむためには、最低でも晴風乗員31人+2人(ヴィルヘルミーナ・ブラウンシュヴァイク・インゲノール・フリーデブルク、知名もえか)全員のことを知っていなければならない。それらのキャラクターを覚え、親しむためのツールは豊富にある。それがはいふり公式サイトキャラプロフィールページであり、公式アプリ内のはいふりカメラであり、はいふり言えるかなであり、公式コミカライズであった。視聴者は積極的にそれらのツールを使い、自主的にキャラクターに親しむ必要があったのだ。受動的態度ではいけない、楽しむためには積極的な態度が必要なのだ。「楽しませてもらおう」なんて視聴態度ではダメなのだ。不親切さをほじくるのではない、楽しむために自分は何ができるのかだ。いつまでも「楽しませてもらおう」という態度では、今に見るアニメがなくなってしまうだろう。来期にはBS11でパッケージリマスター版の再放送がある。今からでも遅くない。キャラクターのプロフィールを覚えるのだ。全部覚えれば、こんなに楽しみにあふれたアニメはない。

さてさて、『ハイスクール・フリート』第10話の話に戻ろう。この回はもはやOVAのような、まさに「お祭り」回であり、艦橋要員もその他の乗員もほとんど同じくらい出番があり、みんなにセリフがあるという点でもとにかく「はいふり」ファン冥利に尽きる回であったと言える。必死になって覚えたキャラクターのプロフィール(例えば八木鶫と知床鈴の実家が神社であること、柳原麻侖の好きな食べ物が焼肉であること、などなど)が次々と言及され、「それ知ってる!」とうれしくなってしまう。ご褒美のような回だ。

この回の見どころはそれこそ無限にあるが、あえて3点に絞らせてもらうとすれば、「納沙」「出し物」「黒木と岬の清算」である。

まず「納沙」であるが、仲の良かったヴィルヘルミーナが晴風を離れてしまった寂しさを埋めるように副長のましろにべったりな納沙を見てほしい。「シロちゅわ~ん」じゃないよほんとに。納沙のうっとおしさ、(少し離れて見ておきたいような)かわいさ、納沙というキャラクターの魅力が存分に発揮されているのであるが、これは黒瀬ゆうこさんの演技が絶妙だ。うっきうきで出し物(仁義ある晴風)の準備をする納沙、砲雷科の主砲ものまねに心底興味なさそうによそ見しながら「コアラの鳴き声じゃないですかねぇー」と言う納沙、岬や知床が絶妙に棒読みの中一人(納沙の)本気を見せて演技をする納沙……。はじめは浮いていた(まあずっと浮いているが)納沙が、副長を犠牲にしながら少しずつ晴風に溶け込んでいる様はやはり見逃せない。

次に「出し物」である。あそこのシーンは「はいふり」が好きでないと見れないが、「はいふり」が好きなら最高のシーンに映る、そういう点で見事だった。出し物のレベルも等身大というか、準備期間のまったくない中で彼女らが即席で考えそうな、そういうレベルのものを出していて好感しか持てない。砲雷科の主砲モノマネに目を輝かせる西崎と立石、そしてうれしそうに答える勝田。勝田は航海科なのにそういうのわかるんだ…!みたいなところも発見があってよい。個人的には武田のが似てるっぽくて好きである。山下、勝田、内田、八木、宇田による航海ラップも、完成度を含めて絶妙だ。客席に振って回答を待つ間前後に揺れているのがなんともシュールな笑いを誘う。次に西崎・立石による漫才。これは元ネタがあってちゃんとエンディングにもクレジットされているのであるが、この漫才を見ていた砲雷科、その中で武田が「私たちの砲術長が人前であんなに堂々と…!」と言うシーンがある。このセリフから、立石は普段無口だけれど、砲雷科のみんなにはちゃんと慕われているんだなということが垣間見え、大変にいいセリフで大好きなのである。最後の艦橋要員たちの劇。めちゃくちゃ好きなガヤが一つ入っているのでそれを是非耳を澄ませて聴いてほしい。ましろが「カシラ!」と言いながら納沙をかばって切られる演技のところで、「よっ!宗谷屋!」というガヤが入るのである。酔っぱらったようなその声はおそらくマッチ酔いした等松によるものであろうと思うが、副長の晴風での立ち位置を表しているようでもあり、大変好きなものだ。

