劇場版艦これ感想

劇場版艦これを観に行き、これがまたかなりよかったので感想を書いていきたいと思います。(含ネタバレ)

 

まず個人的に最高だったところを二つ。一つは本編始まる前、KADOKAWAロゴの後に映った劇場のスクリーンいっぱいの

 

                   d i o m e d é a

 

ディオメディアフリークとしてはもうこの時点で観に来てよかったな…と思いました。本編を見てからのエンドロールの制作:diomedéa もなかなかじーんとくるものがありましたが。

 

もう一つは鈴谷・熊野にセリフがあったシーン。ブリドカット艦が大好きなのでTV版で(それなりに人気艦なのに)出番のなかった二人がちゃんとしゃべってよかった…… でも戦闘シーンはなくて残念でした。ちゃんと艦隊編成での紹介はされてたんですけどね。「これは…神戸牛ですの?」

もちろん夕張ちゃんも元気にツナギ姿で登場。あとは初風と舞風を……おねがいします……

 

 

他、特に言及しておきたいのは、

・天龍:なんといっても刀に手をかけるシーンが最高。しかもその刀で敵の弾をはじき返す。深海棲艦が「マジ…!?」みたいなリアクションしてるのがまた最高。

・春雨:セリフはないけど映ってました。やった。

時津風天津風:ノーマークでしたがまさかの登場。それなりにセリフもあってうれしかった。艦これ声優小倉唯爆誕。

・瑞鶴:かわいい。やっぱりかわいい。加賀さんとの絡みもよいもの。

・大淀:モールス信号の似合う女、大淀。

妖精さん:仕事してた。かわいい。

 

ストーリーとしてはTV版での如月轟沈に絡めた艦娘と深海棲艦の関係の話が軸になっていました。そしらぬ顔でTV版のあれを本筋に絡めてくるのは単純によかったと思います。終わりのない戦いを終わらせる唯一の方法が「私たちが誰も沈ます、深海棲艦を全滅させることができれば」と言うときのドヤ感が好きです。でもそれってゲームでプレイヤーがやってることそのものなんですよね。しかし捨て艦戦法をやり続ける提督がいる限り、この戦いは終わらない……

如月が徐々に深海棲艦へと姿を変えていく描写はなかなかクるものがありました。特に如月が水道場で発狂し腕をタワシでこするシーンは大変良かった。その前のシーンで号泣する睦月と合わせ、日高里奈さんが泣く演技が好き。

 

如月轟沈を本筋にもってきたことや、「中部方面の指揮に出ているから」という提督がいないもっともらしい説明(よくよく考えれば他にも提督はいるだろうと思うわけだが)、大人しかった大井・北上コンビなど、TV版で不評をかった点についてはわりと意識したのかな、と思いました。意外と気にしいなところも嫌いじゃないです。

 

いまだに艦これといえば2013年秋イベを引き合いに出してしまうので、アイアンボトムサウンドが舞台になったことはけっこう反応してしまいました。あの頃は探照灯も照明弾も、ましてや夜偵なんかなくてな…… それはそうと夜戦シーンでの探照灯や照明弾の演出はすごくよかったです。

 

エンドロール後の如月帰還のシーンは正直蛇足感が否めませんでした。あれを入れるなら吹雪出撃シーンで『吹雪』をワンコーラスでいいからかけてほしかったというのが正直なところ。ただこれもあのままでは如月提督に申し訳ない、という思いだったのかなと。あの髪飾りをつけている如月を見れたのは単純にうれしくありましたが。

 

全体で言えば優良な映画でした。特に艦これ、艦娘が好きなら、やはり劇場のスクリーンで彼女たちが動いてしゃべって戦闘しているのを観られるというだけでも楽しめると思います。

私は元々TV版も十分楽しんだのですが、劇場版作ってくれてありがとうという気持ちです。

まあただ、まだ出ていない艦たちを出してほしい気持ちはやっぱりあります。先に挙げた初風舞風以外にも、長良型軽巡とかちとちよとか飛鷹隼鷹とか潜水艦たちとか…あと朝潮ちゃんが見たいですね。朝潮型好きはガチと言われますが、僕は朝潮型が好きです。

 

2016年のアニメ映画大豊作の流れに乗ってここまで来ています。あと残すは『好きになるこの瞬間を』と『ポッピンQ』ですね。後者には一抹の不安もなきにしもあらずですが、前者は大丈夫でしょう。というスタンス。

 

アニメ『灼熱の卓球娘』における記号と名付けとキャラクター、そしてメインとモブ

○はじめに

今期のアニメも中盤にさしかかろうとしている。

今期もそれぞれに魅力的なアニメがあり、アニメ視聴を楽しんでいるわけであるが、今回はその中でも注目しているアニメの一つ、『灼熱の卓球娘』について少し書いてみたい。

 

この記事を書いている時点でアニメは5話まで放映され、私も5話まで視聴した。視聴していて気付く方も多いと思うが、このアニメの特徴の一つに、「記号的表現がふんだんに使われていること」というのが挙げられる。この「記号的表現」の多用、そしてキャラクターの名付けに見られる特徴も手掛かりにしつつ、このアニメが意識するところへの自分なりの一考察を加えてみたい。

 

なお、私は原作未読であり、この文章においてはアニメ5話までで出てきたシーンのみを参照して書いていること、また原作つきアニメという性質上、アニメからでなく原作からも指摘できるようなことも含まれているであろうということは初めにおことわりさせていただきたい。

 

 

第一章 キャラクターと記号的表現

「はじめに」で書いたとおり、このアニメでは記号的表現(アニメ的表現と言い換えてもよい)が多用されている。そして、それらの多くはキャラクターと紐付ける形で用いられることに気付く。

例えば印象的なのはメインキャラたちの髪留めである。上矢あがりは上向きの矢印、旋風こよりは犬のくわえる骨、後手キルカは白い髪留めを✕印のようにして、そして出雲ほくとはニンジンの髪留めを、常に着用している。またキルカは白いバンダナを巻いているし、ムネムネ先輩はカチューシャをつけている。天下ハナビに関しては髪留めではなく首から下げた御守りがその役割を果たしている。

わかりやすいのは上矢あがりだろう。後にその名前との関連性も述べるが、上向きの矢印の髪留めは彼女の上昇志向、ここでいうところの「誰よりも強くなりたい」「エースでいたい」という気持ちを鮮やかに主張している。キルカの✕印も彼女のカットマンというキャラクターを示すものであろうし、こよりの(犬がくわえるような)骨は、彼女の人についていくような性格・プレイスタイルを表している。また、犬は彼女の優れた「嗅覚」を意味するというのもありそうだ。他のキャラについてはまだはっきりしたことは言えないが、追々それらの意味するところが鮮明になるかもしれない。注目して見ていきたいし、注目して見てもらいたい。

また、これらのメインキャラ6人にはそれぞれを表す色、そしてまさに記号が充てられている。これらはOP映像にはっきりと示されているので確認していただきたいのだが…

まず、色についてはそれぞれのキャラクターの髪色と一致していると考えていいだろう。あがりは紫、こよりは赤、キルカは黒、ムネムネ先輩はピンク、ハナビは黄色、ほくとは水色である。

OP映像では6人のメインキャラクターにそれぞれ立ち絵のカットがあり(タイトルロゴ前にこよりとあがり、タイトルロゴ後Aメロでハナビ、ムネムネ先輩、キルカ、ほくとの順)、そこで画面を縁取るように線が引かれているのがわかるだろう。この線の色は、こよりが紫、あがりが赤、ハナビは黄色、ムネムネ先輩は黒、キルカがピンク、ほくとは水色となっている。

