2018年テレビアニメ話数単位マイベストテン -第5位〜第1位-

 

 

nun-tya-ku.hatenablog.com

 

↑の続き。すっかり2019年冬アニメ*1も始まってしまい、10選記事も完全に遅れてしまったがやっていきたい。

 

 

 

 

第5位:『ゾンビランドサガ』第8話「GoGoネバーランドSAGA」(秋) 

 

アイドル×ゾンビ×佐賀。唯一無二の勝利の方程式。この第8話はゾンビという設定を活かしきったエピソードとして評価が高い。

実は「まさお」だった天才子役星川リリィ。この話の軸はリリィと父親との死別と再会、そして「お別れ」にあるが、一方でアイドルアニメの一エピソードとしてもフックが効いている。リリィが「まさお」であったことを知ったフランシュシュのメンバーは少なくない衝撃を受けるが、それに対してプロデューサー巽幸太郎は次のように言うのである。「じゃなにか?女性アイドルグループにまさおがおっちゃいかんのかい!」「お前らがまさお、俺はリリィ」

まさお、もといリリィはゾンビとして生き返ることで永遠の「星川リリィ」を手に入れた。女性アイドルグループに「男」はいられないかもしれないが、「まさお」はいてもいい。さらに言えば全員が「まさお」でも、プロデューサーが「リリィ」でも問題はない。なぜならアイドルは偶像であり、本当の姿をさらけ出す必要はないからだ。星川リリィ、いや6号である限り彼(女)はフランシュシュのメンバーであり、そしてそれを可能にしたのは他でもないゾンビ化がもたらした永遠の生、あるいは永遠の死なのである。

ただやはりこのエピソードはリリィと父親との物語に尽きる。父親を笑顔にしたくて子役になったリリィだが、次第に父親はテレビの中の「星川リリィ」しか見てくれず、現実の自分を見てくれないと悲しむ。リリィの死因としてのショック死はもちろんギャグ的な要素も強いが、リリィにとってヒゲが生えるということは「星川リリィとしての死」を強く意識することであり、あながち大げさでもないのである。それだけリリィにとってテレビに出るということが、テレビに出て父親を笑顔にするということが大きな生きる意味になっていたということだろう。

子役をやっていた子どもの死からもともと好きだったテレビを嫌いになってしまった男が、その子どもによく似たアイドルとの出逢いを通して再びテレビを見て笑顔になることができるまでの物語。アイドルである6号とひとりのファンとなった父親とがすれちがった思いを伝え合う物販のシーン、そしてアイドルだからできること、すなわちステージから歌で想いを伝えるクライマックスシーンは見事だ。

ところでアイキャッチの「NYOKi!」が好き。理由は言いませんが……

 

 

第4位:『こみっくがーるず』第12話「いってらっしゃいませ 立派な漫画家さまたち」(春)

 

かおす先生の「強さ」が見事に描かれた最終話。読み切り前後編の前編の好評を編沢さんから聞くも、それは寮のみんなに手伝ってもらった箇所についてであり、自分の実力ではなかった。後編に向けて頑張ろうとするものの、緊張とプレッシャーからペン入れは進まない。寮のみんなに応援してもらいやる気になるも、それでもまだ描くことができず、そうこうしているうちにみんなは退寮してしまい、寮にはかおす先生ひとりとなる。

個人的な話になるが、このAパートでのかおす先生の苦悩には自分自身刺さるところがあった。自分は大学院で研究ということがどうしても手につかず、一人で気分転換をしてみたり、先生に相談をしてみたりし、さあやるぞ!という気持ちになっても、とにかくどうしても進められなかったという思い出がある。わたしはそれでゼミの自分の担当の発表を飛ばしたりもした。編沢さんとの電話で情緒不安定になるかおす先生には、先生の部屋で全身を強張らせながらどうしても体が動かないんですと弱音を吐いた自分をどこか重ねてしまい、何度見ても胸の奥がキュッとなってしまう。

まあこの話は置いといて。かおす先生にとって、仲間がいるということがどれだけ大きなことだったか。しかし、いくら楽しい時間を共にすごしても、結局漫画を描くのはかおす先生一人なのである。アバン冒頭で枝に4羽とまっていた鳥たちは、みんなが退寮したあとには1羽もいなくなってしまった。