「黒木と岬の清算」について。黒木は入学前から宗谷にあこがれており、宗谷ではなく岬が艦長であることにずっと不満を抱いていた。(入学前の話は前日譚コミックス『はいふり』でチェックされたい) そんな黒木は相撲での直接対決で岬に勝ち、そして対戦後自ら岬に手を差し伸べる。このときの表情もまたいい。大したことではないと思われるかもしれないが、ラストバトルに向けてこの確執は絶対に取り除く必要があった。この清算のシーンを、お祭り回に見事に組み込んで自然にやってのけたところには惜しまぬ拍手を送りたい。しかも、これを仕組んだのは柳原である。柳原は幼馴染の黒木が宗谷にべったりなことをさびしく思っていたが、スネた自分を黒木が見つけてくれたことで自分も黒木のために何かしたいと考える。そして柳原は艦橋要員たちが出し物をやっている間黒木に言うのだ。「クロちゃんがスカッとすること」をやる、と。柳原はちゃんとここの確執をわかっていた。その流れがあっての、あの相撲なのだ。

5位なのに本当に長々と書いてしまった。言いたいことは無限に出てくるがここまでにしておきたい。私が「はいふり」をどれだけ好きかが伝われば幸いである。

 

 

第4位:『ばくおん!!』第12話「もしものせかい!!」(春)

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バイクさながらぶっとんだ展開となぜかいい話につなげる力のバランス感覚が絶妙だった『ばくおん!!』だが、その中で一本選んだのはこの最終話。

まずはバイ太との再会シーン。まさかこんなところで再開できるとは佐倉羽音ならずとも私も思っていなかった。最終話ということもあり、これまでに登場したキャラがしっかり画面に出てくるところが、やはりこの最終回のいい最終回たる証左であろう。

ただ、この回で一番良かったシーンは誰が何と言おうとバイクのない世界で一人「バイク」に乗り、口でエンジン音を言うシーンだ。「佐倉羽音、いきます!」も含め、ここの上田麗奈さんの演技には舌を巻いた。今年でグンと上田麗奈さんのことが好きになったわけだが、そこに佐倉羽音というキャラクターを抜きにして考えることはできない。口エンジンと言えば第1話で自転車を漕ぎながら佐倉羽音は口エンジンを言っていた。それを踏まえての最終回、バイクのない世界で「バイク」に乗る佐倉羽音の後ろ姿はものすごいエモーショナルである。

この「もしものせかい」の中では、バイクのない「合理的」な世界が広がっている。早く移動するなら自動車があり、自分の力で移動するなら自転車がある。今さら第三の乗り物なんて。そのとおり、その通りだ。でも、佐倉羽音は言う、「オートバイのない世界は、ほんの少し寂しい」と。「自転車は優れた人間にしか乗れない」とこの世界の恩紗は言う。もしこの世界に優れたアニメしかなかったら、頭のいいアニメしかなかったら……。その世界に『ばくおん!!』はあるだろうか。その世界は果たして楽しいだろうか。私は、今のこの「バイクのある」世界が大好きだ。あなたは、どうだろうか。

 

 

第3位:『ビッグオーダー』第6話「オーダー!つなげ、魂!BIG connect」(春)

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異常なテンポと異常なセリフ回し、異常な展開力と最高の劇伴。それが天才的で奇跡的な絡み合いを見せ、アニメ界のオーパーツとでも言うべき「異常」な作品が出来上がった、それがこの『ビッグオーダー』だったと思っている。個人的には今年一番の衝撃だったかもしれない。

このアニメの魅力はなんといっても上でも挙げた「異常なテンポ」「異常なセリフ回し」「異常な展開力」そして「最高の劇伴」であると考えている。この第6話はその魅力がいかんなく発揮された回だった。

まずは「異常なテンポ」に関して。この回はエイジが壱与と二人で出雲に行くところから始まる。最初はのんきに出雲そばをすする二人。洞窟に入って遭難、エイジと壱与はちょっといい雰囲気になったかと思いきや…… というところで出雲の巫女登場。前半部分はまあ早くはあるがテンポ自体はありえる程度の早さである。本番はここから。後半は巫女と蹴鞠勝負。二人の気持ちを合わせて勝負に勝ったと思いきやダイバー姿のオッサンにしか見えない次の敵の登場、そのまま戦闘に入り、決着。こんどこそ終わりかと思いきやEDに入る前になんかよくわからん幹部っぽいのが出てきて次元を横断して出雲の巫女が切られて死ぬ。

