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初めてアニメ関係ないことでブログ書く

 

いろいろあったけど、よくもまあなんとかここまで来たなあと思う。

 

何の話か。今日、学部生としておそらく最後のレポートを提出し、学部生としておそらく最後の授業に出た。その行き帰りに自転車を漕ぎながらこう思った。

初めに言っておくと、まだ院試が来週にあるので、それに受からなければ来年も学部生、もしくは院浪人ということになる。そうなってしまってはこの話もなにやらというところではあるが、まあそれはいったん置いておいて、ともかくもここまで来たのだ。

 

ここまで、というのは学部の卒業までということである。

もちろん、提出したレポートがお粗末すぎて単位がもらえなかったり、アホな過去の自分が単位計算を間違えていて卒業まで単位が足りなかったりすれば、晴れて来年も学部生ということになる。……がその類の話はとりあえず置いておくことにする。

 

ともかくもなんとかここまで来たのだ。

 

はっきりいって唐突で冗長な自分語りが続くので、あまり読むのをお薦めできるような代物ではない。しかし自分もたまにネットの海に横たわっている他人の自分語りを何の気なしに読みふけってしまうこともあるので、まあそういった感じで読まれることもあるかもしれない。とにかくここではふっと心にのぼった自分のことをちょっと書いてみたくなった。書いてみたくなったときにこういうブログをやっていると便利だ。普段とはまったく違うテンションだが、まあ実際テンションは違っているのでそれは当然だ。

 

そろそろ話を先に進めよう。

 

私は現在学部4回生であり、卒業までほぼ確定という段まできたところだ。あとやることといえば院試を受けることと春休みに遊びほうけることくらいである。

いや、よくここまできた。

私は2回生から3回生に上がるときにいわゆる転学部をした。単位取得に関して言えば楽な学部から楽な学部に移ったので、まあ楽な人生だ。しかしそれにしても、転学部をするのは単位的にはハンデには違いない。実際、私はほとんど3回生になって初めて専門の単位をとるという大学生活を送らざるを得ない状況であった。

転学部すること自体は1回生の後期あたりで決めていたので、それに伴った単位取得の計画は立てており、それによって一応まともにやれば4回生で卒業できることはわかっていた。

そのおかげで2回生は授業をとる必要性が語学くらいしかなく、かなり気ままに生活することができた。この2回生での気ままな生活は、今になって考えると自分の趣味的な領域の伸長に対して多分に貢献していたのではないかと思う。そう考えるとやはり転学部するという自分の選択はなかなかもって自分の人生に影響を与えているなあと感じる次第である。

しかし3回生ではまわりに知り合いのほとんどいない学部に放り込まれ、つまり頼る人間が同じ学部にほぼいない状態で専門の単位をとりまくるはめになった。はめになったもなにもそんなことはわかりきっていたことだったが。

今から思えばなんだかんだでそれなりに授業に出て、慣れない発表なんかもそれなりにこなし、一般教養とはやはり違った専門のレポートを書いたりと、3回生時の自分はよくやったと思う。ありがとう。よくやった。

だがよくやったとは言っても1年にとれる単位には限度というものがある。ここで言う限度は時間割的な限度ではなく、自分のキャパシティ的な限度である。そういうわけで4回生になっても卒業に必要な単位はそれなりに残った。具体的に言うと、4回生の前後期で授業が8コマずつ入っていた。後に述べるように私は教職科目もとっていたため、卒業に必要な授業という点で言えば6コマと7コマであった。

まあ半期に8コマというのは決して多くないし、中でもろくに授業に出ずとも単位取得が容易な授業もある。まあしかしそうは言っても、それがなかなかの負担になるのである。

というのも4回生には卒業論文というものが課せられる。私は冒頭で言ったように院進を考えているので就職活動はせず、その分楽であったことは間違いないが、しかし特に後期においては卒業論文に精神を蝕まれながら、授業への出席をもって生活時間を規定されるのはそれなりのストレスがあった。