Bパートではかおす先生母が登場し、一人のファンとして、そして母として、かおす先生に、そして萌田薫子に向き合う。母親はかおす先生のことを「かおす先生」と呼んでいる。それはすなわち漫画家の先生として接しているということであり、かおす先生を応援しているからこそだろう。しかし、漫画を描くことが苦しいなら帰ってきてもいいんですよと優しく語りかけるそのときだけ、「薫子ちゃん」と呼びかける。それは母親としての優しい語りかけであると同時に、恐ろしく残酷な問いかけでもあった。あれだけ描くことに苦しんでいたかおす先生は、その差し伸べられた手に対して、悩むこともなく描き続けることを選んだ。かおす先生はとても強い漫画家なのだ。この答えに対して母親が目を潤ませているところも非常に良い。かおす先生は残っている原稿をじぶんひとりの力で、いや、みんなといっしょにいた、そしていっしょにいるんだという思いをもって描きあげる。かおす先生が後編を描き上げた朝、枝から1羽の青い鳥が飛び立った。

福島へ帰る新幹線の中で送られた写真を見て、自分がなんて素敵な世界にいたんだということを神に感謝するかおす先生。そこからOPが流れて1話からの振り返りシーンが流れる演出は素晴らしい。

すぐに泣いてしまうかおす先生がそれでも一人で漫画を描きあげる強さ。そしてその強さの支えとしてこれまで4人でいっしょに過ごしてきたことの積み重ねがあること。主人公・かおす先生の物語としても、「こみっくがーるず」の物語としても見事な最終話だった。 

 

 

第3位:『三ツ星カラーズ』第5話「どうぶつえん」(冬)

 

このアニメの素晴らしいところは、カラーズちゃんたちが大人から見た子どもとして描かれているのではなく、徹頭徹尾彼女らの目線がまずそこにあり、彼女らの目と頭を通して上野という街が描かれているというところにあると思っている。 その中でこの5話は、「子ども」と「大人」に流れる「スピード感」の違いの表現が見事だった。

この歳になってよく思うのは、一日がとても短く、そして何をやったのかもよくわからないまま日々がただだらだらと過ぎていくという感覚だ。子どもの頃を振り返ってみる。どうもあの頃の一日、そして一週間はそうではなかったような気がする。子どものころの一日はとても長く、そして一瞬だった。

何が言いたいかというと、子どもたちはとにかくスピード感を持って生きているということだ。常に目の前にある興味の対象に対して全力で向き合い、逆に興味が薄れれば無慈悲に忘れ去る。そのことを繰り返していたからこそあの頃の一日はいろいろなことをする、あるいは何かに熱中することで時間をめいっぱい使えて長く感じられたと同時に、そのすべてに全力の集中を払うことで一瞬で時間が過ぎていたのだろうと思う。 

さて、この5話の話に戻ろう。いつもの交番の前でオヤジにもらった昔のおもちゃを漁るカラーズちゃんたち。けん玉を振り回してご満悦のことちゃんがかわいい。ここではメンコや空気を吹き入れて風船みたいにするやつ(正式名称がわからない)で「とりあえず」遊ぶ結衣とさっちゃんに対し、わざわざスマホで独楽の回し方を調べて独楽を回してみる斎藤とのスピード感の違いが良い。カラーズちゃんたちが紙飛行機を飛ばしてメンコをやって空気を吹き入れるやつで何が楽しいんだアタックをしてけん玉を振り回している間に斎藤は何をしているかというと紙飛行機を叩き落とされてスーパーボールをひとつ野に放って独楽を叩き飛ばされている。まあ斎藤はむしろ大人に比べればかなり子どもに近い立ち位置にいるのだとは思うが。カラーズちゃんたちが面白くないなと笑いながらその場を後にしても斎藤は一人独楽を回すのである。あととにかくけん玉を振り回すことちゃんが楽しそうで良い。だってけん玉で紙飛行機叩き落とすの絶対楽しいもんな。最後にゾウにリンゴをあげるシーンもそうだが、カラーズちゃんたちが大人の倫理観から簡単に逸脱していくのが本当に魅力的なのだ。

