アイドルコネクト メモリア第5章、そして羽田千乃について

 

表題の通り、この文章はアイドルコネクトチームシナリオメモリア第5章についての、そして羽田千乃についての文章である。

 

これから書く「メモリア5章」は、アイドルコネクトノベルアプリに収録されているシナリオである。そして、実際に読んだことのある人間は、果たしてこの世に何人いるのだろうか。

200人?300人?いや、さすがにもう少しいるだろうか。わからない。だが、わたしはこれからアイドルコネクトチームシナリオメモリア第5章について書く。

 

なぜならメモリア5章がとても、とても優れたシナリオであると思うからである。そして、それがほんの少しの好事家たちにしか読まれていないということは、この世における感情の損失だと思うからである。

 

 

さしあたり、ここで詳しく前提知識などを記すつもりはない。だいたいここで詳しくアイドルコネクトのことを述べたところで、知っているひとは知っているし知らない人は一瞥もくれない。そういうものなので特にここではアイドルコネクトについて述べることはしない。アイドルコネクト、少なくともチームシナリオのメモリア4章までは読んでいるという前提でこの文章は進んでいく。

 

 

 

さて、メモリア5章を読んで(このメモリア5章は元々のリズムゲーム時代のアプリが終了してから約1年半後に続きとして我々のもとに届けられたエピソードだった)、オタクは全員口を揃えてこう言った。

 

 

おれは羽田千乃のことをなんにも分かっていなかった

 

 

 と。

 

私もそう思った。私も、実に1年半以上の間、羽田千乃のことをなんにも分かっていないままのうのうと生きていた。

 

 

羽田千乃、彼女は天才である。天才というと10歳でアメリカの大学で博士号をとったりとか、そういうことを想像するかもしれない。羽田千乃は天才だが、そういう人間ではない。幼いころから芸術方面での才覚を顕し、各種の表彰状を受け取ったり。部屋にはそうして手に入れた表彰状やトロフィーがたくさん転がっている。彼女はそういった類の天才である。

彼女は天才である。彼女は何でも一人でできた。ゆえに彼女は他人を必要としなかった。これは大事なことなのでもう一度言うが、羽田千乃は一人で何でもできた。ゆえに彼女は一人で大丈夫だった。これは羽田千乃自身がメモリア5章の中で言っている。

 

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メモリア5章、これは単純に言えばひたすらにミスリードを展開するシナリオである。上に述べたようなことから、ここまでアイコネのシナリオを読んできた人たちが当然思い浮かべるような、「羽田千乃は天才で、何でも一人でできる」⇒「だから自分が活躍できない、うまくいかないことをつまらなく思っている」⇒「そして羽田千乃はつまらないこと(=アイドル)を続けていくつもりはない」 ということを、例えばプロデューサーのモノローグを使って、例えば唯の心配を使って、あるいは楓の何気ない核心をついた一言を使って我々に誤認させようとする。そして物語の読者たるわれわれは、まんまとそれに引っ張られる。

 

 

少し順番が前後したが、ここでメモリア5章のシナリオについて軽く書いておく。

 

空子、唯、千乃の3人からなるメモリア。その中で、唯だけがモデルなどの仕事が増えていた。それに対し、千乃はどこかつまらなさそうな様子。それなら、千乃が好きなことをみんなで一緒にやろうと公園での写生大会を計画するも、唯は仕事が入り、結局千乃と空子だけとなってしまった。遅れてやってきた唯が何の気なしに千乃の絵を覗き込もうとすると、千乃にそれを拒絶されてしう。ただなんとなく距離が開いてしまったメモリア、ライブの日は少しずつ近づいてくる。このままではいけないとプロデューサーは千乃と話をする。

プロデューサーや唯は、プライドの高い千乃がアイドルという世界では思ったようにうまくいっておらず、同じユニットの唯に先を越されているように感じて、アイドルをやめてしまうんじゃないかと心配していた。だが、千乃の気持ちはそうではなかった。彼女は生まれて初めて、「寂しい」と感じていた。空子と唯と3人で、「メモリア」の3人で一緒にいられないことを寂しく思っていた。そしてメモリアのためにアイドルとして活躍できていないことを悔しく思っていたのだ。

そしてライブ前、千乃は自分の気持ちを空子と唯に伝える。それはずっと一人で生きてきた千乃にとって、あまりにも大きなことだった。千乃は目の前にある壁を壁として認識し、それを越えた。メモリアはユニットとして一つ高いステージへと進んだ。