ここで気付く。ハナビとほくとはいいとして、その他の4人は色が個人に充てられた色(髪色)と異なっている。さらによく見ると、あがりとこより、そしてキルカとムネムネ先輩がそれぞれお互いに色を交換した形になっている。これが意味するところは、あがりとこより、キルカとムネムネ先輩がそれぞれペアであること、そして、記号的な表現が用いられるマンガやアニメにおいては自らのアイデンティティとも言える、大切な「自分の色」を交換するということは、その二つのペアにおいてお互いがお互いになくてはならないほどの強いつながりを有しているということを示している。本編を見る限りではハナビとほくともペアになってよさそうなものだが、どうやらこの二人は少なくとも今のところは、前述の二ペアほどには強いつながりはもっていないということらしい。

そして、OPの同じカットの同じ縁取り線を見れば各々に充てられた記号も見て取れる。件の縁取り線は画面と同じ長方形であり、よく見ると一瞬変化しているのがわかるが、その変化はキャラクターによって違っている。こよりは丸、あがりは矢印、ハナビはトゲトゲ、ムネムネ先輩はおっぱいのような半円、キルカは十字、ほくとは湯気のような形である。もはや言うまでもないが、これらがそれぞれのキャラクターに充てられた記号である。まず、こよりの丸は髪の左右につけたおだんごを表しているものと考えられるか。あがりの矢印は上で言及したとおりである。ハナビのトゲトゲも髪型からきているのだろう。ムネムネ先輩の半円はおっぱい。キルカの十字はカットマンというプレイスタイルを表したものだ。ほくとの湯気は彼女がしゃべるときに画面に出てくる湯気である。

もちろんこれらのイメージカラー、イメージ記号はOPだけでなく本編でもそれを見ることができる。このように、各キャラクターを表す記号的な表現はかなりはっきりと画面に示されている。もちろんこうしたキャラクターと記号とを結びつける表現方法はどんなアニメにも多少なりともあろうが、このアニメにおいてはそれが意図的に多用され、強調されているということがはっきりと言える、そう考えるのである。

 

第二章 キャラクターと名付け

 ・第一節 メインキャラクターの名付け

第二章では「名付け」について考えてみたい。まずはメインキャラクターについてである。

まず「上矢あがり」である。

上矢の「上」はもちろん第一章でも言及した彼女の上昇志向とつながる。「矢」は彼女を表す記号たる「矢印」だ。「あがり」は「上がり」と通じ、こちらも彼女の上昇志向を示す。名字にも名前にも出てくるのだから、彼女というキャラクターにとって「上昇志向」はよほど強い意味をもっていることが察せられる。さらに「上」の字は彼女の得意技であるループドライブとも通じている。

次に「旋風こより」。

「旋風」は「旋風(せんぷう)」、雀が原中学卓球部に彼女がやってきたことで部に旋風が巻き起こったこと、ひいては女子中学卓球界に旋風を巻き起こすことをも予感させる名づけだ。「こより」については、おそらくは紙縒、クシャミをわざと出すために使われるアレである。どうやらこの紙縒、丈夫な紙を原料にしたものは冊子の綴じ紐や、髪を束ねるために使われるらしい。つまりはこの雀が原中学卓球部を束ねる、そういった意味が込められていると思われる。

「ムネムネ先輩」(大宗夢音(おおむね むね))。

言うまでもなく彼女の持つ豊満な胸が生まれたときから約束されたような名付けである。本名の大宗夢音も、「大きな胸」、あるいは「おムネ」と通じる。(どうでもいいが後者の言い方はクレしんっぽい) 身体的特徴だけでなく、彼女の持つ包容力や母性と強くリンクした名付けとなっている。

「後手キルカ」。

「後手(うしろで)」の名字はコートの後ろで戦うカットマンとしての戦い方とつながる。そして「キルカ」は「切る・斬る」でありこちらもカットマンという彼女のプレイスタイルを表している。彼女はこうした名付け、そして前述の記号も含め、カットマンというプレイスタイルをこれでもかというほどに強調されているのがわかる。

「天下ハナビ」。

「天下」はお天道様のような明るい性格と通ずる名づけか。「点火」とも通じて彼女の速攻型というプレースタイルを表しているともとれる。「ハナビ」も「花火」のぱーっと明るい性格を表しているだろう。「花火」に「点火」とすればしっくりきそうだ。

「出雲ほくと」。

「出雲(いつも)」はしゃべるときに「いつも」湯気(=「雲」)が「出」るところ。「ほくと」はそのときの擬音「ほくほく」であるだろう。「ほくと」はおそらく北斗七星の「北斗」と通じると思うのだが、浅学にして天体に関する伝承などの知識には乏しいため、こちらとの関係は指摘することはできない。いずれ明らかにできるかもしれないし、わかる人はすでにわかるのかもしれない。もしかすると名付けに北斗七星との関わりはないのかもしれないが。

 

 ・第二節 モブキャラクターの名付け

続いてはいわゆるモブキャラたちの名付けについてである。このアニメにおけるモブ、それはすなわち雀が原中学卓球部員たちのうち、上述のメイン6人以外となる。

では彼女らの名前をエンドクレジットや校内ランクの表から引いてこよう。これで全員ではないが、次のようになる。

「田口たんぽぽ」「佐々木さつき」「吉川よもぎ」「鈴木すみれ」「湯川ゆり」「結城ゆず」「角田つばさ」「檜山柊」「桜田さくら」「七瀬奈緒美」「八戸はつみ」「宮藤久美」……(※)

これらに共通する特徴は何であろうか。まず気づくことは、名字の読みの一文字目、そして下の名前の読みの一文字目が一致していることである。そして下の名前を見ると「たんぽぽ」「さつき」「よもぎ」「すみれ」「ゆり」「ゆず」「さくら」、そして「柊」は植物の名前であり、「つばさ」「はつみ」「奈緒美」「久美」については特に何というものはなさそうである。

上述のうち「田口たんぽぽ」から「結城ゆず」はエンドクレジットにCVと一緒に表記されているキャラクター(Aとする)、「角田つばさ」「檜山柊」「桜田さくら」は1話での校内ランキング表で一桁順位にいるキャラクターのうち前述のキャラを除いた3人(Bとする)、「七瀬奈緒美」「八戸はつみ」「宮藤久美」(Cとする)は5話でキルカが新入部員として入った時点での校内ランキング表から名前が読み取れたキャラクターたちである。

(A)はCVが記載されているので、日ごろからダメ絶対音感を鍛えている諸兄においてはある程度は判別可能であろう。本編を見ればおわかりのように、彼女らはメインキャラクターたちにあこがれる一年生たちである。そうすると、名前が植物の名前からとられていて、かつひらがなというのが一年生に共通する点と考えられる。つまり(B)のうちの「桜田さくら」も一年生であることが推定されうる。(C)はキルカたちが一年生ということを考えるとキルカの一年あるいは二年先輩と考えられる。(キルカはこの時点で彼女らより下の順位にいるので、彼女らがキルカと同学年であるなら、今の時点での卓球部において少なくともランキング表に名前くらいは出るはず) 名前が共に漢字になっている「七瀬奈緒美」と「宮藤久美」の二人は同学年であろうということ、またランキングからも考えると、二人はキルカの二年先輩、「八戸はつみ」が一年先輩という推測が妥当か。(B)の「角田つばさ」と「檜山柊」はどちらかが(今の)二年生、もう片方が三年生と思われるが、ここに挙げただけではどちらがどうとはっきりとは言えない。

このモブの名付けに対する考察が何を意味するかは次章に譲りたい。

 

(※)「角田つばさ」について、1話エンドクレジットには「角田つばき」という名前が見えるが、上述の、1年生は植物からとったひらがなの名前であるという考察と合わせて考えると、「角田つばさ」は作画段階でのミスであり、「角田つばき」が正しく、彼女は1年生というのがおそらく正しいと思われる。