続いてカラーズちゃんたちは「かわいそうなゾウ」を読んで「かわいゾウ」を助けるため上野動物園に。動物への共感力のほかに、かわいそうという感情から間髪入れずにダジャレで笑うというある種節操のなさが目立つが、ここでもこれは彼女らのスピード感につながるものだと思う。感動の話だからギャグを言ってはいけない、なんて頭では彼女らのスピード感にはついていけないのである。

カラーズちゃんたちと動物園。素晴らしくマッチしている。「かわいゾウ」を助けるためと動物園に入ったものの、すぐにそれぞれの動物に心奪われ、次から次へと見て回っていくカラーズちゃんたちはそこはかとなく楽しい。パンダもあくまでたくさんいる動物のうちの一つなのだ。一点挙げるなら、スマトラトラという名前に反応するさっちゃんに非常に共感するというか、自分が子どもの頃であったら「スマトラトラ」という名前だけで10分は笑い転げられる自信がある。トラに目をキラキラさせることちゃんがかわいい。また、動物園シーンで言及すべきはやはりそこに登場する大人たちだろう。モノレールのおっちゃん、ガイドツアーのお姉さん、そしてハツカネズミの飼育員さん。カラーズちゃんたちと対置させることで見ている世界、流れる時間がこんなにも違うのだということが改めて浮き彫りとなる。子どもの目を通して見た世界の中での大人は、こんなにも異質な存在に描かれてしまうのだ。

アニメの視聴者はそれぞれが異なった状態にある。だがどんな状態にあっても、真摯にアニメを見ることができるならば、彼ら彼女らは三ツ星カラーズを見て、たった30分だけでも「大人」という状態から解放されることができる。三ツ星カラーズは「救済」であるとは誰かが言っていたがまさにその通りだと思う。この5話は「スピード感」などを通して子ども世界への没入感が高く、見ている間の解放感も強かったと思う。そういった点を高く評価しての第3位であった。

 

 

第2位:『音楽少女』第12話「アイドルの一片(ピース)」(夏)

 

2018年を代表するタイトルが「少女」で終わるアニメ二大巨頭、そのうちのもう一つ『音楽少女』から最終話。もちろん「ニクとアイドル」も出色のエピソードであったが、羽織のあのセリフがずっと耳にこびりついていて、自分はこの最終話を選出。 

アバンでは音楽少女の面々は登場せず、機材準備などをする中にはなこがあくまでスタッフの一人ということを印象付けるように出てくる。そう、はなこは「ただのスタッフ」なのだ。そんな「ただのスタッフ」でもわかるくらいに音楽少女はすごいのである。

フェスが始まり、動員一万人を達成するため懸命にステージ上でパフォーマンスをする音楽少女たち。次第に観客も増え、一万人いくかといったところで機材トラブルによりステージは続行不可能になってしまう。そこではなこは思いもよらない行動に出る。

「ただのスタッフ」であるはなこはステージ上で語り出す。「音楽少女の音楽は今この瞬間だけ聞けばいいってものじゃない」 その語りはこれまでの11話分の物語を知っている視聴者には届く。しかし観客の大多数には届かない。彼らは音楽少女を知らず、音楽少女に真剣ではないからである。「ここにいるみなさんが、私と同じような気持ちになる保証はありません。でも、なるかもしれない!」この言葉がどれだけ真摯な言葉であるか。音楽少女のメンバーに響く言葉であるか。しかし語り終えてステージ上で頭を下げたはなこに観客はこう言うのである。「演説もう終わり?」「つかまだライブやんねーの?」「あーつまんねー」

それに対しはなこは咄嗟にこう言う。「わたし、今から面白いことします!」一番やってほしくないことを、やってはいけないことをはなこはする。観客をこのステージにつなぎとめるために。観客は笑う。拡散する。人はこのステージを見に来る。面白いものを見るために。