 

 

おおよそこのようなシナリオである。上で述べたように、読者たるわれわれの「千乃はプライドが高く、唯だけに仕事が増えたらつまらなく感じるんじゃないか」という想像を利用し、プロデューサーと唯という補助線の上に乗せながら千乃を「誤解」したままシナリオを進めることで、「そうじゃなかった」という、千乃が心の内を吐露するシーンを最大限効果的にぶつけているのだ。そしてその衝撃があまりに大きく、メモリア5章を読んだオタクは全員「おれは羽田千乃のことをなんにもわかっていなかった」と自らの誤解(それは「俺は羽田千乃のことをわかっている」という高慢な態度でもあった)を恥じ、アイコネがキャラクターをいかに丁寧に描いているかということを改めて思い知るのである。

 

 

以下、メモリア5章について、あるいはメモリア5章に関連することについて、自分が思うところをいくつか書いていく。まとまった文章とは言えないが、自分がメモリア5章について思うところが多少なりとも伝われば幸いである。

 

 

  • 「補助線」——プロデューサーと唯、そしてメモリア3章 

 

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「千乃が自分に仕事がないことをつまらなく感じ、アイドルから心が離れていってしまうんじゃないかという危惧」は、読者が「神の視点から」感じるだけではなく、上述のように物語中でもプロデューサー、そして唯が感じていることである。それらはすべてあくまで「心配」ではあるのだが、そういった物語中の描写をはさむことで、「そうに違いない」という思い込みが発生する。

メモリア5章でのこの思い込みは、突然に出てきたものではない。千乃はメモリア3章のシナリオで、ライブよりも絵のコンクールの授賞式を優先しようとしたということがあった。結局は千乃は授賞式よりライブを優先したわけだが、羽田千乃にとって絵を描くことがどれだけ大きいかということを、読者も、そしてプロデューサーや唯も思い知ったのである。そこでの羽田千乃の一種「危うさ」が脳裏に刻まれていることも手伝い、5章における千乃への危惧は簡単に形成されてしまったのだ。

さらに言えば、唯がそう思ってしまうことにも強い納得がある。唯はメモリア4章で、自分が他人にどう見られているかということについて強く意識させられている。そんな唯だからこそ、自分にばかり仕事がくることで千乃がどう感じるかということについても敏感になるし、唯自身の繊細な性格も相まって、自分のせいで千乃のプライドが傷ついているのではないか、そんな風に考えてしまうのである。これはアイドルコネクトのシナリオが持つ素晴らしい点なのだが、アイドルコネクトという物語では、シナリオの都合でキャラクターが動いたりセリフを言うのではなく、キャラクターの描写がまずあって、それぞれのキャラクターがこういう状況では何を思い、どう行動するかということの積み重ねによってシナリオが紡がれていくのである。このメモリア5章にあたっては、シナリオ上唯によるミスリードが必要になってはくるわけだが、ここでの唯の思い、心配はシナリオに言わされているものではなく、瀬月唯という存在ならば当然思い至ることだという納得(あるいは合意)のうえにあるものなのである。

 

 

  • 羽田千乃はなんと言っている?

 

「補助線」(ミスリード)について書いてきたが、ここで羽田千乃の言動「だけ」を抜き出してメモリア5章を読んでみる。すると、初見での誤認が嘘のように、羽田千乃が何を考えて何を求めているのか、それがスッと頭に入ってくる。

 

例えば、5章第2話でのプロデューサーが千乃の部屋を訪れたときの回想シーン。千乃は自分の部屋をプロデューサーに見せ、千乃の良いところを知ってもらえたらライブに出してもらえるかもしれないと言う。それは捉えようによっては、千乃が現状に不満をもっていて、自分のすごさをわかってほしいという思いから出た言動のようにも思える。だが、5章を最後まで読み、千乃がメモリアというユニットに対してどう考えているかをわかった状態で読めば、それは少し違うということがわかる。千乃は自分のすごさをわかってもらうことで、メモリアとしての活動につなげていければと無邪気に考えただけだったのだ。

5章における千乃のライブに対する反応を見ていけば、千乃は常にライブを欲していたことがわかる。千乃は一度もソロの仕事を求めてはいない。ライブとはユニットでの仕事であり、千乃はメモリアとしての仕事としてライブの場を求めていたのである。

 