 

第三章 記号と名付けによって表出されるメインキャラとモブキャラの差異

以上見てきたことから何が言えるだろうか。まず一つは、メインキャラに対する豊富な記号の付与、あるいは名前への意味づけにより、視聴者にとってメインキャラクターの名前と性格、プレイスタイル、そして顔を一致させることが非常に容易になる、ということである。キャラクターの名前を覚えること、そしてその名前と顔や性格を一致させるということは、人によって得意不得意はあるだろうが、多くアニメを見ている視聴者でも意外と難しい。逆に多くアニメを見ているがゆえに、それらのアニメの登場キャラクターの数は膨大になり、かなり意識しなければメインキャラでも名前がスッと出てこないということはまれなことではない。

まだ5話時点ではあるが、私でなくても視聴者はおそらくメイン6人の顔と名前、そして性格やプレースタイルを相当一致させて覚えられているのではないだろうか。

そしてもう一つには、メインキャラとモブキャラの明確な差異である。

第一章、そして第二章第一節でメインキャラたちについてみたとき、その記号や名付けは個人に属していた。つまり、それらは彼らの個性を際立たせるために働いているのである。それに対し、第二章第二節でモブキャラの名前について考察を加えたとき、私は個人について触れることはなく、「学年」というくくりでしか見ていなかったことを感じていただけただろうか。それは私の恣意によるものではない。つまり、モブキャラたちの名前には彼女らの個性とつながるものはなく、ただ学年への帰属が察せられるというのみなのだ。その上、モブキャラたちには全員に共通した特徴として、上述のように「名字の読みの一文字目と下の名前の一文字目が一致する」というものがある。この無味乾燥で機械的な特徴は、個性とは明らかにかけ離れている。彼女らは名付けられた瞬間からモブであることを宿命づけられ、決してメインキャラに這い上がることはできない。髪型や小道具などではなく、あろうことか最も属人的である「名前」にそれが刻みつけられてしまっているのだ。

名前に関して言えば、本編中、モブキャラたちは盛んにメインキャラの名前を呼び、憧れ、もてはやす。その一方でメインキャラたちがモブキャラの名前を呼ぶシーンはどうか。もちろんないわけではないが、比べてみれば極端に少ないのがわかるだろう。ここにも明確な差異が見てとれる。強い言い方をすれば、もはやこれは壁、溝、断絶とまで言ってもいい。他の部活アニメ(作品)(≠部活モノ)であれば、いわゆる控えの選手にもスポットライトが当たったり、控え選手と主力選手の間の交流、わだかまりなんかが描かれたりすることもあるわけだが(ex:『ハイキュー!!』、『響け!ユーフォニアム』など)、『灼熱の卓球娘』においてそうしたエピソードはまずありえないことになる。モブキャラはあくまでモブキャラであり、メインキャラをもてはやし、メインキャラの強さを際立たせ、試合の時には実況を担当し、メインキャラによる解説の聞き手となるのがその役割なのだ。一方メインキャラは個性を爆発させ、メインキャラたちの中での交流を主としつつ成長し、戦う。

このアニメでは、控え選手なりの矜持のような甘っちょろいものは一切排除されているのだ。そもそも団体戦メンバーも確実な予想ができるし、団体戦メンバーを選ぶこと、選ばれること、選ばれないことによる悩みや苦しみなどはこのアニメに関してはお呼びでない要素なわけだ。これらのことを考えると、校内ランキングなる制度(=実力主義)が定着していることにも必然性が生じる。 

 

○おわりに

以上書いてきたが、一つはっきりさせておきたいことは、私はこのアニメのこうした特徴を苦々しく思うものではまったくないということだ。大げさな言い方をすれば、私はこのアニメに魂を揺さぶられているほどにこのアニメを楽しみ、評価し、感動している。私は純粋に強さを求め、勝負を楽しみ、感情を昂らせる彼女らにあこがれ、魂を揺さぶられ、そしてやはり、自分が決して歩むことのできなかった姿にただただあこがれているのだ。そんな中では、モブをモブとして閉じ込めるということは言い方は悪いのかもしれないが、望むところなのである。

勝負の世界は厳しい。それは中学校の部活とて同じ、いや中学校の部活だからこそ厳しい勝負の世界があるのかもしれない。弱者に希望を抱かせる余地すら、そして絶望を抱かせる余地すらも与えない、そうしたこのアニメのある種一貫した姿勢を、私は評価したいのだ。

 

 

灼熱の卓球娘』については、なんといってもOPの出来が抜群すぎるほどに抜群、出色すぎるほどに出色であり、このアニメの魅力の大きな大きな一つだと思っているが、今回に関してはそこへの言及は我慢させていただく。もちろんEDも名曲だ。

ところで、6話からはいよいよ他校との試合が始まる。他校の選手に付与された記号、そして名付けにも注目したい。

 

 

今回、記事がなぜか論文風だったのは自分がやるべきことをやっていないことへのせめてもの贖罪のつもりである。もちろん、これにはなんの意味もない。

 

 

(※11/07追記↓)

 OPから見られるこよりに充てられた記号「丸」だが、髪型というよりかは卓球のピンポン球と考えるほうがいいだろう。恥ずかしながら5話を見返して、最後のこよりが月をピンポン球のようだと指さすシーンを見て初めてそれに思い至った。まだまだ精進が足りない。

 

『君の名は。』を見まして、帰り道で一つだけ考えが至った

 

表題の通り。

 

今帰ってきてすぐにこれを書いていますが、なにぶん情報をシャットアウトしてきたもので、この程度の指摘はすでになされているとは思いながらも書いておきます。

 

考えが至ったこと、とはつまり、「みつは」と「たき」というこの物語の二人の主人公について、名字を呼ばれるシーンがほぼない、ということです。

少なくとも「たき」には一度もありませんでした。「みつは」も、「宮水」という呼び方は家や神社を表すときには出てきましたが、「みつは」個人を呼称するのに「宮水」という呼び方をされることはほとんどなかったように思います。授業で先生が呼んでいたのはありましたが。(クラスメートが「みつは」をいじるのに名字で呼んでいたかもしれないが一度見ただけなので記憶があいまい)

 

「たき」には「立花」という名字があり、それは家の表札、バイトの名札でわりあいしっかりと画面の中に出てきています。しかし彼が「立花」と呼ばれることは一度もなく、常に「たき」呼びです。

また逆に「たき」の名前は「瀧」であるのですが、「瀧」という名前を表す文字列が画面に出てくる場面はかなり少なかったように感じました。また、「立花瀧」と、名字と名前が一緒に出てくる場面はあったかどうか… はっきりとは言えませんがなかったように思います。

 

この作品においては、名前は「声に出して相手を呼称するもの」、名字は「文字として存在し視覚で識別するもの」という区別がなされていたと感じます。名前は映像の中の登場人物たちのためのもの、名字はその物語の外にいる観客たちのためのもの、と言ってもいいかもしれません。

最後のシーン、「みつは」が東京にいることを明示するシーンでは、「みつは」の家の表札「宮水」が映し出されることでそれが観客に明示されていました。

 

この話の主題であることろの、お互いがお互いの名前を覚えているといったとき、そこに名字の存在はありませんでした。

ふたりは相手のことを「みつは」「たきくん」としか呼びません。例えば「みやみず……みつは!」とか「たちばな……たき!」のようなフルネームで覚えておこうとは一度もなされません。クライマックスのお互いの感情が高ぶるシーンで、主人公とヒロインがお互いをフルネームで何度も呼び合うというシーンはなんとなくよくあるように思います(そうでもなかったらごめんなさい)が、この映画ではそれがない。

 

