人生の彩り、そして花

1.

金曜日、新宿。
ゴールデンウィークが終わり、昼は日に日に長くなっている。梅雨入り前の過ごしやすい時期を逃すまいとしているのか、街もいくらか騒がしい。
わたしは今日、いつもより何倍も軽い足取りでこの街へ来た。今日は月に一度の三姉妹が集まる日。わたし、彩乃、そして花菜。たまささsistersのごきげんな飲み会は、賑やかな新宿の街に似つかわしくない、心から安心できる時間だ。

「お待たせー」
「遅い!あたしを待たせるなんて、いい度胸じゃないの、彩乃!」
「えー?ちゃんと約束の時間には間に合ってるでしょー?」
「まあまあ。みーちゃんはのーちゃんに会えるのが楽しみでちょっと早く来すぎちゃっただけ。照れてるんだよ」
「かっ、カナ!ちょっと!」

今でも甲斐の実家に住んでいる彩乃は、毎回特急に乗って新宿まで来る。花菜はここから私鉄に乗って2,30分のところで一人暮らし。わたしは花菜と方向は同じだけど、JRの沿線で一人暮らしだ。

この「たまささsistersのごきげん飲み会」は、去年花菜が大学進学を機に上京したことをキッカケに、毎月開かれている。ガルラジプロジェクトが終了した後、アイドルになった花菜の友達のツテを頼りに、わたしはどうにか東京でアイドルとして活動を始めた。あのときは人生で一番彩乃とケンカしたかもしれない。今思えば、あれはわたしを心配してくれたんだな。双子なのに、わたしと違って不器用なヤツ。

「そーいえば彩乃、今日も仕事だったんでしょ?よく間に合ったね、もしかしてサボった?」
「サボってないわっ!……まあ、今日、てか明日は大事な日だしね。二人待たせちゃうのも悪いし。ていうか、彩美も普通に仕事でしょ。ちゃんと仕事してるの?」

彩乃はおカタい公務員。何してるのかはよくわかんないけど、仕事帰りにこの時間に新宿までこれるんなら、まあ楽な仕事なんだろう。

「みーちゃんはちゃんとお仕事してるよ。さっきも喫茶店でケーキごちそうしてくれたんだ」
「カナ〜〜!うんうん。もっと言ってやって!」
「あんたねえ…… まさかと思うけど借金なんかしてないでしょうね?」
「するわけないでしょ!彩美サマは元アイドルなんだからその辺のところはクリーンなの」
「その辺のところ"は"?」
「全部!」

わたしは"元"アイドルだ。アイドル活動は楽しいよりも大変なことが多かった。直接のきっかけが何だったか、はっきりとは覚えていないけど、22歳の冬にわたしはアイドルを辞めた。でも、かわいい衣装を着れたりしたのは良かったな。
わたしがアイドルを辞めて、彩乃も花菜も、そして父も母も、わたしが山梨に帰ると思っていたらしいけど、わたしはなんとなくこの街を離れられなくて、なんだかんだで一人暮らしを続けている。はじめの頃はバイトを掛け持ちしたりしてたけど(アイドル活動をしていたときからバイトはしていた)、今はいわゆるハケンってやつだ。なにをやってる会社かはあんまり興味ないけど、会社の人はみんな優しくしてくれるし、居心地はそんなに悪くない。そういえば、以前アイドルやってたって言ったらウケが良かったな。ラジオをやってたことは誰にも言っていない。

「みーちゃんのーちゃん、今日はどんなお店に行くの?」
「ふっふーん。今日はねえ、いつもよりちょっといいお店だよ」
「今日はなんといってもカナの誕生日前夜祭だからね。あたしと彩美で選んだんだ」
「そ、それは恐悦至極。すごく楽しみ」

いつもは安くて美味しい居酒屋を適当に探して入るんだけど、今日はちょっとおしゃれなイタリアンだ。お店選びのとき、珍しく彩乃と意見が一致した。昔からそうだったけど、花菜のためだと思うと自然と彩乃とは意見が一致する。なんといっても花菜はわたしたち双子の殿堂入りだもんね。



2.