あるいは、5章第1話で仕事に行く唯に対して「唯さんのこと待ってるね」と言ったシーン。唯はこの言葉と千乃の笑顔に対し、少し表情をこわばらせてしまった。この言葉に存在しない棘を感じてしまっていたのかもしれない。だがこの言葉は素直に唯が戻ってくるのを待っている、唯さんと一緒にいたいという気持ちを伝えただけだったのだ。

 

そして、公園で絵を覗き込まれて拒絶してしまうシーン。このシーンで千乃は「『空子さん』も、『唯さん』も、千乃の世界に入ってこないでほしい」と言う。唯からすれば、完全に地雷を踏んでしまったと思うシーンである。では、このときの千乃はどうしてこんな言動をとってしまったのだろうか。

 

これに関しては、5章第4話でのプロデューサーとの会話が答えをくれる。千乃は決して唯が仕事で遅れてきたこと、ファンの女の子を連れてきてしまった(もちろん勝手についてきたのであるが)ことが嫌だったわけじゃない。千乃は自分の中に自分の知らない感情が生まれてきたことに戸惑っていた。混乱していた。ずっと一人で平気だった千乃は、初めて「寂しい」という感情を自分の中に見つけた。しかし、その感情との向き合い方がわからない。それでも千乃は「平気なフリして、余裕そうに振る舞うこと」くらいしかできなかった。それしかできなかったからそうしていた。あのシーンは、そうやっていつも通りに振る舞おうとしていた千乃の緊張が一瞬保てなくなって出てしまった、そんな言葉なのだと思う。ずっと千乃はその感情に戸惑いをもっていて、それを表に出さないように我慢していたのだと思えば、「突然」は「とうとう」に読み換えることができる。それならばなぜああいった言い方になってしまったのか、ということについては、まだこれという答えを出せていない。千乃にとって最もなじみのある状態は一人でいることであり、反射的にそれを求めた、と考えることにしている。

 

 

  • メモリア5章を読まずして本渡楓の演技を語る勿れ

ここまで語ってきたメモリア5章についてだが、羽田千乃を演じる本渡楓さんの演技、これがまた非常に良いものとなっている。特にプロデューサーと公園で話すシーンの何でもない風な演技、そしてあふれ出る感情を抑えられない演技はすばらしい。羽田千乃がこれまで天才としてどんな風に生きてきたのか、それは普通の人間にはなかなか簡単に想像できることではない。だが、本渡さんの演技を通して羽田千乃がしゃべっているのを聴くと、なんとなく想像できる気がするのだ。「この子は天才で、ずっと一人で他人を必要とせず、ただ自分のやりたいことだけをやってきたのだ」ということを理解させるような、そんな演技なのである。

そんな千乃が、「寂しい」という自分にとって未知の感情を前にして戸惑いながらそれを話すシーン。「焦るの。怖いの」と言う千乃のセリフ。それまでの「いつも通り」を取り繕いながら話す演技と合わせて、ここからの心の揺らぎが乗ったセリフは必聴だ。

 

 

  • 『Pastel Graph』の歌詞とメモリア5章

羽田千乃のソロ曲『Pastel Graph』、その2番の歌詞で、私はずっと腑に落ちなかった一節があった。それは次の箇所である。

言葉にすれば こんな絵よりも早いけれど

 羽田千乃にとって、絵を描くということは何よりも大切で大好きなことである。それを「こんな」とはどういう了見だ、解釈違いだ、とずっとひっかかっていたのであった。

 

なんにしても歌詞の一節だけにこだわるというのは視野が狭いと言わざるを得ない。その前の歌詞から書き出してみる。

そっと 弾ける

少し揺らぐ気持ちのグラフ

ずっとドキドキ?

今日の素敵な色見せてよ

 

きっと明日は

私 明るい未来描く

言葉にすれば こんな絵よりも早いけれど

 「こんな絵」とは、「私」が描いた「明るい未来」のことを指しているように読める。

 さらに、2番のサビから、「未来」に対応する歌詞の部分を抜き出してみる。

七色ミライ キラキラ

光の線で重ねていくよ

焦る気持ち ユラユラ

こんな淡い 色でもいいかな?