ここで終わりである。異常すぎる。普通は蹴鞠勝負が終わったところ、あるいは次の敵が登場したところあたりで一旦切るだろう。しかしこのアニメは次の敵との勝負もサラっと詰め込み、一気にやってしまえとばかりに巫女が死ぬところまでやってしまった。この、「まあここで終わるだろう…」という、これまでアニメを見て染みついたテンポ感覚というものを裏切り、何が起こってるのかよくわからないままに畳み掛けてガンガン話を進めてしまう。この感覚はこのアニメでしか味わえない。これは「異常な展開力」とほぼ同じでもある。

「異常なセリフ回し」については劇中のセリフを抜き出せばわかってもらえるだろうか。「与太こいてんじゃねえ!」「お前を妊娠なんかさせねえから!」「蜜壺をドミネート」「イカレポンチじゃねーか!」「お汁がとまんない」「なに言ってんだコイツ」…… これはすべて6話の中で出たセリフである。こんなセリフの洪水を聞けるアニメは、というか聞ける体験は余所ではできないだろう。またこれに関してはエイジ役の森田成一さんの演技が本当に最高でクセになる。

「最高の劇伴」は本当に最高。以上のような異常なテンポ、異常なセリフ回しの後ろで流れる軽快でダサカッコいい劇伴を聴いているとなんだか楽しくなる。見たことのある人ならわかるはずの、あの曲である。音楽なので言葉で書くより実際に聴いてもらうしかない。ビッグオーダーの虜、そしてあの曲の虜だ。

また、この回では壱与がクレジット順で2番目に上がっている。鈴、壱与、瀬奈という三人のヒロインの使い方、そしてそれと連動したこういうクレジット順のいじりは上手い。個人的に壱与が好きということもあり、そして上述した魅力がいかんなく発揮された回ということもあって選出したわけだが、『ビッグオーダー』第6話、堂々の2016年第3位である。

 

 

第2位:『蒼の彼方のフォーリズム』第7話「刺される前に刺せ!」(冬)

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「負けてからが、本当の勝負」 架空のスポーツを題材にして見事な少女の心の揺れ動きを描き、そして試合では青い海、青い空、白い雲、そしてそこに描かれるグラシュの軌道が本当に美しく映え、「青春」を描いたアニメとして視覚的にも抜群のものを見せてくれた『蒼の彼方のフォーリズム』から、みさきの心が折れてしまった、「負けてからが」の部分を見事に描いたこの第7話を選出。

この回はみさきが強く意識し、自身も破れた相手である「絶対王者」真藤と、無名の新人乾との決勝戦から始まる。みさきはまるで自分に言い聞かせるかのように、真藤が負けるわけがないと言う。真藤は最強だ、だから自分が負けたのも仕方がない、むしろそんな真藤と互角に渡り合えたんだから自分はすごいのだ、そう思ったままでいられるために、真藤が負けるなんてありえないと言う。

だが結果は真藤の負け。試合中苦しそうな表情を見せる真藤とまったく無表情の乾の対比も上手い。乾の「美しい」FC、「バードケイジ」である。相手を鳥かごの中においやる技、そして各務先生が「進化の袋小路に迷い込む」と言ったように、それ自身がFCそのものを籠の中に閉じ込めてしまうような、見事なネーミングだったと思う。この回に限ったことではないが、FCの試合中のグラシュのSE、そしてアツい劇伴はこのアニメの魅力を大きく担っている。

自分をただ一つ慰めていた「絶対王者真藤」は崩れた。真藤の負けに激しく動揺するみさき。しかし明日香は言う。「すごいですね!これも、フライングサーカスなんですね」と。また、試合中明日香は言っていた。「すごいのは乾さんの方です!」と。みさきは真藤の負けだけではなく、真藤を負かした乾を「すごい」と言えてしまう明日香にも激しく、激しく動揺する。ここのみさきの「理解できない」「理解したくない」という描写がほんとうに素晴らしい。