「「「かんぱーい!」」」

いつもより少し軽い3つのグラスは、控えめで大人な音をテーブルに響かせる。

「のーちゃん、今日はお仕事終わりで来てくれてありがとう。お疲れさま」
「ありがとう、カナ。今週はこれが楽しみでなんとか毎日頑張れたんだー」
「あたしもあたしもー!」
「みーちゃんもありがとう。わたしも今日がすごく楽しみだったんだよ。大学の友達にお姉ちゃんたちとご飯食べに行くんだって言ったら、写真撮ってきてね!って言われちゃった」
「はいはーい!自撮りならこのあたしにまかせて。厳しい令和のSNSで鍛えたこの自撮り力(ぢから)!」
「あんたが撮ってもいいけど、ちゃんと3人写るようにしてよね……」
「あったりまえでしょー?カナを写さなくてどうするのよ」
「あたしも忘れるな!……まあ、ダメだったら店員さんに撮ってもらうか」

ワインはビールより度数は強いけれど、今日はなんだか優しい酔い方をしている。わたしも彩乃もあまり顔に出る方ではないけど、今日は少し頬が赤い。花菜にも飲ませてあげたいけど、あと数時間経つまではダメだよね。なんてったって花菜は清廉潔白でいなきゃ。

「しっかし、あの天才大天使カナが成人しちゃうとはねー。あたしたちも26歳になるわけだよ」
「ほんとほんと。いつまでもあたしたちのかわいい妹って思ってたけど、もう立派な大人だもんね。というかカナは昔からあたしたちより断然しっかりしてて大人だったけど……」
「わたしはいつまでもみーちゃんとのーちゃんの妹だよ?」

花菜はこんなにうれしいことをサラッと言ってくれる。お姉ちゃんは花菜のお姉ちゃんで幸せだ。彩乃と自然に呼吸が合う。短く息を吸い込んで。

『カナ〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!』

いけない、ちょっと声が大きかったな。

「そういえばカナって中学生のときからあたしの大学のゼミに遊びに来てたんだよね。昔から天才だったけど、このまま歴史に残る大天才になっちゃうんじゃない?」
「いやいや。のーちゃん、十で神童十五で才子、二十歳過ぎればただの人って言うよ」
「じゃあカナはまだギリギリ二十歳になってないから才子だね」
「ね、じゃああたしは?」
「あんたは昔から今までずっとバカ美だ!」

ひど。


3.

賑わっていた店内はいつのまにか遠くに感じられ、ここにはわたしたち三姉妹の空間ができていた。

「そーいえば彩乃、お父さんとお母さん、なんか言ってた?」

なんでだろ。聞きたいわけでもないことを聞いてしまう。

「んー、たまには帰ってこいってさ。ま、いつものことだけどね」

ほらね。まあ、そう言うよね。
親との仲が悪いわけではない。でもなんとなくまだここにいたい。電話でしゃべったりすることは年に何度かあるけど、たまには帰れという話になるとなんだか居心地が悪くなってしまう。わたしは今ここにいるのに、その話になるとなんだかここにいちゃいけないような気がして、少し気持ちが沈む。

「ま、あたしはこうやって彩美と会えてるからいいけどね。お父さんとお母さんも寂しいんだよ、きっと」
「……みーちゃん、わたしは、みーちゃんが帰りたくなるまで、無理に帰る必要はないと思う」

花菜がわたしの目をまっすぐに見て、口を開く。

「わたし、みーちゃんに山梨に帰ってきてほしいってずっと思ってた。東京の大学に進学したのだって、みーちゃんが帰ってきてくれないならこっちから行くしかないって思ったから。もちろんのーちゃんと離れちゃうのは寂しかったけど、わたしはみーちゃん、のーちゃんと3人で一緒にいる時間が大好きだから、そのために自分ができることは何かって考えた。それにやっぱり、東京っていう街には何があるのか、すごく興味があった。こっちにきて、みーちゃんと会えて、わかったんだ。みーちゃんがまだ、アイドルやってるんだってことに」
「まだアイドルやってるって…… 彩美、どういうこと?」