しかしそんなこんなだったものの、卒業論文を一応なんとか完成させ、提出できた。諮問でもいろいろと問題点を指摘され、私はただただその通りだと感じて自分がいかに卒業論文に対して真摯に向き合っていなかったかを痛感したりもしたものの、そこでは「君これじゃ卒業できないよ」であるとか「これは論文ではないねぇ」のようなお言葉は受けることなく(中間発表のときには言われた)、まあ最低ラインのものはできたのかなと一応そういうことにしている。

そして期末レポートも、これまで数々レポートを提出してきたが(自分の学部は期末試験より期末レポートの授業が多い)、そのほぼすべてにおいて提出期限かなりギリギリでありながらも、とにかく卒業に必要な単位を揃えるまでに提出した。4回後期の期末レポートは、落とせば留年確定という点がこれまでと大きく違っており、けっこうな心的負担になっていたようにも思う。さすがにキツいかと思ったものもあったが、ともかくも提出し終えた。すごい。よくやったぞ。

 

ところで「回生」というのは「年生」と読みかえていただければよい。うちの地域ではこう言うんです。

 

で、である。はっきりいって単位を揃えてストレートで卒業する、などというのは毎年夥しいほどの大学生がやっていることである。上で2度ほど出てきているが、自分をほめたいのにはワケがある。これは一度だれかに(もしかしたらいろんな人に言ってるかもしれない)言ったことであるが、「転学部をして」「体育会の部活に入って」「教職科目もとって」「週にそれなりの量(30~40本)のアニメを見て」ストレートで卒業というのはけっこうすごいことだ、と自分をほめる口実にできると考えているからである。

 

ちなみに教職科目についてはそのほとんどを取り終え、教育実習も済ませたが、まだ少々単位が残っている。まあ、あとちょっとだし、オッケーってことにしとこう。

 

 

さて、ここから話がもう一展開する。長くなりそうだ。参った。でもブログでよかった。Twitterでこんなこと書こうと思ったらさすがに無理すぎる。

 

 

で、私は体育会の部活に入っていた。いわゆる運動部というやつだ。

まあそれにしても体育会の部活の中ではゆるい方であったのは確かであると思う。練習は週4。ほぼ週7で部活をしていた高校時代から考えれば大したことはない。

しかしだ。大学に入り、また2回生の気ままな生活を経ることにより趣味の領域がグングン伸長していった自分にとって、体育会の部活はなんというかまあ、「厳し」くなった。練習は厳しくない。何が厳しいのか。「時間を規定されること」これがなにより厳しかった。

 

練習は何曜日の何時から、決まっている。その時間は絶対空けておかなければならないし、そこで運動をする関係上その前後の時間も実質的に規定されることも多かった。具体的には例えば午前中の練習であれば徹夜して臨むのは厳しいので、その前日には夜更かしできないとかそういうことである。

それに加え、試合というものがある。それは練習とは別だ。まああんまり言うものではないがトータルでみればこれはもう「厳し」かった。自分の試合はまあ楽しい。あとはまあ、あれですよね。というかこの試合ってのはたいてい日曜日にあったり夏休みにあったりして、それはもう「厳し」い。

 

大学生は人生の夏休みというが、夏休みだからといって時間を規定されることがストレスでないはずがないのである。というか、夏休みだからこそ自分の好きなように時間を使いたいに決まっているのである。夏休み関係ないぞそれ。

 

この時間的規定が一番「厳し」かったことは間違いないが、金銭面での負担も大きかった。いやほんとに。部活動、特に大学の部活動ってのはものにもよるけどお金がかかるものなんですよ。「お金のかかる趣味」などというカテゴリーがあるけれど、「部活動」はまさにそのお金のかかる趣味なんですよね。でも世間では部活動はいいものであり、有象無象の趣味とは一線を画するものだ、という認識があるように感じるのです。実際あるのかは知らないけれど。部活だってただの趣味に人間関係がくっついた、一面的には楽しいが多面的にはめんどくさい、あとお金と時間がかかるものというだけだ、という認識を大学に入ってやっと持つことができました。よかった。もちろん部活がいいものである可能性は十分にあるのだけれど、「部活礼賛主義には賛同できないね。」ということなのだ。