「なんの面白いことも起こらない空っぽのステージを見続けているほど客は暇でもないしバカでもない」 そのとおりだ。フェスに来る観客はフェスに来ているのであって、必ずしも音楽少女を観に来ているのではない。アニメ視聴者だってそうなのだ。数多あるアニメの中から彼らは意識するとせざるとに関わらず取捨選択をする。「面白い」と思うアニメを見るし、そうでないアニメは見ない、あるいは真剣には見ない。ならば面白いことを。だがそれは「笑われている」だけになりはしないか。アニメに「真摯である」ということは(制作側においても視聴者側においても)いったいどういうことなのだろうか。自分はこのことを死ぬまで考え続けているのだろうなと思う。

「笑われる」ために自らの音痴を使ったはなこに対し、音楽少女たちは怒る。それは決して自分たちの歌、自分たちのステージを荒らされたからなどではなく、音楽に、音楽少女に真摯に向き合ってきたはなこが自らを、そして音楽をないがしろにする行為をしたからである。沙々芽の「ふっざけんじゃないやい!」は感情をほとばしらせる絵の芝居と合わせて本当に素晴らしい。そしてそのステージでのやり取りを見て観客は言う。「音楽少女、ステージでガチ喧嘩!」 そう、ステージ上と観客との間にはずっと断絶がある。あれを見て「ガチ喧嘩」と言ってしまうのはあまりにも何も分かっていないのだが、しかし一方で観客席からあれだけを見ていても「ガチ喧嘩」としか思えないということにまったく反論の余地はない。ステージ上の感動的なやり取りとは関係なく、「面白いこと」を見るために観客は集まる。観客はここにきてもなおヤジを飛ばす。「そうだよーつまんなきゃ行っちゃうよー」「喧嘩もう終わりー?」

それに対して羽織が言い放ったセリフは、もしかすると自分は一生忘れられないかもしれない。

「アイドルなめんな!」「私たちが生みたいのはそんな笑顔じゃない!みんな何しにここに来てるの?音楽を聴きたいからでしょ!?音楽を楽しむためにでしょ!?そのためにここにいるんでしょ!?だったら!音楽少女が、最高の音楽を聴かせてあげるわよ!!」

言いたいことを全部言った羽織に対し、はなこも気持ちを吐露する。「音楽少女になりたい」 そしてステージの照明が付き、『シャイニング・ピース』が流れる。「ねえ私たちの夢のパズル完成させる 最後のピースは誰でもない君だよ君なんだよ」 はなこが音楽少女になったことで、ここで歌われる「最後のピース」がはなこから視聴者である自分に鮮やかにシフトするのがパーフェクト。そして自分も思うのだ。「音楽少女になりたい」と。

最後まで観客の多くが見ているのは「音楽少女」ではなく、「ステージ上で音痴なスタッフとメンバーがケンカし、そしてメンバーの女の子が啖呵を切ったアイドルグループ」でしかなかった。不誠実な観客を描くことの誠実さが(ある意味ではこれは強烈な皮肉だ)、このアニメがどこまでも真摯であることを表している。ここで一歩引いて見てみると、音楽少女に真剣になれなかったオタクにとってこのアニメは、『音楽少女』ではなく「主人公が音痴で作画が怪しいアニメ」でしかなかったのかもしれない。 仮に最終話まで見ていたとしても、である。羽織の言葉は本当の意味では劇中の観客には届いていなかった。そして、視聴者にも。アニメ『音楽少女』が生みたいのはトンチキな作画を笑う笑顔ではないのだ。『音楽少女』は「最高のアニメ」を見せてくれた。それは届いた人には届いたし、届かなかった人には届かなかった。そうすると、はなこのステージ上での語りかけがまた鮮やかに浮かび上がってくる。すなわち、『音楽少女』を見た人が全員自分と同じように感じる保証はないが、なるかもしれない。そんな可能性が『音楽少女』にはあるのである。

アニメ『音楽少女』と劇中のアイドル「音楽少女」との重なり。自分にとって、これは他にはないこのアニメ、この回の持つ大きな魅力の一つだと思うが、果たしてこういう風に考えることは『音楽少女』に対して真摯な態度といえるのだろうか、そんなことを考えずにはいられないのである。

 

 