つまるところ、個人をその個人として記憶しておく、見つける、そして呼びかけるときに、そこに必要なのは名前であり、名字というものは、特に個人を個人として呼びかけるときに必要ではない、ということなのだと思います。

君の名は。」といったときの「名」に名字は含まれていない、のです。

 

もうすこしまとめられたら良かったのですが、とりあえずはここまでです。

 

公開3週間も経って初めて見て、まだ一回目なものですから、もしもうこの指摘はさんざんなされているとか、お前の言ってることはそもそも記憶違いでトンチンカンだぞということがあれば静かにスルーしてあげてください。

 

 

 

その他これだけは、という良かったところを二つ挙げさせていただくと、「たき」のバイト先の先輩(立花瀧なので記憶が薄れて名前が思い出せない)のお姉さんが喫煙者であることと、ラーメン屋のおっちゃんが「あの糸守は良かった」と言うところです。

 

 

あとはタイムパラドックス的な観点についてもう少し考えたいのですが、その辺の考察はさすがにたくさんありそうですね。

 

 

 

~~~以下、投稿1時間後の追記~~~

「立花」という名字は呼ばれることがない。それにしては「立花」は、「たき」のパートが始まると、表札、そしてバイト中かなり長い間映っており、画面の中でそれなりに存在していた。なぜだろうか。バイト中の名札、いらなくない?と思わなくもない。

それでもちょっとしつこいくらいに(この辺は個人差があると思います)画面に映していたのは、「たき」という呼称が名字ではなく名前であることをしっかりと観客にわかってもらいたかったからだと考える。「たき」だけ聞いたら普通の人はそれが名字だと思うだろう。そうではなく名前だとわかってもらうために、表札という明らかに名字をはめこむところに名字である「立花」をはめ込んだ。少し格式高い飲食店のバイトの名札という明らかに名前でなく名字をはめこむところに「立花」をはめ込んだ。「たき」が「立花」からくるあだ名とは考えにくそうである。そして、学校の友達はともかく、バイト先の同僚、先輩、そして厨房の人まで彼を「たき(くん)」と呼ぶ。

厨房スタッフがホールスタッフを名前呼びするのには少々違和感もあったが、それは親切すぎるほどのこの作品の意見表明であったのだろう。つまり、「この作品は『名字』ではなく『名前』を呼ぶことに意味を込めているのですよ」というメッセージを円滑に受け取ってもらうために必要なことだったと考えられる。

 

じゃあなんでそもそも名字と紛らわしい「瀧」なんて名前を"この"作品の主人公につけたのか?という疑問がある。「タカシ」とか「ヒロユキ」とかだったらそもそも初めから名字と間違いようがないのでは?

ここについては今のところよくわからない。名字と紛らわしいからこそ名前としての存在に価値がある、みたいなわかった風で全然わからない理由しか思いつかない。物語における名付けには必ずそこに意味があるはず、という考え方に立つならば、その名前にした意味があって、それを考えることもできるだろう。

しかし、物語の登場人物の名付けにはその(物語の中の)名付け親が考えた以上の意味はなくて、物語を創造する立場の者が名付けに意味を与える必要はない、との考え方をとるならば、本当に(物語上の)意味はなく、彼の両親だか祖父母だかまた別の人だかが「瀧」と名付けてしまったから、観客がそれを名字と間違えないように演出の方で表札とか名札を画面に映すようにした、と考えることもできる。

 

ちょっと妄想が過ぎたかもしれない。しかし、「名前」が大きなテーマになっているこの作品で「名付け」を無視することはできないだろう。この点は是非監督本人に訊いてみたいところだ。

 

 

 

旅に出た

 

今年の夏も旅に出ました。

 

先月に九州に一人旅したのと、先週に台湾に行った(こっちは友人らと)のが今年の旅の大きなものです。

 

今回はとりあえず九州について少し。台湾についてはたぶんここに書いたりはしないと思います。めんどくさいので。

 

九州へは一日目の朝に新幹線で小倉につき、それから

一日目:小倉→二日市→(大牟田→)熊本→八代 (鹿児島本線)

二日目:八代→人吉→吉松 (肥薩線) →都城 (吉都線) →鹿児島中央 (日豊本線) →枕崎 (指宿枕崎線) →鹿児島中央

三日目:鹿児島中央南宮崎 (日豊本線) →宮崎空港 (宮崎空港線) →南宮崎飫肥志布志→(油津→)南宮崎 (日南線) →延岡→大分 (日豊本線)

四日目:大分→中津→小倉 (日豊本線)

で九州一周しました。四日目はそのまま山陽本線をえっちらおっちら乗って家まで帰りました。四日間の移動は18きっぷを使いました。

 

大分を朝に出て中津でちょっとお土産見たり時間使っても一日で在来線だけで家までたどりつけるというのが軽く衝撃でした。家を始発で出たら一日で宮崎くらいまでは行けるってことですからね……

 

なにはともあれ写真とともに思い出を振り返ります。

 

 

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JR二日市で降りたあと西鉄二日市まで歩き、そこでレンタサイクルを借りて行きました、太宰府天満宮。梅の時期にまた来たいですね。万里小路さんは梅がよく似合いそうです。

 

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天満宮の後太宰府政庁跡に行ってビッグオーダーを感じたあと、その近くのラーメン屋さんで一杯。とてもおいしかったのと、ラーメンが安くてビビりました。(ここは確か550円だったかな) 店主と常連客が当然のようにホークスの話をしてて、福岡を感じました。

 

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次に向かったのは熊本城。熊本駅から市電に乗ってすぐでした。

写真を見ていただければわかる通り、まだだいぶボロボロでした。特に石垣は…… いつか復活した姿を見たいです。

 

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加藤神社で清正くんと記念写真をパチリ。

 

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二日目朝、肥薩線の車内から。いい感じの橋。

 

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同じく肥薩線車内から。この後の山の上をループ線スイッチバックで行く人吉ー吉松間も有名ですが、こちらの球磨川沿いの景色もきれいでした。クマー。

 

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肥薩線、山線より。ほぼまったく電波が来ないのではいふりカメラマン各位においては注意です。

 

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こちらは吉都線より。いい車窓でしたが、半分くらい寝てしまっていたのでまた乗りに来たいですね。

 

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都城駅近くの公園にて。いつか私が有名人になったとき、人々が「ここがあの人が九州を旅しているときにはいふりカメラで写真をとった公園のブランコかあ」みたいな感じで聖地巡礼的なことしてほしい(ほしくない)。

 

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都城から鹿児島中央への車内で桜島を見る。鹿児島県民にとって桜島の存在は大きいんだろうなと感じました。

 

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沖縄のゆいレールを除いて日本最南端の西大山駅。カメラを手にした人たちがホームにいっぱいいました。1分ほど停車してくれたので、私も少し降りて写真を撮ったりなど。レオちゃんもご満悦です。

 

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こちらは最南端の"始発・終着"駅、枕崎駅。思ったよりも田舎じゃなくて(失礼)、少し意外だったり。カツオ丼、カツオラーメンが美味でした。

 

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三日目、鹿児島中央から宮崎空港、そして日南線に乗り飫肥駅で下車し、酒谷川でましろたんをパチリ。今思えばこのあたりでましろたんの後ろ髪のパーツを落としてしまった気がします。うーむ。

 