どういうことも何も、わたしはもうアイドルは辞めたのだ。花菜は何が言いたいんだろう。

「のーちゃん、違うの。東京に住むようになって、みーちゃんとたくさん会って話したんだ。そのときみーちゃんはいつも、こんなことで褒められたとか、こんなことしてみんなが笑ってくれたとか、そういうことをすごく嬉しそうに話してくれるの。みーちゃんがそうやって話すときの顔がとっても眩しくて、たしかにお仕事としてのアイドルは辞めちゃったかもしれないけど、みーちゃんはこの街の一人のアイドルなんだって、そう思ったんだ」
「カナ……」

そうだ。わたしはアイドルやってるとき、ファンの人たちにちやほやされたり、ライブやイベントに来てくれる人たちが笑顔になってくれてるのが嬉しかったんだ。アイドルやってるときはとにかく大変でいっぱいいっぱいだったから、そのことにちゃんと気づけてなかった。

「たしかに、そうかも。東京って、初めて来たときから思ってたけど、めちゃくちゃ人が多いんだ。だからいろんな人に会えるし、いろんな人に見てもらえる。アイドルの仕事は辞めちゃっても、やり残したことがあるというよりは、この街にあたしがいる意味はまだ全然なくならないって、そういう気持ちだったのかもね」
「わたしはね、みーちゃんは笑顔が一番似合ってると思う。それに、その笑顔をたくさんの人にも見てほしい。だから、みーちゃんが帰りたくなるまでは、この街でたくさんの人を笑顔にしているのがいいなって思うんだ」
「それはあたしも同意。彩美の笑顔ってなーんかムカつくけど、あたしにはない明るさっていうか、なんかそんな感じで憎めないのよね。でも彩美、山梨は山梨でたくさんお年寄りがいるわよ。あんたおじいちゃんおばあちゃんウケいいんだし、こっち戻ってきて商店街のアイドルとかやってみたら?」
「えー、あたしはイケメンにちやほやされたいっ!」
「まだそんなこと言ってるのかこのアラサー!……ってわたしもアラサーなんだよな。くそー、彩美になんか言うと全部跳ね返ってくる……」
「双子の悲哀だね」

美味しい食事がお酒を回す。花菜は飲んでないはずだけど、雰囲気なのかな、3人ともいつもなら心にしまってるようなことも話せている気がする。この三姉妹で話していることで、気づけなかった自分自身とも話せているような感覚。


「あたしさ、彩美が東京行ってアイドルになる!って言ったとき、彩美とすっごいケンカしたじゃん。あれ、本当は羨ましかったんだよね」
「彩乃が?」
「そう。あたしあのころ、悩んでたんだ。自分は平凡な人生が一番だってずっと思ってたけど、その人生って、あたしが歩む必要あるのかなって。だから、成功とか失敗とかは抜きにして、何者かになろうとしてる彩美が羨ましくって。それでつい、ヒドいこと言っちゃった。彩美、あのときはほんと……ゴメン!」
「……彩乃、そんなこと気にしてたんだ。かわいいとこあるじゃん」

ほんと、かわいい妹が二人もいてお姉ちゃんは幸せだ。

「あたしはとーーーっても心が広いから、不器用な双子の妹のことも許してあげる!彩美サマの宇宙のように広大な心に感謝することね!そうだ、カナも二十歳になることだし、彩乃、こんど甲斐のワインの美味しいお店連れてってよ。それでチャラにしてあげる!」
「彩美……」
「あはは。アイドルのことだけど、自分でもわからないうちに、なんかこだわっちゃってたのかもね。せっかくだから、一度は地元凱旋もしないと。昔お世話になった人たちも、わたしがまた笑顔にさせるんだ」
「みーちゃん、それってステキだと思う!」
「彩美、いいコト言うじゃん」

とは言っても、わたしができることなんていくつもない。あ、でも夏祭りのカラオケ大会ってまだやってるのかな。歌とダンスはあの頃けっこうレッスンしたんだよね、またちょっと練習してみようかな。



お会計は14,870円だった。わたしが彩乃に「ごちそうさまでーす!」と言うと彩乃はため息をつきながら一万円札を一枚。え、全額出してくれるんじゃないんだ……



4.