 第1位:『ウマ娘 -プリティーダービー-』第8話「あなたの為に」(春)

 

競走馬の擬人化という明らかにイロモノのコンテンツから、一つの到達点とも言うべき完成度で「正統派」のアニメが生まれたことは、2018年という年のトピックスとしてわれわれの記憶に刻まれるであろう。そんなアニメウマ娘より、主人公スペシャルウィークの献身と敗北、そして再出発を丁寧に描いた第8話を2018年話数単位の1位とした。

上段でも触れたが、ウマ娘はどう見てもイロモノっぽいのに見れば見るほど正統派なアニメであり、一言で言えば「アニメが上手い」アニメであった。もちろんそれは話の運びだけでなく、ある意味現実の歴史が原作というなかで、その「原作」に対する向き合い方であったり、しばしば挟まれるギャグ的な画面づくりであったりといったものも含めてである。アニメ、特に深夜アニメというものを制作するにあたっての「ツボ」を丁寧に抑えていたといえよう。

ウマ娘の話数の中では、この第8話よりもドラマティックな話数はいくつかあるわけだが、あえて自分がこの回を選ぶ理由もまたその丁寧さにあると考えている。前話、つまり第7話はスペシャルウィークが敬愛するサイレンススズカがレース中の故障によって走れなくなるというエピソードだった。このエピソードは現実でのサイレンススズカのレース中の故障と死というショッキングな出来事を踏まえた、大きなヤマ場となるエピソードであり、競馬ファンをはじめ大きな反響を呼んだ(と思う)。アニメでは現実とは違い、スズカは死なず、レース復帰への道を残すというストーリー展開になったわけだが、ここまでスズカがフィーチャーされてしまった中で、しかしこのアニメの主人公が変わらずスペシャルウィークであるなら、そのスペシャルウィークに話の軸をもう一度もってこなければならない。この第8話はそれがとにかく上手かった。しかもこれでレースの内容は現実にあったレースの内容を踏まえているのだから、本当にこの構成力には驚くほかない。

この回においてスペシャルウィークは常にスズカのことを考えている。スズカがはやく治ってレースに復帰し、そして一緒に走ることができるように。スペシャルウィークは献身的に、そして明るくスズカの看病をする。最終的にこのスペシャルウィークの在り方が敗北につながったことを考えると、スペシャルウィークのスズカへの思いが決して否定されるべきものとして描かれているわけでもないというバランス感覚も光っている。冒頭スズカがしているギプスにさまざまなウマ娘からのメッセージが書かれていたこと、スピカの面々で鍋を囲んだのもそう、初詣ではスズカの復帰を待つ一般のファンも描かれているし、もちろん元チームメイトのリギルからもスズカの復帰を心待ちにされていることが描かれる。もちろんスズカ自身初詣で「必ず復帰します、レースに」と言い切ったように復帰に強い思いを抱いていた。それゆえにスペシャルウィークのスズカへの献身は独りよがりなものではなく、好ましいものとして映っていた。病院のロビーでWDTのニュースを見つめるスズカからも、口には出さないがスズカがいかに悔しい気持ちでそこにいるのかということがうかがえる。その間スペシャルウィークはちゃんと練習しろとトレーナーに怒られてもいるが、あくまで「こいつはしょうがないやつだな」程度の描かれ方がなされ、絶妙に雰囲気は保たれたまま話は進んでいく。

そんななか、なんといってもスズカ同様にケガでレースから離れていた経験のあるグラスワンダーがこの回の主役だ。Bパートでグラスワンダースペシャルウィーク宝塚記念の相手として登場してから、スペシャルウィークのスズカへの献身には不穏な空気が漂い始める。スペシャルウィークの様子がおかしいと話すグラスワンダーに対し、トレーナーのおハナちゃんはよけいなことを考えるなと諭す。宝塚記念のレースを描くため、丁寧に丁寧に布石を置いていく。