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飫肥城です。城と言えば西崎芽依フレームなのは、メイちゃんの好きな科目が日本史だからです。ドンパチやってる戦国時代が好きなんでしょう、たぶん。

飫肥城はなんと言っても杉空間がすごく良かったです。この日は日差しが暑かったのですが、この杉の空間はひんやりと涼しくて最高でした。マイナー観光地なので人が少ないのもグッドです。とはいえ韓国人の家族が来ていて、さすがに日本観光で飫肥城はシブすぎるだろ……と唸りました。

 

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日南線車内より、日南海岸。とてもきれいでした。はいふりカメラは是非とも水着回からの新フレームを追加してほしい。そしたらもう一回乗りに来てはいふりカメラでぶいぶい言わせます。

余談ですが日南線車内は冷房がほとんど効いておらず、扇風機だけでなんとかしようとしていたので暑かったという思い出も……。

 

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志布志駅。種田山頭火の句が。あまりに無計画すぎて駅前を適当に散歩して駅のすぐ前にある田舎のショッピングモールみたいなところに行ってお昼ご飯を買ったら列車の時間が来てしまいました。志布志市志布志志布志志布志市役所志布志支所に行ってゲシュタルト崩壊を起こせばよかったと少し後悔しているところです。

「私コーカイ後悔航海中!あなたの後悔なんですか?」「ついついしちゃった無計画散歩だYO!」

 

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延岡駅の近くのお店で食べたチキン南蛮。宿にたどり着く終電の発車まで1時間しかないにも関わらず、30分くらいはかかると言われながらも行列に並ぶというギャンブル行為をしました。結果として間に合った上に非常においしかったのでギャンブルに勝ちました。今回の旅の食事の中で一番おいしかったと言っても過言ではないので、延岡駅で降りる機会が今後ある方は是非。

 

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四日目朝、大分駅を出発。

 

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立石志摩。反応が遅れたので電車が動いてからの撮影でブレた。

 

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福沢諭吉ゆかりの地、中津。中津駅前で。お金と言えば主計長等松美海ちゃんでしょ、というわけで自分では満足の一枚。

 

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日本三大水城の一つ、中津城。(あと二つは今治城高松城) 水城というだけあって(?)カニがわさわさしていました。実質あいうら城です。期待して行くとしょぼいと感じそうですが、期待せず行くとけっこういい感じかも。(語彙不足)

 

 

この後小倉まで日豊本線に乗り、九州の旅は終了です。今回で一応九州を一周、そして指宿枕崎線日南線の九州南部のローカル線は乗りつぶしたので、次に来たときは福岡県のちょこちょこした路線、そして佐賀、長崎を攻めていきたいです。それから久大本線豊肥本線、三セクなども……

 

 

みなさんも旅に出たなら、はいふりカメラを片手になんでもない風景や観光地を切り取り、僕やインターネットにシェアしてください。待ってます。

 

 

初めてアニメ関係ないことでブログ書く

 

いろいろあったけど、よくもまあなんとかここまで来たなあと思う。

 

何の話か。今日、学部生としておそらく最後のレポートを提出し、学部生としておそらく最後の授業に出た。その行き帰りに自転車を漕ぎながらこう思った。

初めに言っておくと、まだ院試が来週にあるので、それに受からなければ来年も学部生、もしくは院浪人ということになる。そうなってしまってはこの話もなにやらというところではあるが、まあそれはいったん置いておいて、ともかくもここまで来たのだ。

 

ここまで、というのは学部の卒業までということである。

もちろん、提出したレポートがお粗末すぎて単位がもらえなかったり、アホな過去の自分が単位計算を間違えていて卒業まで単位が足りなかったりすれば、晴れて来年も学部生ということになる。……がその類の話はとりあえず置いておくことにする。

 

ともかくもなんとかここまで来たのだ。

 

はっきりいって唐突で冗長な自分語りが続くので、あまり読むのをお薦めできるような代物ではない。しかし自分もたまにネットの海に横たわっている他人の自分語りを何の気なしに読みふけってしまうこともあるので、まあそういった感じで読まれることもあるかもしれない。とにかくここではふっと心にのぼった自分のことをちょっと書いてみたくなった。書いてみたくなったときにこういうブログをやっていると便利だ。普段とはまったく違うテンションだが、まあ実際テンションは違っているのでそれは当然だ。

 

そろそろ話を先に進めよう。

 

私は現在学部4回生であり、卒業までほぼ確定という段まできたところだ。あとやることといえば院試を受けることと春休みに遊びほうけることくらいである。

いや、よくここまできた。

私は2回生から3回生に上がるときにいわゆる転学部をした。単位取得に関して言えば楽な学部から楽な学部に移ったので、まあ楽な人生だ。しかしそれにしても、転学部をするのは単位的にはハンデには違いない。実際、私はほとんど3回生になって初めて専門の単位をとるという大学生活を送らざるを得ない状況であった。

転学部すること自体は1回生の後期あたりで決めていたので、それに伴った単位取得の計画は立てており、それによって一応まともにやれば4回生で卒業できることはわかっていた。

そのおかげで2回生は授業をとる必要性が語学くらいしかなく、かなり気ままに生活することができた。この2回生での気ままな生活は、今になって考えると自分の趣味的な領域の伸長に対して多分に貢献していたのではないかと思う。そう考えるとやはり転学部するという自分の選択はなかなかもって自分の人生に影響を与えているなあと感じる次第である。

しかし3回生ではまわりに知り合いのほとんどいない学部に放り込まれ、つまり頼る人間が同じ学部にほぼいない状態で専門の単位をとりまくるはめになった。はめになったもなにもそんなことはわかりきっていたことだったが。

今から思えばなんだかんだでそれなりに授業に出て、慣れない発表なんかもそれなりにこなし、一般教養とはやはり違った専門のレポートを書いたりと、3回生時の自分はよくやったと思う。ありがとう。よくやった。

だがよくやったとは言っても1年にとれる単位には限度というものがある。ここで言う限度は時間割的な限度ではなく、自分のキャパシティ的な限度である。そういうわけで4回生になっても卒業に必要な単位はそれなりに残った。具体的に言うと、4回生の前後期で授業が8コマずつ入っていた。後に述べるように私は教職科目もとっていたため、卒業に必要な授業という点で言えば6コマと7コマであった。

まあ半期に8コマというのは決して多くないし、中でもろくに授業に出ずとも単位取得が容易な授業もある。まあしかしそうは言っても、それがなかなかの負担になるのである。

というのも4回生には卒業論文というものが課せられる。私は冒頭で言ったように院進を考えているので就職活動はせず、その分楽であったことは間違いないが、しかし特に後期においては卒業論文に精神を蝕まれながら、授業への出席をもって生活時間を規定されるのはそれなりのストレスがあった。

しかしそんなこんなだったものの、卒業論文を一応なんとか完成させ、提出できた。諮問でもいろいろと問題点を指摘され、私はただただその通りだと感じて自分がいかに卒業論文に対して真摯に向き合っていなかったかを痛感したりもしたものの、そこでは「君これじゃ卒業できないよ」であるとか「これは論文ではないねぇ」のようなお言葉は受けることなく(中間発表のときには言われた)、まあ最低ラインのものはできたのかなと一応そういうことにしている。

そして期末レポートも、これまで数々レポートを提出してきたが(自分の学部は期末試験より期末レポートの授業が多い)、そのほぼすべてにおいて提出期限かなりギリギリでありながらも、とにかく卒業に必要な単位を揃えるまでに提出した。4回後期の期末レポートは、落とせば留年確定という点がこれまでと大きく違っており、けっこうな心的負担になっていたようにも思う。さすがにキツいかと思ったものもあったが、ともかくも提出し終えた。すごい。よくやったぞ。

 