 「こんな」が出てきている。

 「未来=ミライ」は七色でキラキラしている、それに対して「私」は「こんな淡い色でもいいかな?」と焦っている。「淡い色」とはすなわち、個性の弱い自分のことだと解釈できるだろう。アイコネはセピアがカラフルに、カラフルが虹へと変わる物語であるので(『Star*Trine』の歌詞を参照)、色とはアイドル自身のことを表す。

と、ここでメモリア5章から引っ張ってこよう。千乃は自分にはアイドルの才能がないと断じ、空子や唯と比べて自分は「いつもふざけた顔して、かっこつけて、平気なフリして、余裕そうに振る舞うこと」くらいしかできないと話す。また、プロデューサーに対し抑えていた感情を吐露する場面でも、「焦る」とも言っていた。つまり、2番サビのこの箇所は、メモリア5章に照らして解釈すると、メモリアのキラキラした未来(しかも「七色ミライ」)に対して、千乃は「淡い色」しかもたない自分で大丈夫なのか焦っていると読める。歌のほうは曲調と歌声も相まって、シナリオのように身につまされるような感覚は読み取れない。(というよりも、「こんな淡い色でもいいかな?」という歌詞は「いいよ」という肯定をも含んでいると考えるのが自然だろう)

というわけで該当箇所に戻ろう。千乃の、キラキラした未来に対して自分はこれで大丈夫なのかという焦りを踏まえる。「私」が描いた「明るい未来」、つまり自分が描いた絵は、上述の千乃自身の「淡い色」への不安な気持ちをそのままスライドさせれば、「これで大丈夫なのか」というネガティブな感情を向けられる対象になり得る。千乃が「こんな」という言葉を絵に対して使うのか、というひっかかりは、メモリア5章における千乃自身の自らへのネガティブな感情を踏まえたうえで、「こんな絵」が千乃によって描かれたものだとすれば、一応は納得ができる。

ここからあと2歩だ。まず、この歌詞のひっかかりを解くために重要な千乃のセリフをメモリア5章から一つ引用する。

 ……。今、目にうつってるもの、心にうつってるもの、空子さんにはある?

(中略)

うん。配色もデッサンも気にしなくていいんだ。……伝われば、どうでも

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 「伝われば、どうでも」 私は最初このセリフを聴いたとき、千乃ってそういう言い方するんだ、と驚いたことを覚えている。「伝われば、なんだって」とか「伝われば、どんなでも」とか、もう少し丸い言い方はいくらでもあったはず。それなのに千乃は「どうでも(いい)」と言った。ここから読み取れることは、千乃はもちろん絵を描くことが好きだが、その先にあるものとして、自分が見ているもの、感じているものを誰かに伝えることを重視している、そしてその手段として絵を描いているということだ。これは自分の中で大きなことだった。ずっと一人でいた千乃が、絵は伝わらないと意味がない(この表現は言い過ぎかもしれないが)と考えているとは思っていなかったからだ。てっきり、千乃にとって絵というものは自分の中で完結していればそれでいいものだと思い込んでいた。しかし、そうではなかったのだ。思い返せば、千乃は自分の描いた絵や芸術作品を嬉しそうに人に見せていたような気がする。ともあれ、「どうでも」という言い方を聞いてしまっては、絵に対して「こんな」という言い方も千乃的にはナシではないのかもしれないという思いに至る。そして、伝える、伝わることを重視する千乃を踏まえれば、伝える手段としての「言葉」が対として出てくることにも納得がいく。

そしてこれが最も重要だ。メモリア5章で千乃が描いていた絵がある。事務所に顔を見せず、家で一人で描いていた絵。公園で唯に覗きこまれ、思わず拒絶してしまったときの絵。それはメモリアの為の3人の衣装の絵だった。千乃は、メモリアにとって「役に立つ」ためにその絵を描いていた。おそらく、とても不安だったはずだ。自分にアイドルの才能がないと感じてしまっていた千乃が、それでも自分のできることを通してメモリアの一員であり続けようとして描いた絵。この絵で千乃が伝えたかった気持ち、それは、空子と、唯と、一緒にいたいという気持ちだった。そしてその気持ちは、ライブ前に千乃が直接空子と唯に「言葉で」伝えた気持ちでもあった。もちろん、千乃がメモリアのためにと描いた絵の意味は大きいが、ここでは、千乃が「言葉で」想いを伝えたということを重視したい。言葉で想いを伝えるということは、それほど簡単なことではない。ずっと一人でいて、誰も必要とはしなかった天才の千乃であるならなおさらだ。ずっと気持ちを誤解されていた千乃だが、「言葉」にすることで「こんな絵」よりも早くその想いを真っ直ぐに伝えることができたのである。(「こんな淡い色でもいいかな?」の箇所と同様に、「こんな絵よりも早いけれど(でもそれでいいんだ)」という肯定のニュアンスもこの歌からは読み取れる。すなわち、絵の否定、言葉の肯定という二項対立では決してないということを最後につけたしておく)