わたしたちは花菜の下宿に転がり込んだ。この前は彩乃をわたしの家に泊まらせたんだけど、朝起きたら部屋が勝手に片付けられてたからもう泊めない。

「よーし、カナー?0時になったら、わたしが持ってきたこの甲州ワイン一緒に飲もうねえ。あっ、でもその前にホラ、信玄餅!食べよう食べよう!」

彩乃、酔っ払ってるな…… まあ、わたしもなんだけど。
花菜の家に着いたときはもう11時を少しまわっていた。わたしたちは彩乃の持ってきた甲斐土産をつまみながら、東京の夜に溶けていく。


デジタル時計が時を刻む。時計はいとも簡単にその瞬間を連れてきた。2026年5月23日0時00分。

『カナ、誕生日、おめでとう!!!!!』

日付が変わった瞬間、わたしと彩乃は思いっきりハジけた声で、一回り大人になった天使に抱きついた。

「むぎゅう…… 姉たちよ、わかったからいったん離れて……」
「やだ!離れない!」
「一生カ゛ナ゛とい゛っしょにい゛る〜〜」
「むむむ、あつい…… でも、ありがとう。みーちゃん、のーちゃん」
『カぁナぁ〜〜〜!!!!!大好き!!!!!!!!!むぎゅ〜〜〜〜〜〜〜』

小さな大天使は酒臭い姉たちの腕をするりと抜け、机に飾られてある写真立てを手に取った。それは、ガルラジプロジェクト最終回の収録の日、養老さんから受け取った花束を持ってピースをするわたしたちの写真だ。

「わたしね、ガルラジやって本当に良かったなって思ってる。ガルラジのお陰でわたしはみーちゃんとのーちゃんの妹になれたんだよ。それにね、……すっごく楽しかった!」
「あたしも。彩美がアイドル目指すーって言い出したときはどうしようかと思ったけど、なんだかんだすっごい楽しかった。あんな機会、普通に生きてたらないもんね。あーなんか久しぶりにやりたくなってきちゃった、ラジオ!」
「じゃあやろうよ。こうやって3人揃ってるわけだしさ」

そうだよ。楽しいことはまたやればいいんだ。あのときとは違ってたっていいんだ。楽しいって、わかってるなら。
機材も台本もない。プロデューサーもリスナーもいない。スマホボイスレコーダーアプリを開いて、録音開始ボタンを押す。これを養老さんに聴かせたら、どんな顔するのかな。


『ガールズラジオチーム双葉!たまささsistersのごきげんラジオ!』
「みなさんこんばんは、双子の妹の方、玉笹彩乃です!今日はわたしたちにとって、とーーーっても!特別な日なので、久しぶりにこうやってラジオを録っています!」
「こんばんわにわにー!双子の姉にして令和最初の山梨出身アイドル、玉笹彩美だよっ!みんな、彩美おねーさんのこと、ずーーーっと、待っててくれたよね!でも、今日の主役はわたしじゃないんだ。そうなんです、今日はとーーーーっても!大切な日なんです!」
「なんと……」
「今日で……」
『我らが天使!カナが二十歳になりましたーーーーっ!!!!!』
「なりましたーっ!……ふぅ。みなさんこんばんは。たまささsistersの末妹、玉笹花菜ですっ。日付が変わって先ほど二十歳になりました。なんだか不思議な感覚です」
「というわけで今日は、我らが大天使カナのお誕生日をお祝いするために、たまささsistersのごきげんラジオ、一夜限りの復活です!みなさん、どうぞ楽しんでいってくださいね!」


一夜限りの復活か。でも別に、今夜限りじゃなくてもいい。だってわたしたちは、ずーっとたまささsistersなんだから。