ところで「回生」というのは「年生」と読みかえていただければよい。うちの地域ではこう言うんです。

 

で、である。はっきりいって単位を揃えてストレートで卒業する、などというのは毎年夥しいほどの大学生がやっていることである。上で2度ほど出てきているが、自分をほめたいのにはワケがある。これは一度だれかに(もしかしたらいろんな人に言ってるかもしれない)言ったことであるが、「転学部をして」「体育会の部活に入って」「教職科目もとって」「週にそれなりの量(30~40本)のアニメを見て」ストレートで卒業というのはけっこうすごいことだ、と自分をほめる口実にできると考えているからである。

 

ちなみに教職科目についてはそのほとんどを取り終え、教育実習も済ませたが、まだ少々単位が残っている。まあ、あとちょっとだし、オッケーってことにしとこう。

 

 

さて、ここから話がもう一展開する。長くなりそうだ。参った。でもブログでよかった。Twitterでこんなこと書こうと思ったらさすがに無理すぎる。

 

 

で、私は体育会の部活に入っていた。いわゆる運動部というやつだ。

まあそれにしても体育会の部活の中ではゆるい方であったのは確かであると思う。練習は週4。ほぼ週7で部活をしていた高校時代から考えれば大したことはない。

しかしだ。大学に入り、また2回生の気ままな生活を経ることにより趣味の領域がグングン伸長していった自分にとって、体育会の部活はなんというかまあ、「厳し」くなった。練習は厳しくない。何が厳しいのか。「時間を規定されること」これがなにより厳しかった。

 

練習は何曜日の何時から、決まっている。その時間は絶対空けておかなければならないし、そこで運動をする関係上その前後の時間も実質的に規定されることも多かった。具体的には例えば午前中の練習であれば徹夜して臨むのは厳しいので、その前日には夜更かしできないとかそういうことである。

それに加え、試合というものがある。それは練習とは別だ。まああんまり言うものではないがトータルでみればこれはもう「厳し」かった。自分の試合はまあ楽しい。あとはまあ、あれですよね。というかこの試合ってのはたいてい日曜日にあったり夏休みにあったりして、それはもう「厳し」い。

 

大学生は人生の夏休みというが、夏休みだからといって時間を規定されることがストレスでないはずがないのである。というか、夏休みだからこそ自分の好きなように時間を使いたいに決まっているのである。夏休み関係ないぞそれ。

 

この時間的規定が一番「厳し」かったことは間違いないが、金銭面での負担も大きかった。いやほんとに。部活動、特に大学の部活動ってのはものにもよるけどお金がかかるものなんですよ。「お金のかかる趣味」などというカテゴリーがあるけれど、「部活動」はまさにそのお金のかかる趣味なんですよね。でも世間では部活動はいいものであり、有象無象の趣味とは一線を画するものだ、という認識があるように感じるのです。実際あるのかは知らないけれど。部活だってただの趣味に人間関係がくっついた、一面的には楽しいが多面的にはめんどくさい、あとお金と時間がかかるものというだけだ、という認識を大学に入ってやっと持つことができました。よかった。もちろん部活がいいものである可能性は十分にあるのだけれど、「部活礼賛主義には賛同できないね。」ということなのだ。

 

じゃあなんでお前は体育会の部活なんかに入ったのか。それは私が4年前の自分に問い質したいことです。終わり。

 

やってみなきゃわからないことってのがあるというのは存分に分かったけれど、やってみなきゃわからないことはやってみなきゃわからないのでやってみるまでわからない。うーむ難しい。

 

フォローを入れておくと、この部活に入ってよかったと思ったことははっきり言って多いです。でも「厳し」かったことがとても多かった。というか日常的に小さな「厳し」さがつもりつもる感じが「厳し」かった。

 

 

で、です。こんだけ思っていながら4回生の引退まで辞めることなくやりました。私はたぶん「嫌々言いながら最後まで辞めずに頑張った自分をほめたい!」などとは思ってはいない。なんでこんなに考えていながら最後まで辞められなかったんだろうという後悔もあるようなないような。まあでも当時の私はそれなりに考えた上で辞めはしなかったし、それはまあ正解だっただろうと思う。漠然としているが、この問題は自分の中でいまだにまったく結論の出る気配がない問題なのである。ただ一つ言えるのは、最後「合法的に」引退したときの解放感はとてもよかったということである。まあ、過ぎた話だ。

 

 

途中からですます口調が入っているのは、読み手を意識したからに他ならない。読み手を意識すると文章が自然ですます調になるのは最近判明した自分の文章のクセである。

 

 

部活の愚痴を書きたかったわけではなかったはずだが、しかし部活の愚痴をだらだらと書きなぐる機会には恵まれなかったため、ここがいい機会だと自分が判断したのだろう。もし部活の関係者でこれを読む方がいれば、とりあえず忘れてください。いや、忘れなくてもいいんだけども。というかもう「合法的に」引退した身であるし、この愚痴はまあ、許してほしい。別にこっちから見せているわけでもないことだし……

 

一つだけ言うなら、途中で辞める人や途中で辞めることに対して否定的な感情を抱くのはあまり好きではないしよろしくもないと思う。少なくともそういった中途離脱に関して否定的な感情を抱くことに自覚的であってほしい。それだけです。別に否定的な感情を抱いていないのならいいけど、ほんとに抱かないの?そういうのは無自覚的であるだけの可能性も多いので、やっぱり自覚的であってほしいという話。こんなことを言うのは、私自身の持つイメージとして、部活動をやる人間は(途中で辞めてしまう、あるいは辞めたいと思う人間を含めて)「継続は力なり」的な、実際には「中途離脱は悪」であることの多いイデオロギーを持っていることが多いと感じているからである。あくまでイメージだけど。違ってたら私が悪い。怒っていいです。謝るまではします。

 

 

前半は詰め詰めだったのに部活の話になると急に行を空けるようになったのはなぜだかよくわからない。

 

 

 

 

本当は大学に入ってからの趣味の話、アニメの話をしようとも思ったのだけど、部活の話をしてそれなりに満足してしまったのでそろそろ終わりにしようかと。

There is no とりとめ. という感じの文章になってしまったが、随筆ってのはまあこんな感じでしょ。そうか?そもそもこれは随筆だったのか。まあそれはそれとして、わりと自分らしい文章が書けたのではないかと満足する次第であります。私はこの自分らしい文章が好きですが、みなさんにおかれましてはどうなんでしょうか。私はみなさんではないのでわかりませんが。そもそもみなさんと呼べるような読者がいるのか、ここで言うみなさんは後になって読み返している私なのではないか、いやあどうでしょう。

 

はっきりいってこっぱずかしい文章ではあるが、こんな感じの文章とか、これよりもっとアレな文章とかはネットの海に無限にただよっているので、そのへんを見ながらこれもネットの海に放出してしまいましょう。

 

 

 

 

 

 

一通り読後感を味わったら、この文章は忘れてまたいつも通りに生きてください。

 

 

 

2015年のアニメを振り返って

 

2015年も終わってしまうので、今年のアニメを振り返りたいと思います。

 

まずは去年のように、今年のアニメで10本選び、それらで打線を組んでみようと思います。打順と守備位置から私のそれぞれのアニメに対して思うところを感じ取っていただければ幸いです。

 

1 えとたま (遊)〈春〉

2 下ネタという概念が存在しない退屈な世界 (左) 〈夏〉

3 放課後のプレアデス (中)〈春〉

4 落第騎士の英雄譚 (三)〈秋〉(※ラスト数話未視聴のため暫定)

5 空戦魔道士候補生の教官 (右)〈夏〉

6 実は私は (指)〈夏〉

7 聖剣使いの禁呪詠唱 (一)〈冬〉

8 少年ハリウッド ―HOLLY STAGE FOR 50― (捕)〈冬〉

9 レーカン! (二)〈春〉

P 冴えない彼女の育て方〈冬〉

 

 

今年は春クール以降視聴数がかなり落ちてしまい、残念に思っています。一年を通しても、視聴数は去年の半分強くらいにまで落ちてしまいました。

 

それでも、今年も素晴らしい作品にたくさん出会えました。今年の一本を選ぶなら、これは文句なしで『放課後のプレアデス』です。各話ごとで見ても完成度が高かったですし、最終話までを一つとした作品全体においても大変きれいでした。宇宙の映像も美しく、映像的にも物語的にも抜きん出ていたと思います。

 