みさきは一人買い物へ。フードコートで流れていたテレビは真藤の敗北をニュースとして流す。そこにいた名もなき女の子たちは言う。「真藤先輩、負けちゃたんだって」「へえー、そんな天才が海陵にいるんだー」 「天才」、この言葉がみさきにひっかかる。そして私の大好きなバス停のベンチのシーン。「天才」だと思っていた真藤も努力しているのだということを知るみさき。その上真藤はあの敗北に対して、心を折られるどころか「怖いって…… 楽しいからだよ」と言う。フラシュバックする明日香の顔。そして真藤は決定的な一言を言う。「楽しいと思えなくなったら、僕はやめるよ」そして真藤はバスに乗り込み、先に進む。一方みさきは、進むのをやめ、その場に留まる。強くなる雨の音が、何よりも雄弁に先の展開を物語る……

無垢に強くなっていく明日香に対し、みさきはすごく人間くさいキャラクターだ。そんなみさきの心がポッキリ折れてしまうまでの過程を、みさきのまわりのキャラクターを使って、丁寧に、丹念に、美しく描いた第7話だった。「負けてからが、本当の勝負」本当にいいキャッチコピーだ。そして最高にこのアニメを表現したキャッチコピーでもある。このキャッチコピーを考えた人と酒を酌み交わしたい。ちなみにみさきの「本当の勝負」は11話で乾との対戦という形で描かれる。こちらも本当に最高な回となっている。

 

 

第1位:『アクティヴレイド -起動強襲室第八係-』第5話「消失のポーカーフェイス」(冬)

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 2016年で一番好きな一本に選んだのは、『アクティヴレイド -機動強襲室第八係-』より「ポーカー回」だ。

この作品全体の魅力を語りだすと止まらなくなってしまうので手短にするが、近未来のパワードスーツ、「ウィルウェア」をめぐって、パロディやオマージュにあふれた魅力ある一話完結の物語たちが続いたと思えば、終盤でそれらの話に無造作に張り巡らされていた伏線をものの見事に回収していく爽快感。特に2期の方では1期からの伏線も大量に回収していき、一層その爽快感は強かった。

さて、この第5話の話に入ろう。この回は何と言ってもダイハチがポーカー勝負をする相手、予備校数学教師小野寺の魅力が抜群だ。最初はオドオド、次第にキリッとした顔つきで淡々とポーカーに勝ち続け、かと思えば本性を表してからはペラペラ饒舌に身の上話なんかも話してしまう。ブラッディーマリー、もとい円との最終戦では負けフラグをきれいに立てる舌の回りを見せ、挙句の果てに「敗残者が」とまで言い放つ。そんな自信満々の小野寺が円に負けたときの顔が上の画だ。一瞬にしてこんなに顔が崩れてしまう小野寺が大好き。

黒騎と舩坂さんのダメギャンブラーっぷりも大変魅力的。20万負けてもヘラヘラ飲み代を奢る黒騎。そして酒と女とギャンブルで身を持ち崩したという舩坂さん。二人とも典型的なギャンブルをやってはいけないタイプの人間である。ただ悲しいことに、こういう向いていない人間ほどハマってしまうのがギャンブルというものなのだ。この二人、前半はあれだけボロボロだったのに、円のターンになると突然知ったようにポーカーの場の解説をし始めるのが本当に面白い。舩坂さんが小野寺と対戦しているときの「今やまるでデスマスク」発言も好きだが、小野寺と円の対戦、その最終局面において二人が「いや、決着の流れに向かっています」「ああ、今来ているのはビッグゲーム!」と言うところが本当に好き。お前らさっきまでボコボコに負けてたのになんでそんなカッコつけてるの!?特に黒騎なんて本当に一瞬で負けたのに……

そして大西沙織演じる天野円、その最大にして最高の見せ場がやってくる。「できるの?ポーカー」というはるかの問いにビシッと親指を立てる円のかわいさよ。小野寺と互角に渡り合うも押され始め、15分のタイムを申し込む円。15分経って小野寺はつぶやく。「15分…… 私の勝ちか」戻ってきた円、もといブラッディーマリーはさっきとは一段変わった艶やかな声で言う。「いいえ、あなたの負けよ」(!!!) このときの円の両脇にいる、ストライクインターセプター姿で外からは表情の見えない黒騎と「どっひゃ~」という舩坂さんの顔の対比も抜群にいい。そこからは円ではなくブラッディーマリーの声で役を作り、局面は最終盤へ。