それでは、曲の最後にくる『Pastel Graph』のサビの歌詞を引用してこの話を終わりとしようと思う。

パステルカラー キラキラ

私の振りまいた輝きで

今すぐ声 届けて

虹色に描くから

 

七色スター キラキラ

光の輪郭 つないでいく

君の気持ち ねえほら

こんな想い 伝えきれるかな

 *1

 

 

 

 

 

  • メモリア5章が投げかけるもの——天才とアイドルと才能

 

 結局のところ、メモリア5章のテーマとはなんだったのか。私は、アイドルという特殊な職業(生き方)における、天才と才能についての話だったのだと思っている。

 

千乃は自分にはアイドルの才能がないと言った。では、アイドルの才能とはいったいなんなのだろう。

顔がいいこと?歌が上手いこと?ダンスができること?トークができること?あるいは、誰からも好かれる愛嬌の良さ?

これらはすべて、アイドルであるならば大なり小なり求められることだろう。だがしかし、これらを満たしてないとアイドルになれないわけではないし、ましてやこれらすべてを満たしていれば必ずアイドルとして成功できるわけでもない。

フィクションの世界、現実世界、見渡してみれば本当にたくさんのアイドルがいる。いろんなアイドルがいる。では彼ら彼女らが持っている才能とはなんだろうか。それらはあまりに多様すぎて、「こうだからこう」と断じることなんて不可能だと思う。

ひとつ確かなことがある。それは、ファンがいなければアイドルとして存在できないということだ。アイドル育成ゲームで「ファン数」というパラメータがあることは往々にしてあるが、その初期値は「1」である。決して「0」ではないのだ。(ゲームにおいては)プロデューサーという存在がその人間のファンになって初めて、その人間はアイドルとしての一歩を踏み出す。

 

話が逸れた。

 

羽田千乃が自分にはアイドルの才能がなかったと言ったとき、わたしは悲しかったし、そんなことないと言いたかった。千乃はなんでもできて、一人で生きていけるすごい女の子なんだと思ってきたし、その在り方に憧れていた。""だって、千乃は天才なんだから""

ああ、なんてことはない。これもまたミスリードだったのだ。羽田千乃は天才だからアイドルの才能もまた当然持っているのではなかったし、天才だけどアイドルの才能はなかったのでもない。最初から「アイドルの才能」なんてものは存在しなかった。

しかし、それでも。羽田千乃はアイドルであることを辞めなかった。アイドルであることを選んだ。ずっと一人だった自分の世界に、離したくない他人を、離したくない友達を見つけたから。

 

アイドルコネクトはユニット単位でシナリオが進む。ここからはわたしの想像であり妄想であるが、アイドルコネクトのシナリオには、アイドルは——というよりも人間は——他人との関わりがあってこそ輝いていけるんだという哲学があるのだと考えている。「一人でなんでもできる」羽田千乃はいわばそのアンチテーゼのような存在だったのかもしれない。「才能があること」がすなわち「一人でできること」であるならば、初めから才能というものが存在しないアイドルという世界では、「一人でできる」という考え自体が成立しない。千乃が空子、唯とずっと一緒にいたいと思ったことで、彼女たちはアイドルのスタートラインに立てたのかもしれない。

 

 

  • でも

 

羽田千乃はアイドルの世界では特別な存在ではないのかもしれない。それでも、羽田千乃が天才であることは揺るがないし、意味を持ち続けると思っている。彼女たちが「淡い色」ではなく「カラフル」になるとき、千乃には胸を張って「千乃はね、なんでも簡単にできるんだよ」と言ってほしい。どこかで聞いたような話だが、一人で大丈夫だった人間が一人では大丈夫じゃなくなることをわたしは「成長」とは呼びたくない。羽田千乃には羽田千乃の色がある。その色の輝きを、それらの色の輝きを、いつかアイドルコネクトという物語は見せてくれるはずだ。

 

 

 

  • 最後に

 

 

 

 

*1:ところで、この曲の作詞作曲を担当したShinpei Sheena氏はアイコネ楽曲ではこの一曲しか書いていない。本人の当時のブログ曰く「キャッチーなガールズポップを目指して」作られたらしい。この照らし合わせ具合からするに、メインシナリオを踏まえての作詞だとは思うのだが、もしそこまでの詳しい資料なしにこの曲ができたとしたら相当すごいことだと思う。もしくはオタクの深読みが度を越していたかだが。