今年のトピックとして一つ取り上げたいことは、いわゆる「ラノベアニメ」についてです。

今年、「ラノベアニメ」は一つ皮を破った、そんな印象があります。まず冬期に一部で「ラノベアニメ四天王」と称された『アブソリュート・デュオ』『新妹魔王の契約者』『銃皇無尽のファフニール』『聖剣使いの禁呪詠唱』の4つが放映されました。(ラノベ原作ではないが『ISUCA』も同方向のアニメとして受け取られていた節もある)

同時期に4つ、「似た」ようなものが放映されたことで、それぞれがなにかと比べられることが多かったように思います。そしてそのことにより、「視聴者」の側、そしておそらくは「制作者」の側にも、漠然としていた「ラノベアニメ」の微妙な差異を意識的に見出すことができるようになってきたのではないかと感じました。このことにより、「ラノベアニメ」が一歩先に進んだと考えているのです。

 

それらの中でも特に注目すべきなのが『聖剣使いの禁呪詠唱』であります。このアニメは絶妙に外した笑いを誘う劇半、ところどころツッコまずにはいられない作画、なんとも言えないダサさ、そしてなにより「綴るッ!」「思い…出した!」といった決め(?)セリフなどにより、ネット上ではかなりの話題になっていました。私が注目したいのは、上に挙げたような、以前までならどちらかといえば否定的にとらえられることの方が多かったように思うこうした点が、このアニメでは長所として比較的好意的に受け止められていたように見受けられることです。ここに、「ラノベアニメ」の「視聴者」の側が一つ先に進んだと見ることができると思うのです。

 

ただ『聖剣使いの禁呪詠唱』のこうした点はどちらかというと意図せざるものであるように感じました。制作側がある程度制約のあるなかで苦肉の策をもって出したものが、図らずも笑いを誘うものになり、そしてそれが強みとして受け取られた。つまり偶然にも、ああいったアニメが生まれたと言っていいと思います。

 

「制作者」側が一つ先に進んだところを見ることができるのは、『空戦魔道士候補生の教官』です。『空戦』は監督、音響監督を稲垣氏が兼ね、ディオメディア制作ということで『聖剣使い』と制作布陣が似ていました。そして『空戦』を見ると、ところどころ笑いを誘いに来ているとしか思えない劇半、「言わなかったか?」「おせぇな…いや、俺がはええのか?」という決め(?)セリフなど、おそらく『聖剣使い』で好意的に受け取られた点を意図的に入れているように思えます。監督が同じですし十分考えられるでしょう。『空戦』は『聖剣使い』ほどには話題にならず、好意的にもとらえられなかったように思いますが、私個人としては、こうした「意図的」「人為的」な作品作りは偶然性が生んだものよりもむしろ好むところであるので、『空戦』のほうがより好きです。もちろんその点以外にもたくさん好きなところはありますが。

 

そして秋期の『落第騎士の英雄譚』は今までの「ラノベアニメ」らしさを含んでいるにも関わらず、明らかにこれまでとは一線を画した完成度をたたき出したと感じました。それには予算などの事情もあるのでしょうが、ある程度の数「ラノベアニメ」が制作され、ここでひとつの成熟期を迎え始めたと私は感じています。来年以降、「ラノベアニメ」がどう進歩していくのかを楽しみにしましょう。

 

 

また、今年は個人的に劇場版アニメをいくつか観たのですが、どれもとても良かったように思います。特にアルペジオCadenza、ガルパンはビックリするほど面白かったです。映画館で見るにふさわしいアニメを映画館で見ることができたことは今年のアニメを振り返るうえで忘れられないことです。

 

そしてなにより、今年は『帰宅部活動記録』を見たことが自分にとっては非常に大きかったです。帰宅部については以前7話しりとり回の魅力で一つブログを書きましたが、自分の生涯に刻まれるアニメで、出会うことができて大変感動するものでした。

 

最後に、以前Twitterに挙げた今年のアニメ主題歌で打線を組んだものものっけておきます。来年も良いアニメライフを送りましょう。

 

1 ノーポイッ! (ご注文はうさぎですか??OP)〈秋〉

2 Stella-rium (放課後のプレアデスOP)〈春〉

3 FRYING FAFNIR (銃皇無尽のファフニールOP)〈冬〉

4 スーパーウルトラハイパーミラクルロマンチック (ヴァルキリードライヴマーメイドED)〈秋〉

5 ファッとして桃源郷 (てーきゅう4期OP)〈春〉

6 アイデンティティ (落第騎士の英雄譚OP)〈秋〉

7 マグナ・イデア (聖剣使いの禁呪詠唱ED)〈冬〉

8 HOLLY TRIP (少年ハリウッド ―HOLLY STAGE FOR 50―OP)〈冬〉

9 ジュ・ジュテーム・コミュニケーション (アクエリオンロゴスED1)〈夏〉

P D.O.B. (空戦魔道士候補生の教官OP)〈夏〉

 

 

 

 

帰宅部活動記録第7話 ―通称しりとり回― の魅力

 

現在、『帰宅部活動記録』7話~12話がニコニコチャンネルで無料配信中です。先週の6話までの無料配信も好評だったようで、6話の再生数は5万を超え、3話はニコニコ動画のトップページにオススメとして登場していたこともあり、8万を超える再生数となりました。

4話以降の再生数はほぼ変わらずであり、このことは「4話まで見た人はみなこの作品にハマった」ことを意味していると言えます。これは大変うれしいことです。

 

さて、後半の無料配信が始まったということで(もうすでに数日経ってしまいましたが)、私が最も好きな第7話の魅力について少し書いてみようと思います。

 

この7話、帰宅部活動記録がお好きなみなさまはご存じでしょうが、ファンの間でも人気の高いエピソードとなっています。シリーズ構成の雑破業氏も、BDの特典のスタッフインタビューの中で「しりとり回は原作でも人気の高いエピソード」と語っており、中盤のヤマとしてしりとり回は7話に配置されたようです。

 

ちなみにネタバレを多分に含んでいるので(放映終了して2年以上が経っていてネタバレも何もという感じもありますが)、できれば未視聴の方は一度7話を見てからこれを読んでいただければと思います。

 

内容に関して、まずはなんといっても「原作でも人気の高いエピソード」たる、記録の二十一「封じられた言葉!!」と記録の二十二「激闘の果て!!」について言及せねばなりません。

 

思いがけず部室に二人きりになった桜先輩と夏希は「タブーカードしりとり」をすることになります。

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「タブーカード」ルールが加わったものの、たかがしりとり…と思っていた夏希(と視聴者)とは裏腹に、なにやら真剣な雰囲気の画面と桜先輩。そしてしりとりが始まると…

 

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突然の「初手崩し」とやたらとカッコいい実況(CV:島﨑信長)に一気に引きこまれます。

この、「たかがしりとりでしょ?」からの「そうだった…これは『帰宅部活動記録』だった…!」という流れがまず素晴らしい。

さらに出てくるしりとりワード「る責め」

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「初手崩し」のときの「しりとりは[ぱ]から」という格言や「初手崩し」この「る責め」、後に出る「対抗手段 -カウンターワード-」など、子どものころにしりとりをしていた人(つまりすべての人)ならみな一度は考えたであろうようなことを、一つ一つ「用語」にして出していくところもこの回のおもしろいところの一つであると思います。

 

そうして始まった「タブーカードしりとり」、続いては二人の女子高生離れした語彙力に脱帽です。おそらく事前に考えていたであろう桜先輩はまだしも、突然勝負をしかけられてここまで「る」で始まる単語を出し続けられる夏希はすごい。

ただ二人が単語を言い合うだけの退屈になりそうな画面を、なんとか工夫して単調にならないようにしているのもポイントです。

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夏希のID、アホ毛って……

 

「カウンター」を仕掛けようとするも「ルール」を封じられていることに気付く夏希、このときの夏希の「るあ…るい…るう…るえ… 頭の中で辞書をめくれ!!!」というセリフは、自分もしりとりでつまったときによくやっていたことそのままであったので、初見時(まあ今でもですが)めちゃくちゃ笑ってしまいました。