ある日の昼、グラスワンダースペシャルウィークをお昼に誘う。スズカさんが……と渋るスペシャルウィークを抑え、スペシャルウィークグラスワンダーセイウンスカイ、そしてサイレンススズカの4人でのランチ。このランチシーンは決定的なシーンだ。いつもと変わらない明るい表情でスズカさん、スズカさんと話すスペシャルウィークと、それを恨めしさと不安とほんの少しの期待の混じったような表情で見つめるグラスワンダー。耐えきれなかったのかスズカに自らも経験したケガの話を振るグラスワンダーの心境は……  次に一緒に走ることになる宝塚記念についてちゃんと考えていますよね、と訊いてしまうグラスワンダーに対してスペシャルウィークは笑顔で答える。「去年のスズカさんみたいにカッコよく走れたらって思ってるんだ」仲良く食器を片付けに行くスペとスズカの後ろ姿を見つめるグラスワンダーの目は何をか語らんや。グラスワンダーの、スペシャルウィークを食事に誘うときに腕をつかんだり、スズカのことばかりを話すスペシャルウィークの服をつまんでみたりといった仕草がバチバチに効いていて非常に良い。

そしてレースが始まる。ゲートに入る前、どこかぽけーっとした表情のスペシャルウィークに対し、グラスワンダーは青いオーラをまといレースに臨む。レースの結果は言うまでもない。早めに仕掛けたスペシャルウィークを外からグラスワンダーが並ぶ間も無く追い抜き、3馬身差での勝利。ゴール後膝をついてグラスワンダーを見上げるスペシャルウィーク、そして言葉の奥に怒りをにじませながらスペシャルウィークに言葉をかけ、歩いていくグラスワンダー。このアニメの主人公はスペシャルウィークだが、ここははっきりいってめちゃくちゃ「スッキリ」するシーンだ。レースが基本的にはただのかけっこである以上、どのようにして勝者と敗者を描くかということへのアプローチはそう簡単ではないのだが、非常に丁寧な話運びからこの勝敗には大きな説得力と納得感が生まれている。

レース中、スペシャルウィークが「スズカさん」と言った回数、実に6回(ゲート入り後スタート直前の「スズカさん」を含む)。グラスワンダーに追い抜かれた後ですら、スズカさんが見てるのにと言う始末。というよりスズカさん以外のセリフがそもそもない。対してグラスワンダーはスペちゃん、スペちゃんと繰り返し言う。彼女らが何を見て、何を見ていなかったのか。レース中の短いセリフからも二人の対比はキマっていく。本当に走っているだけなのだが、ここまでの積み重ねが抜群で何度見ても心を動かされてしまう。

そしてレース後のスペシャルウィークとトレーナーとの会話が本当の本当に良い。

「スペ、今日何考えながら走ってた」「お前は誰だ」「今日の競争相手は誰だった」「なあスペ、お前の目標ってなんだ」「それだけか」

問いかけを続けながら、スペシャルウィークに目標を「再確認」させるシーン。トレーナーのトレーナーとしてのあり方が本当に好ましい。日本一のウマ娘になるというおかあちゃんとの約束を思い出したことで、サブタイトルの「あなた」が指すものが「スズカさん」から「おかあちゃん」、そして「自分」、さらには「みんな」へとシフトしていくのが非常に良い。そしてスズカはスペシャルウィークからのお守りを机の上に置いてランニングへと駆け出す。スペシャルウィークの敗北と再出発を軸にしながら、スズカのレースへの復帰も丁寧に描いており、とにかく見事で100点としか言えない。すべてのキャラの描き方が絶妙で、何度見ても舌を巻くウマ娘第8話を2018年話数単位の1位とすることに私は文句なしである。

 

 

 

いつものようにノミネート20作品と視聴順をあげておく。(PCが壊れたままで買い換えていないので手書き)

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長くなりすぎないようにしたいという決意はもろくも崩れ去り、長い上に遅いやつになってしまった。2019年のアニメもガンガン始まっており、臆面もなく2018年アニメの記事を放つことを恥ずかしく思いつつもとにかく書いたので放つ。今年こそは年内に10選記事を書きたいが、10選記事を書くためにアニメを見ているわけではないのであまり先のことは考えずにどんどんアニメを見ていこうと思う。

 

みなさんもアニメを見ていきましょう。

 

 

 

*1:サークレット・プリンセスが好き