場の雰囲気に乗せられたのか、ここにきて円も名ゼリフを連発する。「お前にギャンブルをやる資格はない。お前はギャンブルに溺れた溺死体、ただ闇を漂う者。ギャンブルの醍醐味は、ギャンブルを離れて光の世界に帰還することにある」「あとこれはね…… わざとよ」「ゲームの終わりは、次のゲームの始まりでもある。また会いましょ」

その後の飲み会の最後、舩坂さんのかけた「趣味はほどほどにね。弟さんや妹さんのためにも」という言葉に対して円が見せた笑顔が、100点満点の笑顔だった。

この回はセリフの強度が段違いだった。やはりギャンブルをすると人間の本性が出るのだろうか、ほとんど全員場にのまれたかのように名言をどんどこ生み出していく。また、ポーカーのルールがわからないとあさみが言うシーンでは、並のアニメならルールの解説に少し時間を割いただろう。しかしこのアニメはそんなことはしない。そもそもポーカーのルールをわかることはこの回を楽しむにあたってさして重要なことではない。そもそもそんなものはアニメに求めることではない。インターネットで自分で調べればいいことだ。なんでもかんでも自分で調べる前に人に答えを求める姿勢に再考を促しているのである。

そして劇伴。これは第3位に選んだ『ビッグオーダー』、第2位に選んだ『蒼の彼方のフォーリズム』もそうだったが、劇伴のいいアニメはいいアニメ、いいアニメは劇伴がいいアニメだ。ブラッディーマリー登場から流れるあの劇伴は、テンションをグイッと上げてくれた。

「ポーカー回」の歴史に一つ新しい一本が加わった。この回は何度見ても変わらずポーカー勝負でテンションが上がる。30分のエンターテインメント作品として今年はこの一本が第1位、文句なしだ。

 

 

 

以上、私が選んだ今年のベストテンである。いかがだっただろうか。

正直に言うと今年は去年に続きアニメを見た本数は少なかった。30分尺のアニメに限ってしまうと完走したタイトルは50本に届かないくらいだろうか。こんな程度で今年の10本を選んでしまったことに関しては素直にお詫びを述べたい。あれを見てないのに10本選んでも不十分だろ、というご指摘は重々承知だ。

だが、それでも今年のアニメは本当に充実していた。このベストテンも、どの回も本当に最高で、私としては自信を持って、胸を張って今年のベストテンだと言える。

 

さて、20本にノミネートしたものの苦渋の決断でベストテンに入れられなかった10本もここに記しておきたい。順番は今回の視聴順に従う。

・『ViVid Strike!』第8話「勝者と敗者」(秋)

・『ふらいんぐうぃっち』第5話「使い魔の活用法」(春)

・『蒼の彼方のフォーリズム』第11話「わたし負けない!」(冬)

・『最弱無敗の神装機竜』第7話「少女の真実」(冬)

・『少年メイド』第7話「学問は一日にしてならず」(春)

・『アクティヴレイド -機動強襲室第八係- 2nd』第10話「訣別の宴」(夏)

・『フリップフラッパーズ』第8話「ピュアブレーカー」(秋)

・『ハルチカハルタとチカは青春する~』第7話「周波数は77.4MHz」(冬)

・『灼熱の卓球娘』第5話「あなたとドキドキしたいから」(秋)

・『クロムクロ』第14話「祭りに踊る羅刹」(夏)

 

そして、あみだくじで決めたベストテンも含めた20本の視聴順は以下の通り。

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クールごとの偏りはまったく考慮していなかったが、見返してみるとノミネート作品では冬・春・夏・秋がそれぞれ、6本・5本・4本・5本。ベストテンの中ではそれぞれ、3本・3本・2本・2本。うまい具合にバラけた。豊作だ不作だなんだと世のオタクは言うが、ちゃんと毎クールおもしろいアニメが放映されていることの表れだろう。

 

紅白が始まってしまった。2016年も終わりだ。2017年はどんなアニメに出会えるのだろうか、今から楽しみで仕方ない。来年も良いアニメライフを送れるものと信じている。ただ来年こそ視聴数を元に戻したいところではあるが……

 

みなさん、良いお年を。