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そしてたどり着く「ルール」以外の「対抗手段 -カウンターワード-」、「ルーブル」ですが、実は……

 

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ばっちりホワイトボードに書かれています。夏希ー!右!右!

誰が書いたんだろう…

 

CM(2分の帰宅部)をはさみBパート。終始圧倒していた桜先輩の顔がくもり始め、逆に「う責め」を始めた夏希は「恐竜」「牛乳」と力強く返していきます。完全にAパートとは攻守逆転といった感じが気持ちいい。

 

そしてついに決着のとき。Aパートで、夏希はタブーカードに書かれている言葉が「る」で始まる単語であることを感じたとき「さっきは安易に答えてしまったけれど、なるべくマイナーな単語を選択した方がいいかも…」と考えていました。それとまったく同じに、桜先輩も「う責め」によりタブーカードに書かれている言葉が「う」で始まる単語であることを感じます。

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そして同じように「なるべくマイナーな単語を選択した方がいいか」と考える桜先輩。Aパートの夏希と鏡のようになっていますが、これが勝負を決します。

「マイナーな単語」を選んだ結果夏希のタブーカード「うみぼうず」で返してしまった桜先輩。うーんこれぞ勝負のアヤといった感じ。

 

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最後は桜先輩の髪留めをつけ(させられ)たかわいい夏希でしっかりオチもつきます。

 

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…とまあここまでは「しりとり回」のわかりやすい、おもしろいところです。

 

 

アニメ『帰宅部活動記録』の作品としての魅力のうちの一つは、「ネタ振りが画面の至るところに散りばめられ、それがすぐにあるいは回をまたいで回収されることによって得られるカタルシス」だと思っています。例えば先ほどの「ルーブル」もそうでした。

 

他にも、唐突なようにも思える「うみぼうず」ですが、しっかりネタ振りがなされています。

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これは第4話 記録の十四「テコ入れの原理」冒頭です。一瞬ですが海坊主が映っています。この一瞬のネタ振りを2話空けてから大一番のオチとして回収…これがこのアニメの醍醐味なんです!

 

そして、7話のアバンも、ただのサービスカット…

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というだけでなく、しっかりネタ振りになっています。

 

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そう、7月4日は…安藤夏希ちゃんの誕生日なんです!

原作の作中では誕生日がいつかは言及されているので、原作を読んだ人ならこのシーンで今回は何をやるかわかったはず…果たして、この第7話の記録の二十三「サプライズ・パーティー」で夏希の誕生日をお祝いしています。

 

そしてこの「サプライズ・パーティー」、これも含めて、「しりとり回」なんです!

というのも、次のキャプ画を見てください。

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おわかりいただけますでしょうか、うみぼうずの「ず」からのしりとりになっているのです。そしていろはの「は」に続いて…

 

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「ハッピーバースデイ夏希」!さらにさらに…

 

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Cパートでの、シリトリル(←おそらくしりとり+デュエル)を戦った2人以外の3人でのしりとりシーン。「ハッピーバースデイ夏希」の「き」から始まり、「きつね」「ねこ」「こおり」「りぼん」

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これが「しりとり回」「しりとり回」たる所以なのです。

エピソードをまたがって、そしてEDをはさんでもひたすらにひとつのテーマ「しりとり」をやりつづける美しい回。これが僕が『帰宅部活動記録』の一番好きな回として第7話、通称「しりとり回」を挙げる理由です。

 

この回で行われたしりとりをまとめると、

「しりとり」→「リスザル」「ルーレット」「トンネル」「ルーズソックス」「ストール」「ルイベ」「ベール」「ルーチンワーク」「クロール」「類義語」「ゴール」ルクセンブルク「クリアファイル」「ルアー」「アーガイル」「ルイ国王」「ウール」「ルーキー」「キーホール」ルーマニア「アルミホイル」ルワンダダートトライアル「ルージュ」ジュブナイル「ルーペ」「ペアレンタルコントロール」ルーズベルト大統領」ウェディングベル」「流刑」イーゼル「累乗」「海蛍」ルネサンス「スマイル」「ループタイ」「イニシャル」ルーブルルノワールルイジアナ州」「ウミガメ」「メイフラワー号」宇治金時「恐竜」「うさぎ」「牛乳」「うるう年」「書道」「うみぼうず」「図工」「打ち上げ花火」ビフテキ「キウイ」「いちごケーキ」「期待」「いろは」「ハッピーバースデイ夏希」「きつね」「ねこ」「こおり」「リボン」

 

となります。

 

余談ですが、7話のこのアイキャッチが僕は大好きです。

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 ところで、この回に関してはもう一つ言っておきたいことがあります。

ここまでの、全パートにわたってしりとりが繰り広げられている、ということはみなさんも気付いていたことではあると思います。

僕がこの回を大変評価しているのにはもう一つあって、それは原作からのエピソードのチョイスと改変ということについてです。

 

もともと「封じられた言葉!!」「激闘の果て!!」は原作では第15話16話のエピソードであり、「サプライズ・パーティー」は第37話のエピソードです。つまり、これらは元々特に関係のないエピソードなのです。そして原作ではもちろん「サプライズ・パーティー」の中でしりとりは繰り広げられておらず、大筋は同じですが「図工」や「ビフテキ」などの言葉は原作では一切登場していません。

さらに言えば、アバンとCパートは完全にアニメオリジナルになっています。

このように、「封じられた言葉!!」「激闘の果て!!」という原作の人気エピソードをやる、というだけでなく、そこでのネタを最大限膨らませて、原作では直接関係のなかったエピソードをもってきて少し改変を加え、またアバンとCパートにはアニメオリジナルのパートを加えることで、帰宅部活動記録第7話」として一つの完成された回に仕上げたこと、これもまた、この回の本当に素晴らしい点であると感じています。

 

おそらく「封じられた言葉!!」と「激闘の果て!!」をやるだけでもその回は神回などと言われたでしょう。それら自体がおもしろいのですから。

しかし、それだけではなく、30分の一本のアニメとしての完成度を高めるこの構成は本当にお見事と言えるものです。もちろん、このようにただ原作の順番通りにするのではなく、30分の、そして1クール12話のアニメとしてどうやったら一番おもしろくなるか、ということを考えながらの構成というのはこのアニメ全編にわたってなされており、それらはすべて見事な仕事です。

 

このあり方は、基本一話完結のギャグマンガを30分×12話のテレビアニメ化するにあたって理想的なものだと思います。そしてそれをサボることなく丁寧に、本気でやり遂げた『帰宅部活動記録』こそは、空前絶後のギャグアニメとして今後も私の心の中に、そしてみなさんの心の中に、さらには深夜アニメ史に残ると信じています。

 

 

最後はかなり信者チックな締め方になってしまいましたが、このアニメは本当におもしろいということが、一人でも多くの人に伝わればいいなあと思います。

そして、今の無料配信というまたとない機会に、より多くの、一人でも多くの人にこのアニメを見てもらい、そして一人でも多くの人がこのアニメを好きになってくれたら本当の本当にうれしい、そう心の底から思っています。

 

 

 

そしてあなたもあるときふとこの作品を思い出して、「ぬるま湯のようなしりとり」ではなく、「相手を潰すしりとり」をやってみる日が来たりするかもしれません…