 

じゃあなんでお前は体育会の部活なんかに入ったのか。それは私が4年前の自分に問い質したいことです。終わり。

 

やってみなきゃわからないことってのがあるというのは存分に分かったけれど、やってみなきゃわからないことはやってみなきゃわからないのでやってみるまでわからない。うーむ難しい。

 

フォローを入れておくと、この部活に入ってよかったと思ったことははっきり言って多いです。でも「厳し」かったことがとても多かった。というか日常的に小さな「厳し」さがつもりつもる感じが「厳し」かった。

 

 

で、です。こんだけ思っていながら4回生の引退まで辞めることなくやりました。私はたぶん「嫌々言いながら最後まで辞めずに頑張った自分をほめたい!」などとは思ってはいない。なんでこんなに考えていながら最後まで辞められなかったんだろうという後悔もあるようなないような。まあでも当時の私はそれなりに考えた上で辞めはしなかったし、それはまあ正解だっただろうと思う。漠然としているが、この問題は自分の中でいまだにまったく結論の出る気配がない問題なのである。ただ一つ言えるのは、最後「合法的に」引退したときの解放感はとてもよかったということである。まあ、過ぎた話だ。

 

 

途中からですます口調が入っているのは、読み手を意識したからに他ならない。読み手を意識すると文章が自然ですます調になるのは最近判明した自分の文章のクセである。

 

 

部活の愚痴を書きたかったわけではなかったはずだが、しかし部活の愚痴をだらだらと書きなぐる機会には恵まれなかったため、ここがいい機会だと自分が判断したのだろう。もし部活の関係者でこれを読む方がいれば、とりあえず忘れてください。いや、忘れなくてもいいんだけども。というかもう「合法的に」引退した身であるし、この愚痴はまあ、許してほしい。別にこっちから見せているわけでもないことだし……

 

一つだけ言うなら、途中で辞める人や途中で辞めることに対して否定的な感情を抱くのはあまり好きではないしよろしくもないと思う。少なくともそういった中途離脱に関して否定的な感情を抱くことに自覚的であってほしい。それだけです。別に否定的な感情を抱いていないのならいいけど、ほんとに抱かないの?そういうのは無自覚的であるだけの可能性も多いので、やっぱり自覚的であってほしいという話。こんなことを言うのは、私自身の持つイメージとして、部活動をやる人間は(途中で辞めてしまう、あるいは辞めたいと思う人間を含めて)「継続は力なり」的な、実際には「中途離脱は悪」であることの多いイデオロギーを持っていることが多いと感じているからである。あくまでイメージだけど。違ってたら私が悪い。怒っていいです。謝るまではします。

 

 

前半は詰め詰めだったのに部活の話になると急に行を空けるようになったのはなぜだかよくわからない。

 

 

 

 

本当は大学に入ってからの趣味の話、アニメの話をしようとも思ったのだけど、部活の話をしてそれなりに満足してしまったのでそろそろ終わりにしようかと。

There is no とりとめ. という感じの文章になってしまったが、随筆ってのはまあこんな感じでしょ。そうか?そもそもこれは随筆だったのか。まあそれはそれとして、わりと自分らしい文章が書けたのではないかと満足する次第であります。私はこの自分らしい文章が好きですが、みなさんにおかれましてはどうなんでしょうか。私はみなさんではないのでわかりませんが。そもそもみなさんと呼べるような読者がいるのか、ここで言うみなさんは後になって読み返している私なのではないか、いやあどうでしょう。

 

はっきりいってこっぱずかしい文章ではあるが、こんな感じの文章とか、これよりもっとアレな文章とかはネットの海に無限にただよっているので、そのへんを見ながらこれもネットの海に放出してしまいましょう。

 

 

 

 

 

 

一通り読後感を味わったら、この文章は忘れてまたいつも通りに生きてください。